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【渋谷らくご短観 2016年11月】

2014年11月、突如としてはじまった「渋谷らくご」は4日間開催でした。

というのも、10月に呼び出されて「来月からやってください」と言われたので、さすがに無理だから12月とか、キリのいいとこ2015年からはじめましょうよ、と提案してみたものの、それでもどうしても、ということだったので、いそいで会のコンセプトを決め、公演の時間帯や空間の演出を決め、出ていただける演者さんにお声がけし、自分のスケジュールもやりくりして、なんとかやってみたわけです。なかば強制的に。

会の立ち上げは入念にしないと痛い目にあう、というのは長年の経験からわかっていたので、これはいきなりつまづく羽目になると覚悟をしていたのですが、つまづくどころではない大けがで、ひたすらに演者さんに申し訳ないですと謝り続けた2年前。

11月はプレ公演ということにして、12月からが本番だと思ったんだけど、それでもうまく回るはずもなく、これはまずいことになるぞと胃を痛めまくって現在に至ります。

 

そんな「渋谷らくご」も気づけば2年。11月は特別な月と位置付けて、いつもより一日多い、6日間12公演。

メインは二つ目の瀧川鯉八さん。

6日間すべて出演していただくという、「鯉八まつり」にしてみました。

 

お客さんが入りすぎないようにコントロールしつつ、でも入らなかったら最悪なので、小屋や私を信用してくれるような人をどれだけ増やすかって話なのだが、注目度が高まっているのなら、強いメッセージを発信したいなと思って、こういう興行にしてみたのです。

とにかく渋谷らくごに行ってみよう、と、どこかで情報を入手して興味を持ってくれた人に、とにかく鯉八さんを見せる、

という非常にシンプルな導線をひいてみたのです。

 

これに関しては、なんで鯉八ばっかりなんだと、もちろん演者さんのなかにも、お客さんのなかにも思う人はいるかもしれないのですが、昨年末、おもしろい二つ目賞(渋谷らくご大賞)に選んだからには、多くの人に届けるまでを劇場の仕事にしないと、変な色をつけてしまいかねないので、責任が取れないなと思ったわけです。

とはいえ鯉八さんも、この一年で少しずつではありますが仕事が増えてきたようで(渋谷らくごなんかでプッシュされているから、うちはいいや、と言う人がいるものなのです)、そこまで強烈な色をつけないで済んだかなと、安心しています。

ですが、鯉八さんの才能は、落語会に足を運んでいる人はもちろんですが、落語を聴いたことない、普段映画やお笑いやお芝居を見ている人にこそ知ってほしいので、それくらい惚れ込んだ才能に対する責任としても、こういう興行がベストだなと思い至ったわけです。

 

6日間、鯉八さんは走り切りました。

いままでないくらいのストレスを与えてしまったようでしたが、鯉八さんなりに自分の課題と成果を見つめてくれたみたいでした。

足りない部分とできている部分を確認できる、おなじ若手の芸人として、そういう場があれば決して損ではないはずなので、なにかを持ち帰ってくれたと思っています。

ネタはすべての高座において、安定したパフォーマンスでした。最高でした。どのネタも大好きなものでした。

 

で、鯉八さん、あるいは「渋谷らくご」を聴きにきて、お気に入りの二つ目さんができた、という人に、

まだ生で聴いたことがなかった師匠たちを聴いてほしいなと思ったのでした。

定期的に寄席に出ている、あるいは、なんらかの形でハブとしての活躍をなさっている師匠方。

お名前を出してしまうと、目当てのお客さんで埋まるかもしれないけれど、渋谷らくごは動員がすべてではないのです。

メッセージを発信する落語会であり、「いまオレたちの世代にとってはこういう人が面白いんだ」という新しい価値観を提案する会であるべきなのです。

個人的にはそういうメッセージが強い会には足を運びたくないなという「保守の自分」がいるのですが、「リベラルな自分」を興行では優先することにしています。

 

なので、あくまでお目当ては若手、主役は若手で、彼らを聴きに来たお客さんに、お楽しみゲストを聴いてもらって、彼らにとってはまた新しい価値観を知ってもらいたいなと思ったのです。

これはリスクもあって、すごい師匠に出ていただきながら、客席がまったく埋まっていない、というケースが想定されるわけです。

これは恐怖でした。

ですが、「渋谷らくご」を信じて、若手の活躍を楽しみにしてくださっているお客さんがいることを信じて、6日間走り切りました。

おかげさまで、なんとか形になりました。ありがたい限りです。

 

お楽しみゲストはだれなのかと予想したり、出囃子であの人だ!とわかってしまうような落語通の方もいらしたようですが、そういう楽しみ方もあっていいと思いました。そこまで注目していただけるのは光栄です。

ですが、そもそも名前を知らない、出囃子を聴いてもわからない、という人をメインに設計したものだったので、「こういう真打がいるんだ、すごい!」と思ってくれた人が一人いれば、それでいいと私は思っています。

いまやるべきことは、こういう「はじめての一人」のほうをちゃんと向く、ってことだからです。

通ならば、その意味も理解してくださっていると勝手に思っています。

 

初日の古今亭菊之丞師匠は、私が落語を聴き始めたころは二つ目になりたてだったと記憶しています。

あのとき若手と言われていた人が、いまは第一線の超絶技巧真打になっている。

こんな胸が熱くなるような思いを、いま、そしてこれから落語を知る人たちに体験してもらいたい。

寄席で聴く円菊師匠の高座はスピード感があって圧倒的でした。メリハリがあってわかりやすくて。

そんな遺伝子をたしかに継承しながら、菊之丞師匠にしかできない落語を構築しているので最高。

 

二日目は入船亭扇遊師匠。

言わずと知れた大看板。どうしても、出ていただきたかった師匠です。

この5月、渋谷らくごスタート以来ずっと出演してくださっていた、柳家喜多八師匠の盟友。

高座でも、「今年は親友を亡くしました」とサラっと言ってくださっていたけど、あの一言に、その日はじめてきて事情を知らない人に対する師匠の配慮も感じ、それでいて事情を知っている人をキュンとさせるような男気を感じもしました。

長年磨き上げた話芸が炸裂した一席でした。

 

三日目は立川志らく師匠。

以前、雑誌の対談でご一緒したことがあったのですが、私の学生時代はこの志らく師匠が、二つ目から真打へと挑戦しているときでした。あんなにドキドキする経験が、落語会で味わえるとは思っていなかったし、歴史の一ページに立ち会っているんだなとそのっ瞬間に思えたことにも感激しました。

寄席に出られない、世間も自分に興味がない、そんなとき自分でどう動けば状況が変わるのか、そしてそこからどう展開させていくのか、まさに興行の基本を見る想いでした。

で、この師匠は進化を止めない、これでよい、ということをあまりしない、というのも見ていて楽しい。去年ああいっていたのに、今年全然ちがうこと言っているぞ、と、考えをアップデートしていくのです。

またその師匠のアップデート具合に振り回されていく弟子たち、という構図も面白かったのです。こういう師弟関係も、こしら師匠とかしめさんに継承されていくんだろうか。

 

四日目は柳家喬太郎師匠。

この師匠にも思い出がたくさんありますし、また、どうしても出ていただきたかった師匠です。

喜多八師匠が愛した仲間でもありますし、個人的にも落語受難の時代に、どんな環境の落語会でも飛び込んでいって連戦連勝するというめちゃくちゃカッコいい方でした。

場の空気を一瞬でつかんで、その場のベストチョイスを常に選択できるという、まさに芸人の鏡のような存在です。

古典も新作も隔てなく、おもしろいこととマジなこと、硬軟織り交ぜて落語そのものの魅力をいろんな角度から伝えてくれる師匠です。

渋谷らくごに登場した瞬間、キャー!という歓声が聞こえたのも喬太郎師匠だからこそ。老若男女人気がありすぎる師匠です。

出てもらえて、ほんとにうれしかったなあ。

この師匠との縁は、今年の5月31日、末広亭の余一会、喬太郎師匠と文蔵師匠の会に米粒写経で出させてもらったところからです。

引き合わせてくれたのは、だから、喜多八師匠だったんです。

 

五日目は、一之輔師匠と、三三師匠。

渋谷らくごの心臓ともいうべき存在の一之輔師匠、目下、破天荒な落語の無双状態が数年続いていると思いますが、鯉八さんと一騎打ちするところをどうしても見たかった! ありがとう、一之輔師匠!

協会もちがうし、縁もゆかりもない若手のために、ひとつも得にならない番組にも喜んで出てくださる。こんなありがたい存在はいません。

「どがちゃか」(どがちゃが)という渋谷らくご公式読み物の名前の由来ともなっている「味噌蔵」。実は渋谷らくごで演じられたことがなかった演目なので、かかったときはうれしかったなあ。大好きあの噺。

三三師匠は、渋谷らくごがスタートした11月、その初日のトリで出ていただいた師匠です。どうしても、どうしても2周年、出ていただきたかった師匠です。

出演してくださると決まった時から、師匠のおかげで、2年続きました、とお伝えしようと思っていました。

そして伝えることができました。こんなにうれしいことはありません。

「元犬」を演じてくれましたが、あの噺があれほどの爆笑巨編になるという、落語の神髄に触れてとてもうれしいです。

はじめて落語を聴きに来た人が、ああいう落語に触れてくれたらいいなと思っていたことが、かなえられた瞬間でした。

 

最終日は、瀧川鯉昇師匠。

鯉八まつりの最終日、出るのはこの師匠しかいません。

というか、鯉昇師匠のスケジュールが確定したときから、このプロジェクトは動き出したのです。

鯉昇師匠のあとに、弟子の鯉八さんがあがる。6日間のラストは、これしかないです。

「時そば」を演じてくださいましたが、桃太郎師匠が亜空間殺法で空間を歪ませたあと、古典で空気を整えるのかと思いきや、トリで創作をかけるであろう鯉八をつぶさないネタのチョイスでありながら、アヴァンギャルドな味付けのくすぐり多数。まさに鯉八さんが自然に落語に入れる空気づくり。職人技でした。これしかない!というネタのチョイスに感動しました。

 

特別に出ていただいた師匠方、ありがとうございます。

師匠たちの想いあって、若手の二つ目・真打の奮闘あって、渋谷らくごは成り立っています。

 

来月からはまた通常運転です。

とはいえ、12月は「渋谷らくご大賞」と、「創作大賞」を発表する最終日もあります。

初日の20時回は完売しました(すみません)。

ほかの日程はまだまだお席の余裕がありますので、みなさまどうぞ詰めかけてください。

当日券を多数用意してお待ちしています。

 

 

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 00:35 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【BRUTUS 特集:漫才ブルータス 寄稿】 

現在発売中の雑誌『BRUTUS』、

漫才を特集しています。

 

昨今の雑誌が落語に飛びつくなか、漫才を取り上げるという「逆に」感。

こういうのいいよねえ、とがってて!

 

iPhoneImage.png

 

 

いろんな人が漫才について語ったりしているのですが、

私は「漫才の構造分析講座 言語コミュニケーション編」ということで、

言語学的アプローチからの漫才分析という、

私の研究の成果を商業誌で4P、紹介いたしました。

 

これは画期的なことです。

 

笑いの研究は、身近なテーマだけに、市井にもしたり顔で語る人たちが数多くいますし、

学者でさえも印象論や結果論で語ることが横行しているジャンルです。

自分の研究ジャンルの有効性を説くために、あるいは趣味の研究として、

全体の論点を整理しきらぬまま論文を書きすぎなのです。

 

私はこのジャンルでは、国内でも片手くらいしかいない専門家だと自負しています。

 

紹介させていただく機会を与えてくださったBRUTUS編集部のみなさんに感謝しています。

 

「パフォーマンス編」の細馬先生の記事もマストで読んでいただきたいです。

こちらは、言語のなかでもメタ言語、非言語といった、談話分析的なアプローチです。

必読です。

 

いまだに私の論文を見つけては、

指導してください、お話聴かせてくださいという方が年に何人かいます。

 

笑いのテキストの研究は2000年代までは需要のないもので、

だからこそ研究者が少なかったのですが、

いまは人口知能の研究が進んだとき、

「情報のユニットをつなげて、自分で遊ぶ」

ということをAIにプログラミングさせようという動きが出てきました。

つまり、工学からの要請が多くなり、

いまでは「語用論」や「会話分析」をゼロから勉強する工学者たちが増えてきました。

これはすごいことです。

 

来年あたり、書籍という形にできたらと考えています。

できたら、ね。

 

 

 

posted by: サンキュータツオ | 書き物 | 12:19 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【渋谷らくご短観 2016年9月、10月】

「落語ブーム」なんてものは存在しませんし、メディアが作り上げた物語でしかない、ということをだれも言わない。

それもそのはずで、ブームということにしておいたほうがみんな幸せだから。

でも、いま落語会にお客さんが入っているのは、2000年代の業界のたゆまぬ努力があったからなんです。

『タイガー&ドラゴン』や『ちりとてちん』でイメージが変わって、興味を持ったお客さんを受け止める努力を、落語業界はずっとしてきた。だから、ずっと前から落語界は元気なのです。

 

ただ、この2年で一番すっと頭に入ってきた考察は、立川こしら師匠の「いまは落語会主催ブームだ」という考え方。

たしかにその通り、落語会は非常に多い、だけども発信力のある人が落語会を「プロデュース」して、遠心力を高めている。

私なんかはそれにうまく利用されているのだが、業界のしがらみや仲良しグループの文脈から出た人間ではないないのが、私の特異なところだろうか。

考えてみれば、20年前にはこれほどに「〇〇プロデュース」という文言はチラシのどこにも見当たらなかった。

そういう意味ではこしら師匠は炯眼。

ただ落語会を開催しているのではなく、付加価値をつけるとなると、スポーツでいう「監督」とか「GM」をタレント化する。そうして発信力を高めていくということなのだろう。

そろそろバレはじめているのだが、落語会はだれでも主催できてしまう。だからこそ乱立する。演者もファンも消耗していく。

だから決して自分がやっていることを良いことなどとは思えない。

寄席に行けばいい。都内各所に個性的な寄席がある。そこで毎日なにかが起きている。

 

 

 

 

9月の渋谷らくご。

一之輔師匠を欠き、さらには神田松之丞さんをも欠いてしまった9月だが、

それ以外は盤石の布陣で臨んだ。つまり、演者についているお客さんというのが少ないなかでの、事実上の実力試験のような月だったが、悲観するほどの入りではなく、どの日も安定して動員でき、初心者がどの回にも安定して入場してくれて一安心。

渋谷らくごの目標到達は800人〜1100人で、それ以上は入らないように押さえたいところ。この範囲にちゃんと収まって喜ばしい限りだ。

1000人入るということは10公演なので平均して100人、平日18時回が60人、20時回が140人でようやく到達できる数字である。

そう考えると信じられないくらい多くのお客さんが足を運んでくださっている。

ゆるやかに、「渋谷らくご」への信用を高め、演者ではなく、お客さんの都合がつく日に来て、安心して楽しめる、むしろ演者の名前に左右されず、その日の素材で勝負できる料理屋のような存在になれるといい。

 

うれしかったのは、立川左談次師匠の復帰。

あまりに心配で8月の末廣亭余一会での立川流の会を見に行ったが、ほんの数分楽しそうにしゃべっておられたので安心はしていた。が、その裏に幾多の葛藤と苦しみがあるかと思うと、その高座の輝きは一層増すのだが、さすがにご無理は言えないと覚悟した。

代演もあり得るかもしれない、むしろ、こちらから提案したほうがいいと思っていたが、それでも左談次師匠は「渋谷らくご」の高座にあがってくださった。そして高座でお話してくださったのが「癌病棟の人々」。こんなに客席が幸せと笑顔に包まれるなんて。しかもそれが、これからまた入院しますというがん患者の話でだ。

思い出す光景は、癌で亡くなった前田隣先生のことだ。その昔、ナンセンストリオという三人組で売れた師匠で、ピンになってからも爆笑漫談でカッコいい師匠だった。米粒写経のどこを気に入ってくれたのか、一度ネタをみると面白がってくださり、機会があるたびに声をかけてくださった。

ある日は、病院の服をもってきて、「今日癌センターからそのまま来たんだよ」と言って客席を爆笑させていた。

前田隣先生は亡くなってしまったが、「ダーリン寄席」はいまも続いている。左談次師匠もレギュラーメンバーだ。左談次師匠に、立川談志や、前田隣や、柳家喜多八の根性がしっかりと生き残っている。めちゃくちゃかっこよかった。左談次師匠は亡くならない。

落語は、飢えと貧乏と寒さのうえに成り立っていると、談志師匠はこのようなことをいろんなところでおっしゃっていたが、病気や死といったものも、実はあったのだろうと思う。それでも前向きに明るく生きていく。しんみりせずに、いたって通常運転、へらず口もそのまま、ついでに生きてるという了見でやり過ごしていたのだ。いままで生きていただけで儲けもん、の世界である。

そう考えると、癌病棟に巣くう老人たちの日々を爆笑に仕立てる左談次師匠のエネルギーは、まさに芸人、なかでも落語家の了見なのだ。

かといって、病気を黙っているのは粋かというと、そうではない。居残り佐平次が仲間に語ったように、肺病を患っているということを隠すのも、水くさい。となると、どういう行動になるかといえば、談志師匠のようにさらけ出し、悩み、落ち込む姿までをもエンタメ化する、ということになるのだが、左談次師匠は暗いところはあまり見せないのが、師匠に対する敬意なのか、それはそれでむちゃくちゃカッコいい。

 

また、この日のトリの文菊師匠の「心眼」は、個人的にはまちがいなく「心眼イチ」だった(歴代一って意味)。

文楽全集に関わったとき、盲人の噺をたくさん聴いたが、カタルシスの強い「景清」よりも、どちらが落語らしいかというと圧倒的に「心眼」なのだ。

圓朝が作ったらしい意地悪さというか、人間の醜さとかも淡々と描かれているが、これは演じる人の資質を問われる。決して嫌味でなく、それでいて梅喜という人物がよくも悪くも思えるような演出で臨まなければならない。盲人もまた、私たちとおなじ、美しい心と醜い心をもった人間なんだという人間賛歌になるのがこの噺のすごいところなのだ。

この噺を、文楽とは別のアプローチでまた一段上に押し上げた文菊師匠の「心眼」はいまだ余韻が残る。おそらく一生忘れない。

 

9月は橘家文左衛門師匠が、文蔵襲名前最後の出番ともなった。

志ん八さん、ろべえさん、扇里師匠、文左衛門師匠。みな師匠を失った人たちで千秋楽。

ろべえさんは来春、志ん八さんも来秋、真打昇進が決まり、おめでたい年になる。

悲しいことは今年限りにしたい。文蔵襲名はそんな気持ちに弾みをつけるような、これから楽しいことがはじまる第一章のように、業界を明るくしてくれる話題だ。文蔵師匠、ありがとうございます。

 

昇々さんの一時間の「ひとりらくご」は、二回目でもずっと衝撃の連続で、このまま時が止まればいいのにというほど楽しかった。

この人の落語の強度はすごい。小手先のものではない。

完全に噺が身体に入っていて、さらにそれを高座でかけ続けて、落語と戯れる、という領域までいっている。緊張感の高まる高座でこれをできることがすごいわけで、だれしもが固くなる場所で常にこういう勝負をしている昇々さんは実に二つ目らしい野心と努力をもった落語家さんだ。

 

 

10月の「渋谷らくご」。

松之丞さんも一之輔師匠も久しぶりに聴いたような、それでいてこないだ聴いたような不思議な気持ちで迎えた。

偶数月に定期的に出ていただいているメンバーも揃い、ほぼ完璧に近い形の番組をくんで(文蔵師匠のみ襲名披露で出られなかったが)10月の公演を迎え、これは大入り続き、しかもそれでいて札止めのない状態。つまり、ひとりも追い返すことなく、当日来たすべての来場者に入って観劇していただけた、という意味でもよい月であった。

驚くべきことに、9月に関しては当日券で入場したお客さんが、50人〜70人の幅であり、そのうち初心者が4割近くもいた模様。10月に関しても当日券入場者が多く、しっかりと初心者を取りこぼすことなく誘導できたということはとてもうれしい。もちろん、前売り券を買うのが面倒くさい落語ファンや、渋谷らくごのリピーターもいるだろう。でも、当日フラッと来られる気軽さが重要なのだ。

創作ネタおろし会「しゃべっちゃいなよ」、12月の大賞を決める会をのぞけば年内最後の会も、初登場のきく麿師匠や昇也さんの奮闘もあって大いに盛り上がり、大団円で10公演を終えた。

左談次師匠は闘病開始後、初の落語をかけてくださった。渋谷らくごに来るのが楽しみだ、とさえ高座でおっしゃってくださった。こういわれては、お客さんもうれしい。しかもネタは、「権兵衛狸」、東洋館の定席ではじめてこの噺を聴いたとき、えも言われぬ幸福感に包まれたのをいまも思い出す大好きなネタだ。ずっとこのネタがかかるのを待っていた。軽くて、いいサイズ感で、聴いていてまったく疲れず笑える噺。やり慣れた噺にも関わらず、高座に適度な緊張をもって臨む師匠は今月も相当かっこよかった。頭にはうぶ毛が生えはじめ、癌が小さくなっているとの報告。もうここまで来たら随時報告だ。

こうなると課題になるのが18時回だ。

内容には自信がある。10月は「小辰・扇里」、「市童・音助」、「伸三・扇辰」といずれも素晴らしい会だった。

通好みでありながら初心者をも虜にできる話芸の持ち主。伸び盛りの芸の味。ボジョレーヌーボーのような市童・音助の会から、しっかり古典を聞かせる扇里師匠、扇辰師匠。

これからの課題は18時回にいかに若い客を誘導できるか、だ。あまりに通好みにすぎると好事家しか集まらない会になってしまう。

 

 

当日券入場者数推移データを見ながら、ニコ生、ポッドキャストのパワーがどこまで通じるのか、可能性を試してみたくなった。

もちろん、渋谷らくごの音源でどこかの放送局でラジオ化してくれたり、コンテンツ化してくれるのであれば申し分ない。

渋谷らくごにはスタッフがいないがゆえに、自社コンテンツにしていくよりは、外部の企業とコラボしたほうが圧倒的に効率がよいのだ。ひとり、ひとりでもいいからHPの構築やWEBのシステムエンジニアがいれば。もとやりたいことはたくさんある。実現できることはたくさんある。提言できることはたくさんあるのだが、いまはそれができない。

だからこそ、企業との共同作業が大切になってくる。

業界のお仲間で仲よくやっているだけでは、この業界は成長しない。もっと大局に立った舵取りをしていくべきなのだ。

好きなだけ、仲良いだけで興行が成り立っているのがおかしいくらいなので。

 

メディアの取材は相変わらず紋切型のものばかりで、こちらにはなんのメリットもない、お金にもならない、ただ踏み荒らされ向こうが用意したシナリオ通りのコメントをする、みたいなものばかりなので、

「渋谷らくごってところに行けば、とりあえず欲しい画はとれるらしいぞ」みたいにヤリマンぽく思われても迷惑なので、テレビは断っている。

そもそも、一度も会場に観劇に来たことなく、直接挨拶したこともなく、取材させろというめちゃくちゃなことを言うほうが悪い。

 

 

誠実なメディアもいくつかあった。

 

ハレット 私の知らない東京がそこに。

この記事は若い女性のライターと編集者が作りあげたもの。一見うすっぺらく感じる人もいるかもしれないが、

これまで落語を扱ってきた記事や評論は、すべて「落語の世界の言語」で語り、完結していた。

そこに、この記事はまったく落語の言語(あらすじの解説や、用語解説)などを使わず、別のジャンルの言語で落語を魅力的に紹介するということをやってのけている、という点で素晴らしい。

取材時間15分でここまで書いてくださったのは入念な取材と情熱以外ないと思う。

三宅さん、杉本記者、ありがとうございます。

 

早稲田大学演劇博物館「落語とメディア展」。

こちらは演博の宮信明助教が会場まで足を運び、展示の趣旨を説明してくれた上で、原稿依頼をしてくださった。

落語のいまとこれから、ということでネットを使った集客をし、また現状の「ブーム」なるものをどう読み解くか、ということで書いてください、とのことだった。

予定文字数を大幅にオーバーしたが、それでもそのまま掲載してくれました。これは私が悪いんですけど、「渋谷らくご」創設から現在までの記録です。

いずれはなくなるであろう「渋谷らくご」なので、その記録を公式にできたという意味でも歴史的な資料になるといいなと思っています。

これを読んで刺激を受けてくれるような主催者は多くはないと思うけど、ネットに触れている比較的若い世代の人に、深く刺さると信じて書きました。決して楽な仕事ではなかったけど、これは将来「だれか一人」にでもちゃんと届けばいいという意味で必要な記録だと思うので、入魂しました。

1月中旬までやっている展示で販売しているので、部数に限りがあるものでありますし、ぜひ手に取ってみてください。

岡田則夫さんや今岡先生など、落語好きにもたまらない面々の寄稿や、喬太郎師匠のインタビューなども読みごたえがあり、昨今の雑誌の特集記事なんかよりよほど芯を喰った最高の冊子だと思います。

 

 

さて、来月11月は「渋谷らくご」2周年記念興行、11月11日から6日間連続12公演

いつもより1日多い日程で、毎日「瀧川鯉八」さんが出るという、まさかの番組です。

鯉八さんと心中するつもりで構成した番組です。

どこか一日でも来て、いま落語に興味ある若い世代に、この才能の存在を知ってもらいたいと思い、思い切ってやってみた番組。

2015年「渋谷らくご大賞(おもしろい二つ目賞)」受賞者、瀧川鯉八さんフィーチャー月間です。

やるなら中途半端なことはしない、大胆にやるというのが私のやり方です。

 

さらに、この月から、名前を告知しない枠を設けてみた。

初心者にとって、落語家の名前なぞだれだって読めないしわからない。

だったら、最初に、名前は価値のないものなのだから、いっそだれかとかわからない状態でもいいじゃんか。

なまじ名前があるおかげで、事前にググったりとかして、変な先入観をもって見るよりも、だれだかよくわかんないけど、面白い人出てきたぞ!という経験をしてほしい。

 

演者にお客さんがついている昨今、次のステージには「渋谷らくご」への信頼を高めていく作業が必要で、

ここを入り口に、演者さんの名前を覚えて、その演者さんの出る会に足を運んでくれたらそれでよいのです。

 

そういう意味でもたぶん実験的なことを、この勝負の月にやってしまうわけですが、

どの回もめちゃくちゃ自信があることだけは断言しておくので、

もし気になっている人がいたら、絶対に来た方がいいです。

 

いま、落語が好きすぎる人が多くて、どうしても興行論にまで頭が回らない、あるいはそういう視点を持ち合わせていない人がいるんだけど、これはどのジャンルでも言えることなんだけど、演者がさくエネルギーはお客さんが10人でも10000人でもそう変わらない、つまり、演者のより高いパフォーマンスを、よりよく輝かせるのは、興行の演出であり、人を集め、注目を集める興行論なのです。

この視点がないジャンルは滅びる。DMを管理して発送して、その友達を一人ずつ捕まえて、と「好き」な人たちの忠誠度を図るような落語会も素晴らしいと思います。必要です。ですが、遠心力を発揮する会もなければ、新規のお客さんも増えないし、内部の熱も下がります。

古くは立川流、六人の会などがそういう存在だったのかもしれません。

猛烈なアンチが騒ぐのを恐れず、興行論で一石投じることくらいしか、私にできることはないのです。

 

渋谷らくごは完成した芸人を見る会ではなく、

二つ目と若手真打を中心に、彼らが躍動する時期をともに見守る会である。

つまり、大当たりもあれば失敗もある。だけど、最後は真打が最高に楽しませてくれる。

そういう意味では失敗してもいい場所でありたいわけです。

 

鯉八さんは、そういう意味ではパフォーマンスが安定しており、失敗も成功も、お客さんの受け止め方にかかっている比較的、絶対的な芸(まくらは相対的)です。

毎日おなじくらいの衝撃を与え続けてくれるはず。

 

これはいまの「渋谷らくご」でしかできないことなのかなと思うので、これで最後になるかもしれないし、来年あるかもわからないことなので、どうぞお楽しみに。

 

 

以上

 

渋谷らくご短観 2016年8月

 

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【平成二十八年 米粒写経 例大祭】

10月3日(月)、4日(火)の二日間、

平成二十八年 米粒写経 例大祭「寿限無論」
深川江戸資料館で行いました。

 

写真:橘蓮二さん ありがとうございます!(春風亭一之輔師匠の独演会での撮影)

 

プログラムには、このように書きました。一部抜粋です。

 

芸人としてのピークがいつ頃なのかはわかりませんが、ここから10年は技術的、体力的にピークだと思います。
そういう時期に、後悔のないものを世に出したいと思っています。

私たちは浅草キッドさんのライブでこの世界に入った人間です。
文字量、情報量、サービス精神、常に限界MAXに挑んでいる二人を見て育ちました。
なので、いま我々がこういうことになっているのも、自然な流れだったのかなと思っています。

いろいろなキッカケで居島、タツオを知ってくださっている方がいると思います。
ですが、米粒写経はひとつです。
どこから入っても、コンビとして愛してくだされば幸いです。

平成二十八年十月三日、四日
米粒写経
 居島一平 サンキュータツオ

 

これに尽きます。

3分とか4分のネタもありますが、そういうものだけではなくて、文化の一シーン、というと気恥ずかしいですが、自分たちが思い描く理想形をひとつやっておきたいと思うに至りました。

本気で、寄席10日間出たとして、毎日ネタ変えられる、それでいて若い人にもちゃんと伝わる漫才。トリだったとしても耐久力のある漫才。

 

また、全員が笑うというのもいいのですが、2割、3割がつねに反応していて、またそれを「よし」としている客席もまた、いいものです。そういう多様性を許容するような「寄席的な」雰囲気のライブを模索したわけです。

イメージとしてはトーキングブルースの漫才版。

 

淡々と、オファー仕事をこなすプロ意識もあるにはあるんですが、自分たちの達成度を得るという意味で、そして自分たちの現在地を確認するという意味で、漫然とここからのキャリアを過ごすよりも、新たな刺激を欲する道を選びました。

これは、それぞれが自分のお客さんをコンビのライブに誘導できるくらいに魅力的な存在にならないと意味のないことでした。なのでここにくるまで時間はかかりましたが、やってよかったことだと思っています。

 

 

 

漫才は楽しいです。

普段、大学で日本語教えたり、単体での仕事もありますが、すべてから解き放たれ自由でいられるのは舞台の上だけです。

そして私はピンのネタをやる主義ではありません。

18歳のとき、大学で出会った居島一平という人物の奇怪さに魅入られ、この人の魅力をどうしたら伝えられるのか、ずっと考え続けた日々です。もちろん、自分の魅力も伝わらないと漫才としての魅力はかけてしまうので、コンビ芸としての漫才にも向き合う結果になりました。

それは大学院での研究ともつながり、ライフワークである文体論とも繋がっています。

 

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二日とも超満員で、おかげさまで550強のお客様に見ていただくことができました。

 

内容は来てくれた人だけの宝物なのですが、

落語「寿限無」のメッセージってなんなのってところから、落語全体を俯瞰するような歴史ミステリーでもあり。

個人的にここ10年くらい考え続けた「なんだこの噺!?」という想いに決着をつけるのと、居島さんの異常すぎる歴史記憶スキルをいかんなく発揮できた舞台だったと思います。

またどっかでやりたいね! 30分〜90分の可変域のあるものだから。ネタというよりは、トークというか、でもネタなのかな。トーク以上ネタ未満な。予定調和的でない、台本追う系ではないもの。

オファーあったらやりまっせ★

 

関係者のなかには、いわゆるネタ的なものを求めていらした方もいたかと思い、面食らったかもしれませんが、それが正しい反応です。

でも、落語の知識がなくても、なんとなく寿限無はだれもが知っていますし、はじめて聞いた言葉なんかもあったかもしれませんが、理解に必要なだけの説明はしたと思う。わかんなくてもいいところは、流したし。身近なところにいろんなミステリーがあるんだよ、という学究的エンタメのあり方は伝わったかと思います。それがおもしろいかどうかは置いといたとして。

 

基本的に人間不信なので、「とっても素晴らしかった!」「おもしろかった!」と言われても、さすがに面と向かってはつまんないとは言わないよな…と思ってしまう自分もいるにはいるんですが、それでも少なくともそう伝えようと思った事実はうれしく受け取りました。自分も、面白いと思ったものは嘘なしに面白いと演者さんに伝えることにしているので、そういう方ももちろんいるだろうし、とってもうれしいです。

なにより、会場となった深川江戸資料館の舞台スタッフの方が、打ち合わせから「なんだお前ら」的な雰囲気を出していたにも関わらず、終わったあとに「いやあ、いいもん見させてもらった!」と言ってくださったのが一番うれしかったです。自分たちのことを知らない人でもそう思ってくださったということは、まちがってはいなかったかな、と。

 

まさかカーテンコールまであるなんて。予想していませんでした。楽しんでいただけたのかな。

 

ポッドキャスト「米粒写経のガラパゴスイッチ」

こちらでのプロモーションや、Youtubeで米粒写経を追いかけてくださっている方も大勢いて、動員の助けになりました。

TBSラジオ「たまむすび」でも浅草キッドの玉袋筋太郎さんがコンビで出させてくださり、

また水道橋博士さんはツイッターに番組に、私たちのことを応援してくださり、

本当に感謝感激、戦車突撃です。

私は、自分たちの歴史のなかに位置づけてみたとき、どうしても浅草キッドさんに憧れてこの世界に入ったことを忘れるわけにはいきません。その後、東京ボーイズさんや前田隣先生、喜多八師匠にもお世話になり続けていますが、漫才としてはまず最初にキッドさんなのです。

 

長尺の、噛みごたえのあるエンタメをできる芸人は減っています。

ネタ尺が短くなっているのと同時に、横断的になにかを語れる人が少なくなっているからです。

 

今回は、台本を作らず、おおまかな進行だけを用意して、本番に挑みました。

お客さんあってのものなので、通し稽古もできず、なんとなく45分くらい、進行確認の稽古をしただけにすぎません。

また、私たちの場合は、稽古しすぎるとおもしろさがわからなくなっていくので、しすぎないようにもしています。

そういう意味では、大いなる一回性でもあるのですが、

二日とも、こういう感じにもなるんだなあという、やってて面白い90分になりました。これは芸人人生すべてが問われる舞台なんだなとつくづく思いました。

 

やって良かったです。

 

少なくとも、私たちのようなスタイルを望んでいる人たちが、平日の夜、万難を排してお金を払って会場にくる人たちだけでも数百人はいることが確認できました。

「わからないからこそ面白い」、「わからない部分は将来わかる楽しみがある」という思想のもと、「でも届いたときは楽しい」というものに仕上げました。

 

わかんなくなって、顔がおもしろきゃ笑えるし。それでいいんだよ。

 


 

差し入れでいただいたお酒「寿限無」。


 

居島一平画伯の原画の前にて記念撮影。

 


落語研究会の遠藤、池田、藤山さん、ありがとう!


たまむすびさん、新宿レフカダさん、ありがとう!

JFNさんからもお花いただきました!イマドキ用語の基礎知識、聞いてね!


WOWOWぷらすとさん、ありがとう!

 

 

唯一使用したOPとEDの音楽は、大好きなアニメ「PING PONG」から(松本大洋先生原作のあのPING PONGです)使いました。

出会ったときから居島さんは私のなかでペコです。私はスマイル……だったらよかったんですが、アクマですね。どう考えても。

アクマ好きだし。

でもアクマとペコの漫才ってのもいいもんです。

ペコっていうと、立川こしら師匠とかも私のなかではペコっぽいかも。ヒーローだぜあいつ。

 

今も居島一平はかっこいいですし面白いです。

コンテストのことだけ考えたら、このコンビではない人生があったかもしれません。が、18歳のとき感じたあの感覚を裏切りたくはないのです。

この相方で良かったと思えた夜になりました。

そして私も負けません。お互いが斬るか斬られるかくらいの緊張感と距離感があるから、コンビは面白いのです。

 

ありがとうございます。

 

タツオ

 

2016.10.09

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【東京ポッド許可局ジャパンツアー2016 ご来場感謝 #tokyopod】

TBSラジオ「東京ポッド許可局」の今年の夏はジャパンツアーを行った。

昨年に引き続き、であるが、今年は名古屋と、山梨での公演が追加になり、どこも濃密で楽しい記憶となった。

 

 

5月の末、ジロ・デ・イタリアはイタリア人のニーバリがアルプス山頂ゴールをものにして見事優勝を果たした。

私は米粒写経で新宿末廣亭の初舞台を踏み、柳家喜多八師匠の訃報のショックは癒えぬまま、時間がその傷をいやしてくれるのをひたすらに待っていた。

そうして夏の足音がひたひたと近づいてきた。

 

6月、今年のNBAファイナルでは西のゴールデンステート・ウォリアーズと東のクリーブランド・キャバリアーズが激突、昨年とおなじカードとなったが、内容的には圧倒的なウォリアーズ優勢、西カンファレンスを勝ち抜くだけでも大変だったのだから、東との対戦はさぞ気持ちよかっただろうと思えた。実際、サンダーとの文字通りの死闘のあとでのファイナルでは、多彩なオフェンスパターンでこのチームのさらなるポテンシャルまで開花させたともいえる序盤の数試合の展開で、今年もウォリアーズで決まりだなと、ほぼすべての視聴者は思ったにちがいない。

しかし、事態はゲーム5で急変した。3Pをどこからでも決め、すべての選手が動きまくり常に流動性と組織力を誇示してきた無双の73勝記録チームのゴールがピタと止まり、そこからは小さな歯車のかけ間違いがさらなる不協和音へと変化していて、とうとうゲーム7でその夢は最後の最後の1ゴールで打ち消された。ここにひとつの現代バスケットの方法論の可能性が示されたと同時に、その限界も示された。

キャバリアーズは決して嫌いなチームではなかったが、それにしても芸術的なまでの組織力と創造性あふれるバスケットを展開してきたウォリアーズに熱狂していた身としては、なかなかキャブスの勝利を受け入れるのにも時間がかかった。

今年は受け入れるのに時間がかかる。

ベイスターズも勝ったり負けたりの不安定な試合ぶりで、1番、2番さえも固まらない毎日、おまけに梶谷もいないとなって打線にも大きな不安があった。

予想もしなかった悪いことが起きなければよいが。そんな予知不安さえ感じた初夏だった。

 

NBAファイナルの終了とともに私には夏がくる。じたばたしてももう遅い、暑い夏がやってくる。

そして6月の末は、毎年楽しみにしている東京ポッド許可局の仲間、

プチ鹿島さんとサンキュータツオでいく オオカミパワー三峰神社の旅

である。

私たちの方法論の可能性の模索はまだ途中だ。

 



 

今年は雲海も観ることができ、

ことのほかご機嫌にすべてが進んで、三峰神社の方々や八木橋百貨店のみなさんも勝手知ったる仲となって、大勢のお客さんを出迎えるのに完璧な待ち受け体制ができていた。

 

今年はマキタさんもギリギリでスケジュールがあいた。

どうしてもマキタさんには三峰神社に来てほしかった。

春日太一さんも同行できるようになった。

ホロッコの二人もバスできてくれた。

こうして今年は大所帯でのツアーとなったが、こういう年もあっていい。

 

マキタさんにこっそりお願いして、ギターもってきてもらえませんか、とワガママを言ってみた。

夏の三峰、大広間にまったりとした時間、そこでマキタさんのネタが聞きたい。

お客さんはその時までマキタさんがくるとも思っていない、そこで突如現れて……と仕掛け心も動いたわけだ。

はたしてマキタさんはそんなワガママを聞いてくれ、「上京物語」をフルバージョンでやってくれた。

思えば私はこの人のネタが大好きなのだ。役者としてすっかりお茶の間の知るところとなった、それも幸せなことなのだが、それにしてもこの人の「お笑い」のネタがどうしようも私は好きなのだ。

あの時間をともに過ごせた仲間とお客さんがいたことはこの夏の幸先のいいスタートだった。

 

7月、大学の授業がようやく終わった。

半年間面倒をみた学生、長い者だと上級前半から上級後半まで1年間その成長の過程に携わることができた学生もいた。

彼らの多くは国に戻り、さらなる研鑽を積んで世界中で活躍する。このメンバーがそろうことは二度とない。そう思うと最後の授業はいつも別れが惜しくなる。文章表現の授業は彼らの内面に触れる。ときにはデリケートなことを書いてくる学生もいて、魂に触れてしまう。感情移入をするわけではないが、こんな人たちの人生のほんの1ページのわずかな時間、でもその時間だけは本当にともに時間を過ごしたんだよ、って、晩年に彼らに言ってやりたくなる。お前の貴重な進化の瞬間に、立ち会ったぞ、ありがとな、と感謝を言いたくなる。が、それをぐっとこらえて、ただの1コマのような顔をして教室を後にする。

 

そしてフランスではツール・ド・フランスがはじまる。

あれほどにイタリアでは強かったニーバリも、山岳で粘りを見せるキンタナも、やはりフルームの前には太刀打ちできない。

スプリントではサガンが圧倒的で、昨年の未勝利マイヨ・ヴェールが嘘だったかのように序盤にあっさりと一勝すると、立て続けに平坦ステージをとって2週目にはすでにその地位を盤石にしていた。フルーム率いるスカイの隊列も見事なまでな均整がとれていて、NBAのサンアントニオ・スパーズを見ているような圧倒的な「父性」すら感じさせた。

フルームとサガン、今年もこの光景になったわけだが、それでもこの二人が活躍すると「夏」という感じがするのはここ数年の体の変化なのだろうか。

新城幸也は今年も敢闘賞にかがいた。これは偉業だ。

 

7月下旬、私は少しはやめに福岡に入り、週末にLIVLABOという小屋で時代劇研究家の春日太一さんとトークショーを行った。


バンバンビガロというバンドの福島さんという方がオーナーで、とてもよくしてくれた。

熊本を第二の故郷と言ってはばからない春日さんのチャリティイベントに参加したような形。

共著「俺たちのBL論」についてを中心に。

 

 

週末は大濠公園能楽堂で「東京ポッド許可局」の公演。

昨年とおなじ劇場だが、動員は昨年とおなじで、満席にはなるのだが売れ行きはにぶい。

これはもっと集めなくてはという緊張感も少し感じて、ネットを切られないようにがんばる。

 

ここがいっぱいになるのだからたまんない。この劇場は最高です。

 

楽屋も畳で気持ち良い。新しく出来上がったTシャツを着て思いっきりはしゃいだ。

前の晩はマキタさんが食後にどうしてもボーリングがしたいといいはじめて、合計150歳のおじさん3人が若い人でごった返す繁華街のボーリング場に繰り出した。

マキタさんなりに、似たり寄ったりの地方都市のなかでも、場所なりの思い出を作ろうとしてくれたのかもしれない。

ホテルの近くの温泉施設なんかも調べたりして、レンタカーで一緒に行ったりもした。移動のときはだいたい食べ物の話。

 

福岡ドームを見学がてら王貞治記念館に寄ったら、そこから完全に王貞治ブーム。

王貞治のスピーチに感化されてそこからはずっと王貞治モノマネで会話。うんざりしたころにホテルに着いた。

公演に来てくださったお客さんたちはその突然の王貞治ブームに巻き込まれる形になった。

「なぜいま王貞治?」だれの頭にもあったかもしれない。

しかし、「なぜいま?」に対するアンサーなどはどうでもいいというのが我々のスタンス。理由が社会の時勢やお客さんの顔色をうかがってきめるのではなく、こちらにあればよい。それだけだ。あとはそれが面白いかどうか、それに尽きる。

しゃべった論は「第二芸能界論」。今年の夏は、自分たちの知っている世界とは別の「アナザーワールド」がキーワードだったような気がする。

今年起こった芸能界のいろいろことを、第二芸能界という考え方で包括してみた。

福岡には九州全土から許可局員が集まる。それがうれしい。しっかり地方にいる許可局員を捕まえられているのがうれしい。

アルパカ局員は熊本の人で、被災もしたし奥さんも亡くしたでずいぶん大変な想いをしたなかでも、この公演にかけてつけてくれた。

こういう顔の見える挨拶ができるのも地方公演ならではだ。顔を見せてくれるだけでいい。「元気だった?」「がんばってね」などの会話はそこに必要ない。顔を見せるだけでそれはわかる。

 

公演を終え、気の利いた店で軽く打ち上げ、と移動していたら千代の富士逝去の報。

もうそこからは飛行機に乗るまでずっと千代の富士と相撲の話しかしていなかった。

福岡はとにかく暑い。湿気がすごかった。それだけ人も熱かった。

 

あれだけウォリアーズを苦しめたサンダーのデュラントは、まさかの急転直下、突然のウォリアーズ入りを電撃発表した。

当然全メディア、全ファンが彼を非難する。フランチャイズプレイヤーでいれば安泰なのに。そしてだれもがそうなると思っていたのに。

彼はどうしても優勝がしたい。このチームで、というのがなかったのは実に意外なことだった。

これも受け入れるのに時間がかかる。しかし、おもしろくはある選択肢だ。

 

8月。

ツアーとしては初の名古屋公演。

大都市はオリジナルの番組を作るところが多いので、なかなかネットしてくれない。

CBCも最初の年はネットしていたもののその後ネットがはずれて愛知近隣の許可局員からも熱望する声が寄せられていた。

なにより許可局の長田Pのお膝元、ここは奪還したい。というわけで、ネットお願い行脚である。


福岡ドームで広島と中日の試合を観戦。ドアラの耳をつけたマキタさんがやけにファンシーだったのが忘れられない。

私は横浜の谷繁の第二の故郷と思っているので、谷繁のユニフォームを。

それにしてもひいきのチームではないチーム同士の野球観戦がこんなにストレスがなく面白いとは。なにより広島の内野の安定感を目の当たりにして、いままでハマスタで観てきたあの内野の守備はなんだったんだろうと思わず振り返ってしまったほどだ。


 

CBCの番組に出てその試合をレポート。パーソナリティの酒井くんという青年がまた好青年で、娘がいたらこういう男に預けたいと思わせる不思議な魅力をもった男だった。あとで聞いたらパーマ大佐の元相方だったそうだ。ふたりとも若いのにもう売れている。

結果を出すものははやい。

私の世代では、青木さやかと松田大輔が若き日に名古屋から出てきてともに活動していた。


優勝するチームの勢いというものを感じた試合だった。

広島サイドで中日を応援するという無駄な暴挙をした。

 

 

 

空き時間にはマキタさんと徳川美術館に。

ちなみに鹿島さんは後で聞いたら、三回目のゴジラ観劇に行っていたそうだ。

あまりに恥ずかしくて言えなかったようで、舞台上で告白していた。舞台上でっていうのが、あの人らしい色っぽさだ。

 

常滑のタイル博物館に行きたかったのだが、そこまでの時間はなかった。

どこでもいい、マキタさんや鹿島さんと歩きながら、あるいは飲みながらする話ほど、くだらなく、そして人生を豊かにしてくれる時間はない。

うらやましいでしょ?でもそれを一緒にやろうっていうのがライブなのだ。


名古屋のデザインホールは完全に許可局向きのホールだった。完璧!

ここは前売り段階で完売が早々と出た。東海全域から許可局員が集まってくれていたのもうれしい。

東京からの遠征組もうれしいし、でもそれだけで客席が埋まってしまっては地方にくる意味がない。

しっかりのその土地の人たちが来てくれるそのバランス。許可局員は本当にすごい。みんながすごい。




イベントスポンサーの4社、ありがとうございます!

 

名古屋公演が終わると8月が終わる。8月が終わるということは、三大ツールの最終戦、スペインのブエルタ・ア・エスパーニャがはじまる。

そして季節は秋へと向かっていく。

まだ暑い、まだ暑い、そう思ってだましだまし、あれほど憎んでいた夏を惜しみ始める。これを毎年繰り返す。

論は、野球はなんであんなに人を集めるのか、というところから端を発した「動員論」。

これがアナザーワールドで生きるひとつの尺度になっていく。

名古屋では鹿島さんの河村たかしモノマネ、そして木俣のモノマネなども誕生。これだけで完成しているイベントだった。

そしてこの後、CBCのネット復帰が決まった。

 

そして、許可局放送時間の変更、つまり月曜12時からの放送決定という報が急転直下もたらされる。

できれば中野で報告したかったのだが、その時点ですでに放送で発表になってしまうために、放送での報告となった。

セッション22からのミッドナイトセッション、個人的にも楽しみにしていた時間帯だし、鹿島さんも私も何度となくお世話になった番組枠だったので、これは身が引き締まる想いだ。

自分の活躍の場を作るために、自分が活躍した場を失う。だが、どんな苦境に立たされても受けて立つ、それだけだ。

許可局は人が油断している時間に放送されるのがベストだとも思うが、こういうラジオ的に熱い時間帯を任されるのもまたうれしい。張り合いがある。愛のない人たちに晒されて、的外れなことを好き勝手言われることも上昇するには大事なことだ。むしろうれしい。

 

ベイスターズは勝ちを積み重ね始めた。桑原が一番固定、エリアンの予想外の活躍、梶谷の上り調子、筒香のさらなる覚醒と、うれしいことが毎日のように起こる。そろそろクライマックスシリーズの参加権がもらえる日がくるかもしれない。が、それは決して口に出してはならぬような、呪いの呪文のような感覚もあり、口にした瞬間なくなってしまう氷のような願望だった。だが、今年はそれが現実味をおびはじめる。9月に入っても野球が楽しいのだ。

 

 

9月16日、金曜日。

今年は残念ながら平日の夜開催になった大東京ポッド許可局@中野サンプラザ公演。

2000人規模の公演は毎年やっているが、中野という、いわば許可局発祥の地に近いこの劇場でイベントをやる日がくるとは正直思ってもみなかった。

かわいいアイドルたちでもなかなか埋められないこの劇場を、おじさん3人が埋めるという事態のヤバさがいまだに受け入れられていないのだが、不思議なことにうまるのだ。これは時代に選ばれているのだろう。


 

舞台上から見るとどこも近くてお客さんの顔ひとつひとつがちゃんと見えるとてもよい劇場。

客席から見ると遠くに見えるが、さりとてまったく見えない感じでもなく、絶妙な味付けのされた劇場である。

サンプラザはなにより劇場に入るまでの赤いジュータンの階段が最高だ。

15万スポンサーの浦和 割烹千代田さん、J COMさん、そして8万スポンサーの皆さま、まことにありがとうございます!

こういうひとつひとつの積み重ねが制作費にあてられていくのです。

論は、「タツオ売れたい論」。なぜかこういう話になったのだが、野心のすすめを受けて、動員もして、アナザーワールドもひっぱっていくとなると、売れるしかない。私は売れるもんなら、売れたいです。改めて、そう思いました。

そのかわり、中途半端に売れるくらいなら、辞めます。研究とかしたいんで。少ないチャンスを作りに行きたいと思います。


 

許可局パンフレット!今回も読み応え抜群で爆笑!

そしてマキタさん、鹿島さん、私、それぞれ自分のコラムから読み始めるという自分好きっぷり。

許可ダスはこれからの許可局ファンにも読んでもらいたいね!


マキタさんの増位山以上に増位山な歌のコーナーは袖で観られる幸せ。

TBSの清水アナウンサー、秋沢淳子アナウンサー、ご協力ありがとうございます。

 

ゲストとして出演してくださった林真理子さん、そのパワーと現場対応能力といったら!

ありがたいです。

そしてサプライズゲストで猫ひろしが登場。猫よ、ありがとう。

お客さんも大満足。私たちも大満足。幸せの甕はいままさに、この劇場でいっぱいになりつつあるのかもしれない。

こうして許可局のジャパンツアーは終わった。

それと同時に、夏も終わった。

どうしてもこの大事な日に、という想いで参加してくださった2000人のひとりひとりに、書ききれない物語がある。

しかしなにがあろうと、いま目の前にいるお客さんが一番えらい、という高見沢さんの言葉を思い出さずにはいられない。

事情はみんなにある。だけど、来る人と来ない人がいる。どちらも悪くない。応援の仕方は人それぞれだ。

いつも聴いてくれている人だって、まだ私たちのことを知らない人たちだって、これから仲良くなれるんなら、そこはありがとう、だ。

 

横浜のクライマックスシリーズが決まった。ついに歓喜の瞬間が訪れた。

傷つくのを恐れて応援するのはやめた、これからは堂々と応援したい、と思ったときから、それほど時間はかからなかった。

翌日、また別の出来事が起きた。三浦大輔が引退を決めた。18の背番号が大きくプリントされた記者会見上、三浦大輔は私のなかで永遠の存在になった。

ありがとう、そして、ありがとう。

あなたのためなら、なんでもします。

 

ブエルタはキンタナが山岳を激走、ついに戴冠の時を迎えた。コロンビア人としは二人目だ。こいつの辛抱強さにはいつも勇気づけられる。

 

三浦の引退試合は一生忘れない。勝てばチームが5割復帰、三浦の連続勝利年数の記録もかかったなかで、彼は負けるのだ。ボロボロになるまで投げて投げて、涙を流して打席に立ち、グラウンドに立ち、それでも全員を納得させたのだ。

セレモニーでは初登板の遠藤、翌年の齊藤秋雄の名を口にした。「こういうセレモニーをやってもらえる選手になりたい」、まさにその夢がかなった瞬間であり、チームを動かず続けてくれたことも、これで歴史が繋がった。

彼は球団のだれもが、そしてこれから球団に入るであろうだれもが、憧れることができる存在になってくれた。こういう選手がいた、こういう選手になりたい、そう思わせてくれる人がこのチームには必要だった。

そしてそれは、怪物ではいけないのだ。無名の投手、ドラフト6位、まったく期待されず、ただただ愚直に練習を重ねる努力の怪物、だからこそ私は三浦から目が離せなかった。

彼の目にうつっていた2000年代は、そのまま私たちも一緒に見ていた光景だ。引退セレモニーで、そのすべてが報われた。

三浦大輔とおなじものを見、そして感じてきた。それだけで、あのつらい日々がいま、報われた。

 

 

10月2日、日曜日、快晴。

東京ポッド許可局ジャパンツアー後夜祭。

許可局は月曜24時から25時という非常にシビアな時間帯での放送を開始したが、私たちはいつも通りだった。このやり方でこれまでやってきたからだ。

 

この半年間、一週間に再放送とリアルタイム放送の二回を放送してくれていた全国唯一の放送局、それがYBS、山梨放送。

マキタさんは山梨出身、ゲストにきてくれた林真理子さんも山梨、鹿島さんも現在山梨で週に一回のレギュラー放送を抱えている、許可局は山梨との関係性が深いのだ。頼もしい放送局だ。

 

どうにかこうにか、後夜祭などできないものか、山梨放送に御礼できないものかと考えて、山梨での後夜祭を決行、

YBSが全面協力してくださって、公開録音の流れとなった。

ちなみにこの公開録音の様子は山梨でしか放送されない。こういう方法で地方のネット局を盛り立てることもできる。面白い!

 

マキタさん顔パスの店で食事、おいしいなめこそばをいただいて、YBSへ。

一階のロビーフロアをイベントスペースに設置してくださった。


YBSの写真を撮るマキタさん。

素敵な空間でした。山梨県内のお客さんも多くて、こんなにうれしいことはない。顔が見えるのは本当にうれしい。

観れば優しそうな顔をした人ばかりで、ニコニコして聴いてくれている。真面目なところでは真面目に。

そうだ。私たちが相手にしているのは、こういう人たちなのだ。ありがとう。

論は「おじいちゃん、おばあちゃん論」。

三代の地層がひとの行動には現れる。そして自分が初代か、二代目か、三代目か。それぞれにタイプがある。



ここのなめこそば最高でした。とりもつも。

 

完全に秋の訪れを感じる夜。6時頃には真っ暗になる空を見ながら、私たちはまたここに来ようと誓った。

この夏、マキタさんはだれよりも愛嬌のある皮肉屋だった。鹿島さんはだれよりもしたたかなピエロだった。二人とも芸人人生最高のキレキレの身体性と思考でイベントに臨んだ。負けてはいられない。自己記録はつねに更新。

記録の出やすい環境にさりげなくしてくれているTBSラジオ長田局員、八島局員、佐藤局員はじめスタッフの皆さま、オフィス北野スタッフにも大感謝だ。

 

今年もたしかな手ごたえを得て、お互いの顔をつきあわせての報告と、楽しく有意義な時間を共有することができた。

またあなたに会いたい。

私たちの方法論はまだ進化の途中だ。そしてこの時間はもう一回繰り返すほど私たちは若くない。大いなる一回性の活動だ。その一回性を、見届けてくれる人が必要だ。自分が死ぬときに、あの時見ててくれてありがとよと、メッセージしたい。

帰り道、虫のなく夜道を涼しく歩いた。

 

明日は米粒写経のトーキングブルース、「例大祭」だ。

居島さんと二人きりのステージの幕が開く。

 

2016.10.02

posted by: サンキュータツオ | ラジオ | 21:39 | comments(1) | trackbacks(0) |-
【渋谷らくご短観 2016年8月】

このご時世になるとブログはあまり私のことを知らない人には拡散せず、むしろ私のことを知っていたり文句を言う目的でロックしていたりする人だけが熱心に読むものだということがなんとなくわかってきたので(もちろん両者とも私は愛しているのだ)、

初心者向けの情報は「渋谷らくご」のHPに書くとして、ここでは備忘録的に、渋谷らくごのことを書く。もちろん初心者向けではない。

 

喜多八師匠が亡くなったショックからいまだ抜け出せずにいる。

それでもゆるやかに、前向きになれたのは、6月14日の18時、もともと喜多八・ろべえの「ふたりらくご」を予定していた一時間、ろべえさんがひとりで務めてくださった、あの高座からである。

 

昨夏、自転車に乗られなくなった師匠を拝見し、楽屋でのご様子、鬼気迫る高座の連続を目の当たりにして、この一年は、いかに喜多八師匠に気分よく高座を務めていただくか、それを中心に考えてきた。

渋谷らくごには構成と動員の核にしている演者が何人かいて、またそれぞれの世代やグループのハブになる人で、継続的に出演していただける方にお声かけさせていただいている。喜多八師匠はそのなかのひとりだった。

師匠とはとくに踏み込んだ話をしたことがない。21年に及ぶお付き合いのなかで、ご一緒することは何度もあっても、師匠の言葉の端々からいまどんなことを考えているのか、それを直接聞かずに間接的に接することが、自分としてはとても心地よかった。

私はどんな初心者にも、最初に落語の魅力を知り、また聞き分けを通して、次第にわかっていく魅力もまたひとつの魅力であることを知ってほしいと思っている。つまり、「最初わからなかったけど、そのうちわかる魅力」といったものの存在である。

むろん、本物は最初から伝わるという考え方もある。扇辰師匠や馬石師匠、圓太郎師匠に文左衛門師匠といった面々に継続的に出演していただいているのもそういう考えからである。

喜多八師匠はそういった意味でいうと、最初からわかる人と、最初はわからない人がいる、まことに奥深さを持った師匠だと考えていた。

別のおめあての演者を聴きに来たついでに、喜多八師匠を聴いて、最初はわからないけど、二回目、三回目と聴いていくうちに、とてつもなくすごいものに触れているという実感を、肌で感じさせてくれる存在だ。こういう演者がひとりはほしい。

同時に、元気のいい若手でガチャついた番組でも、しっかり自分の芸に引き寄せる静の芸。圧倒するタイプではなく、聴かせる力を持った人。真剣に聴かなくなったって、なんとなくでも情報が気持ちいいスピードで入ってきて、気付いたら別世界へと連れていってくれる人。かといって独善的ではなく、寄席的な時間の流れや、多様性をよしとしている象徴的人物。喜多八師匠の魅力を語りだすとキリがない。

演者さんすべての魅力を語りたいけど、語り切れないジレンマがある。

 

一之輔師匠でも松之丞さんでも、鯉八さんでも昇々さんでも吉笑さんが入口でも構わない。だけど、彼らを楽しむと同時に、喜多八師匠の芸の魅力も示唆することこそが、初心者向けとうたった渋谷らくごのやるべきことだと私は感じていた。

 

渋谷らくごを、短期的な興行と考える場合と、中・長期的な興行と考える場合、双方を考えたうえ、他の落語会の主催者にご迷惑をおかけしないバランスで、演者さんには慎重にお声かけしなければならない。

また、開始当初から不入りが続いた状況と、そこそこ入るようになった状況と、あまり入りすぎてもいけない状況によって、都度微妙に番組を構成し直していく。「なぜこういう番組になるのか」という疑問が生まれるほどに、まるで囲碁でもやっているように一見不思議な手を打つこともある。

メンバーをなんとなく固めつつも、固めきらないのも大事なことで、渋谷らくごの色をつけすぎてもその演者のためにならないことが多いし(敵視している人ももちろん多いので)、芸風によっては若手のころに結果をいそがず60歳で形になるように設計されているものもあるので、若手のうちに消費しないほうがいいものもある。演者を焦らさないことも重要だ。消費を生むと同時に、消費を急がせないことも考えなければならない。

 

しかし、日に日にまずい状況になっていく師匠が、決して渋谷らくごを休まない、それどころかむしろ楽しみにしているようにさえ見えてきたとき、もう少し先にと考えていた、立川左談次師匠にお声をかけずにはいられなかった。

談志師匠脱退前は、落語協会で交流があったであろうお二人。柳家で、酒が好きで、脱退前に協会で真打になっている左談次師匠は、おそらく喜多八師匠と普段は一緒になる機会が少ない、それでいて気が合うはずの二人。

左談次師匠の足の骨折からの復帰を待ち、渋谷らくご2周年となる2015年11月に、左談次師匠と喜多八師匠の邂逅は実現した。あの日の両師匠の笑顔はいまでも忘れることができない。

思うように歩けなくなり杖をついて会場の下までたどりついた喜多八師匠は、こんな格好兄さんには見せられねえなあ、と躊躇していたが、楽屋につくなり「兄さん、オレこんなになっちゃったよ〜!」と杖をもって明るくおどけてみせると、それを見た左談次師匠も自らの杖をもって「オレもだよ〜!」と答えた。久しぶりにあった二人がこんな会話からはじまるのだから洒落てる。芸人かくありたい。

 

「また兄さんとやりたいなぁ」とその日喜多八師匠はおっしゃった。何度か実現した。

喜多八師匠はそれからも、あいつとやりたい、こいつと出たいと、リクエストをしてくださった。

11月からは半年もった。師匠が亡くなる前の世界と後の世界は、確実に自分のなかで変わったはずなのに、目の前の世界はおなじなので現実感がない。

それでもふとしたときに思い出すと涙が出てしまう。

2016年5月31日、私はコンビではじめて新宿末廣亭の舞台に立った。余一会、喬太郎師匠と文左衛門師匠の二人会のゲストであった。二つ目では神田松之丞さんも出た。

その打ち上げの席で、喬太郎師匠の口から喜多八師匠の話をうかがったとき、本当に亡くなったんだと妙に現実に引き戻された気がして涙が止まらなかった。

20年前、あれほど追いかけた喬太郎師匠が目の前にいるという非現実的な光景なはずなのに、その口から出た言葉だからこそ圧倒的現実だった。

 

左談次師匠はあきらかに夜中のツイートが多くなり、しょうもないダジャレツイートの数が減った。

喜多八師匠の死をキッカケに、文都師匠(関西→談坊→文都。私にとって文都はずっとこの文都です!)や談大さんといった方々のことも思い出されているようだった。なんて愛の深い方だろう。

それでも渋谷らくごは毎月続いている。

演者さんはみんな熱演続きだ。お客さんもすれてなくてとても反応がよい。といってミーハーばかりというわけでもない。

 

左談次師匠はその後も名演続きだ。

喜多八師匠代演が出た5月は「短命」、6月は「町内の若い衆」に「万金丹」、7月にはトップで出た笑二さんが「弥次郎」をやったにもかかわらず談志直伝の「弥次郎」をかけて場内を沸かせてくださった。

 

これも6月の「渋谷らくご」で旅の噺を演ろうと稽古してきたものの出番前に旅の噺がついたことから「町内の若い衆」に変更、翌月またネタがついたという因縁を、逆手にとった策略でとても可笑しかった。中途半端にネタがつくならまだしも、完全におなじネタだったらむしろ面白いだろうという判断、悪戯心もあってとってもオシャレだと思った。

ちなみにこの日のトリは喜多八師匠の盟友、扇遊師匠であった。喜多八・扇遊・鯉昇の三師匠は一緒に出ないように心がけてはいたが、それでもこの日、楽屋に喜多八師匠がいらっしゃる気がした。杖に頬杖をついて、ニヤっとしてくれたかなぁ。

 

そんな左談次師匠が8月に体調を崩され入院、さきほど食道癌で闘病中と公表なさった。

食道癌は私の父がかかった病であるが、最初は症状がわかりにくい。進行もゆるゆると。

左談次師匠のことなので、お酒が点滴になったぶんむしろ元気になって帰ってくるのではないかと思うが、来年は落語家生活五十周年、完全復活をしてもらわなけれなならない。

「出ると病気になる落語会」とならないように、左談次師匠にはまだまだ働いてもらいたいのだ。「働け!左談次」って木村万里さんやってたなあ。あれで知ったクチ。

左談次師匠に気持ちよく高座にあがっていただくのが、渋谷らくごの新たなモチベーションのひとつだ。いまは回復を祈るばかりである。

 

 

ここ数ヶ月、落語に関しては徒労感を感じつづける日々だったかもしれない。

テレビの取材は画一的でどこも聞くことがおなじ、おまけに扱いが雑で客席でのマナーが悪いので極力断ることにした。

雑誌の取材も二時間くらいしゃべって、特集全体の構成までしたような感じなのに、記事になるのは5行だけ。いや、落語界全体を扱ってくれるならそれでもいい。それでも結局は「勢いのいい若手」と「動きの目立つライブ」だけで、定席への誘導があまりうまくはいっていない。

メディアとはそういうものだと言われればそれまでなのだけれど、じゃあその記事観て行こうと思った人にとって間口の広い場所でないと意味がない。その日一日限りの「点」の興行で勝負するタイプのライブをそこで紹介したとして、だれが得をするのか。

『赤めだか』のドラマ化と、『昭和元禄落語心中』のアニメ化が、どれだけの波及効果をもたらしているか。実測できている演者も会も皆無だろうが、私は如実に数字がわかるしなによりアクティブユーザーは落語心中のファンなのだ。そのことがあまりに触れられなさすぎだ。

『POPEYE』の取材が丁寧だったかもしれない。

ほかは落語好きなんですよといいつつ、志ん朝しか知らない記者だったりホール落語しか行っていない人だったりと意外と偏りがあって、なかなか信用できる記者がいない。それも無理もない。なにせ数が多すぎる。

初心者向け、を思い切って宣言しちゃったぶん、そういった人たちを引き寄せてしまうのは宿命なのだが、それにしてもおなじことばかり何度も言って、お金も出ず、アイデアばかり吸い取られて、扱われなかったりするのはむなしい作業だ。私はこれを生業としているわけではないから、完全にサービス残業みたいなものになってしまう。というわけで、今後の取材はまず資料を読み込んでもらいこれまでの発言を好きに使ってください、そのうえで聞きたいことがあったら、適した人や場所を紹介しますので、というスタンスにしていかざるを得なくなった。ありがたいことなんだけど、渋谷らくごのスタッフもひとりしかおらず連絡の手間だけでも相当な労働になってしまうのでこれはご容赦いただきたい。

と考えているところに、某公共放送の硬い番組から、最初にヒヤリングさせてください、と例によって業界の全体像を教え、データや出展を示し、渋谷らくごについて語り、最終的には紹介されもせず構成料もなし、というパターンのやつを引き受けざるを得なくなって、穏やかな気持ちでおしゃべりしたわけだけれど、せめて業界のためになるような紹介をしてくれるといいなあと、こちらも祈るばかりである。

ここで折れてはいけない。

文芸誌でもちょくちょく落語を特集していたり、渋谷らくごに出てくださっている演者の方のインタビューなども掲載されるようになった。もちろん、これまでの業界を支えてきている人々の尽力が大きいのであるが、こういった点と点を、線にし、面にしていく作業が定期公演の役割だろう。

 

渋谷らくごではないのだが、立川流の若手たちだけで行ったトークライブにこっそりと足を運んだ。

みなとても真摯で、現代的で、だからこそ傍らで観ていてもどかしいところもあり、考えることがたくさんあった。

こういう人たちが、努力し悩んだぶんの10分の1でも報われる状態にしたい。外部の人間ができるのはそこまでだ。

 

人が集まらなければさんざんバカにしていた人たちが、人が集まるとなると利用しようと近づいてくる。そういう人たちと敵対せずに、お互いにとっていいあり方を模索する。収益のノルマではなく、演者還元を第一に考えられるのが、これを生業としていない私の強みなわけだから、なんとか演者さんたちの一席入魂の情熱を、最大の効果を発揮できるところまでもっていきたい。

理念を共有できる人や企業に理解を仰ぎ、協力していきたい。

渋谷らくごは第二フェーズに突入しているのだ。喜多八師匠は、そこまで連れて行ってくれた存在だ。

 

 

8月は、二つ目の柳家わさびさんのトリの公演を核に、お盆興行に挑戦した実は非常に難しい月であった。

確実に動員が読める公演を一回だけ作り、興行初日のニコ生中継、毎週更新のポッドキャスト、ツイッター、HPで他の公演を推していく。

この方法が有効である限りは、これを続けていくことになるのだが、フタをあけてみればおかげさまで大勢のお客さんに来てもらうことができ、また満足度も非常に高かった。

当日券も堅調に伸び、わさびさんトリ回のみ札止めで、その他の会は当日でも入れる状態で維持できた。

 

土日、落語家さんの都内不在状態はこの会にとっては非常に危機的状況であることは変わらないが、それでもスケジュールをくださる演者さんたちには感謝しかない。だって初心者は土日に来るんだもん。

そういった意味では、13日土曜の創作らくごネタおろし会「しゃべっちゃいなよ」、14日日曜の14時圓太郎師匠トリ公演、17時菊之丞師匠トリ公演の内容の充実っぷりは尋常ではなかったと自負している。13土14時回も、左談次師匠の代演で、桃太郎師匠という私のスペシャルカードを使ってしまったが、お客様には満足していただけた。松之丞さんも柳朝師匠のトリも、素晴らしかった。

 

今月は、14日小辰さん、15日ろべえさん、16日文左衛門師匠と「青菜」3連発が聴けたのも楽しかった。

文左衛門師匠にいたってはネタ帳を確認してからの、もはや確信犯だったから連続公演ならではの楽しさだった。

14日20時からの「前座さんを見守る会」も公開稽古のファイトクラブ的雰囲気を帯びて、非常にスリリングな会だった。

15日の夜は、日ごろお世話になっているモニターのみなさんとご挨拶することもできた。

8月一番笑ったのは昇々さんの「千両みかん」、こしら師匠の「粗忽長屋」だった。菊之丞師匠の「もう半分」と、松之丞さんの「お紺殺し」は、両者とも納得の出来ではなかったかもしれないが、客席で観ていて心を持っていかれるほどおののいた。

全高座印象深かった。誇張でなく。

 

 

柳家わさびさん。

この演者さんの魅力は奥深い。古典の解釈、演出、表現力。新作のキャラクタライズにストーリー構成。

シブラクHPでも触れたが、なによりネタのチョイスのセンスが秀逸だ。

15日20時、欧州帰りの一之輔師匠が、無双状態で「加賀の千代」で沸かしまくったが、この日は事前にこうなることを予想して、新作を選択していたのだろう。結果、自分だけが目立つのではなく、吉笑さん、ろべえさん、一之輔師匠、わさびさんと、四者の魅力が引き立つ公演にしてくださり、実にわさびさんらしい公演になった。

とはいえ、この演者さんはまずはテキストの質を高めていって、技術を追いつかせていくタイプ。五十、六十のときその芸の全貌が明らかになっていく、強度優先の演者だと私は勝手に思っている。それでも現時点での魅力も充分ありすぎるくらい。

一席にかける準備が尋常ではないので、あまり消化しないように気を付けたい。

こういう特別な会は、なにより演者本人の満足度が客席の満足度になる。

そういった意味では、達成感に包まれた空気だったように思う。

 

八割愚痴になったけど、たまにはこういう毒抜きをせなば。なによりだれとも共有できないので、自分で忘れないようにしないといけない。

 

来月は、最終公演に文左衛門師匠が出る。渋谷らくごとしては襲名前の最後の出番になる。

真打昇進が決まっているろべえさん、志ん八さん、ポッドキャストでじわじわ人気の扇里師匠、そして文左衛門師匠。

みなさん最初の師匠は亡くなってしまった人たちで揃えてみた。少しだけでも師匠の思い出が聴けて、そして最後には前向きな気持ちになれる会にしてくれるだろうと確信している。

一之輔師匠、松之丞さん不在というこれまでにないピンチではあるが、こういったピンチをチャンスにしてこその興行だ。

すべての会が楽しみな会になった。少しでもお客さんを入れるよう、日々考えをめぐらせるとしよう。

 

原稿にもどらなければ。

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 02:45 | comments(1) | trackbacks(0) |-
【遅刻の言い訳】

わが中央線は遅延のデパートかってほどに毎日いろんな理由で遅延している。

 

最近はその遅延にも、いろいろと理由を説明しないと怒るバカがいるのか、それとも乗客の知的好奇心を刺激するサービスなのか、理由のバリエーションが増えて異様に細かくなってきている。自分が小さかった頃と比べると、天気予報と電車の遅延理由は、「そこまで知りたいって言ってねーよ」というレベルで細分化され説明されている。

 

電車にモニターがついて久しいが、だいたい電車のなかにモニターがあることに果たしてどれだけ意味があるのかもよくわからない。そして、遅延の理由はアナウンスだけでなく、都度このモニターに表示されるが、それを読んだからといって遅れている事実はなにも変わらない。乗り換える電車が遅延していると知れるだけでも、ありがたいか!

インフラに文句をいうのはよそう。

 

普段外国人留学生を教えていると、かならず出る意見に「日本の電車はなんであんなにうるさいのか。そして情報量が多い。電車が遅れるのは当たり前だし、理由がいちいち細かくてうるさい」というのがある。

電車が遅れるのが当たり前かどうかはその国の文化だからなんともいえないが、理由を説明されて「ありがとう」と思う外国人はあまりいないようだ。

 

 

こんな感じで出ている。

しかし、この表示をずっと見ていると、妙な日本語が増えたなと最近思うのだ。

外国人のような、日本語ファンタジスタが作った日本語だ。

 

ここでは

「〇〇は、車両故障の影響で、(全線運転を見送り、とか、30分の遅れが出ています、など)」

と書かれているが、

一番ぎょっとしていまだにそのインパクトが薄れないのは、

「線路内人立入」という言葉である。

 

線路内に人が立ち入った、というのは昔あまり聞かなかったが、この制度ができてから頻繁に起こっているような気がする。

酔っ払いが線路を歩いてしまうのだろう。

「線路に立ち入る」という発想があるのか!と、人々の脳にインプットされ、酔っ払いが酔った勢いでそのインプットされた潜在的な欲求で、立ち入る、という連鎖になっているのではないかと思ってしまうほどだ。

 

それを「人立入」と書いて「ひとたちいり」と読ませる変な熟語で表現しやがるのだ。

左右対称で、顔文字みたいで気持ち悪いこの三文字熟語(しかも送り仮名がないのも気持ち悪いのだ)は、まちがいなく電車用語から生まれた言葉である。

この感じだと、入間に住んでいる人間は、入間人。

プレゼントに人間が入っていた場合は、人間入。


こちらは「急病人救護の影響で」。

急病人が出たから遅れたのではなくて、

急病人を助けていたから遅れた、というニュアンスが「救護」なのかな。

それとも「急病人出現」という言葉の強さを避けかったのか。


 

こちらは「踏切内支障物の影響で」。

 

なんだろう、この肌感覚での違和感は。

踏切内に支障物があった影響で、となぜ言わない?



 

出ました! 「人立入」に次ぐ気持ち悪い日本語、「荷物挟まり」!

ニモツハサマリ……!聞いたことねーよ! 陰毛じゃないんだから。

まだニモツハサ家のマリさんだったらわかるんだけど、この造語のされ方には妙な気持ち悪さがある。語順も造語法も日本語らしくない。しかしれっきとした日本語になっているところが、日本語の懐の深さでもある。

 

百歩譲って「(ドアに)挟まった荷物の影響で」と言えないのか。

 

ここまで読んだ方はわかると思うが、

「〇〇線内での< X >の影響で」

という構文のテンプレートを用意して、Xに入るように無理に日本語を入力するからこうなるのだ。

 

つまり、これをプログラムした人間は、すべての遅延の理由が、名詞化できるという前提で考えていることがわかる。

さらにいえば、日本語の連体修飾節についての知識がなく、文の構造のなかで助詞「の」をほぼ英語のofと同様に扱っていることから、

文を構造的にとらえることには慣れているが、日本語学の知識に乏しい人間、

つまりプログラムの勉強に特化してきた人間、という像が見えてくる。

 

というのは、

「踏切故障の影響で」とか、

「停止信号の影響で」などと同列に、

 

「荷物が挟まった影響で」

「踏切内に支障物があった影響で」

「線路内に人が立ち入った影響で」

を扱えない人間だからである。

 

むろん「荷物挟まり」「人立入」「踏切内支障物」で意味はわかる。そのうえ文字数が節約できる。

むしろ「意味が通りさえすればよい」と「文字数をなるべく抑えたい」という欲が前景化して、ファンタスティックな日本語を創造していることに気が付いていない。

その証拠に、「ドアに挟まった荷物の影響で」を選択していない。というか「荷物挟まり」とて、理由としては説明されきっておらず、正式にはおそらく「ドアに荷物が挟まって、安全を確認できる状態にまでするのに時間がかかった影響で」なのだ。そういったニュアンスをすべて「荷物挟まり」という語で片づけようとしている。ドアへの影響は完全に後景化して荷物にピントがあっちゃってる。

この造語法でいくと、ハムのサンドウィッチは「ハム挟まり」だ。パンでハムを挟んだことよりも、ハムが挟まれてることが大事であり、挟むものはなんでもよくなる。フルーツサンドは、「フルーツにクリームをくっつけたもの挟まり」であろう。長くなっちゃった。

「洗濯挟み」ではなく「洗濯物挟まり」だ。

「高枝伐りバサミ」ではなく「高枝挟まり」だ。

しかし、こうまでして文字数を省略しなければならないかというと、そんなこともない。長くても3行くらいにおさまっちゃってるので、少々長くなってもそんなに問題ではない(現に別の表示はモニター二枚にまたがるものもある)。

 

「影響」という名詞には、タ形で連体修飾する「荷物が挟まった」とか「人が立ち入った」とか「急病人が出た」のほうが、日本語として「自然」だ。

しかし、この日本語は不自然だ!とクレームをつける人は、遅延の説明がないことにクレームをつける人よりは圧倒的に少数だろう。だからこうして日本語は新たな表現を獲得している。

 

非常に簡単な修正方法として

< X >の影響で

を、

< X >影響で

にするだけでいい。

「の」を消去して、X内に「の」がつくほうが自然なものとタ形のほうが自然なものを打ち込めばいいのだ。

それほど大変な作業ではないはずだ。

 

教えている留学生が「荷物挟まりで電車が遅れて遅刻しました」と言ったら「<荷物挟まり>なんて日本語はありません」と注意するところだが、こういう、必要に迫られて生まれたファンタスティックな日本語に対しては、「こういう事情があったんじゃないか」と上述のような妄想をすることで、無理やり自分の内なる感情を鎮めようと日々試みている。

新しい表現よありがとう、という気持ちで。

 

どこにも書くとこないのでここに書いてみた。

 

posted by: サンキュータツオ | ★コラム | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【告知 7.31@福岡 大濠公園能楽堂『東京ポッド許可局』ジャパンツアー】

ついにこの季節がやってきた!

TBSラジオ『東京ポッド許可局』のジャパンツアー。

マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオの三人がパーソナリティをつとめるラジオ番組のリアルイベントである。

 

予約は下のページにURLや、電話、またはファミマで!

7月31日 福岡 大濠公園能楽堂

東京ポッド許可局ジャパンツアー 福岡公演

 

ポッドキャストの無名な番組、手弁当で作りあげた番組が、いまは全国にリスナー(局員)をかかえ、ジャパンツアーをやるまでになって二年目。

アーカイブはクラウドへ移行しつつあるなか、ポッドキャストの命脈を細々と守るのと同時に、全国の局員へ会いに行き、その場でしか話せないことを話す。それが私たちのやり方であり、その場の売り上げがそのまま現場の制作費にあてられるという、リアルクラウドファウンディング、簡単な言葉でいえば「お布施」をつのる、その変わりその日最高のパフォーマンスをする、というものです。

この番組は、もちろんスポンサーを常時募集してますが、それでも支えているのは全国の許可局員です。株主総会的なノリできてください。

 

昨年は500のキャパがようやく埋まってるように見える感じでした。

今年は前売り残り数十枚というところまできているようですので昨年よりは売れています!

ですが、まだまだお友だちを誘っていただく余地があります。

あるいは行こうかどうか迷っている人、来ちゃいなよ。っていうわけで、

電話でもファミマでもCNプレイガイドでも。

 

大げさにいうと、地域の文化を支えるのオレだ!私だ!という、痛い使命感を持っている人にぜひ来てもらいたいです。

だって、ほんとにそうなんだもん。文化にアンテナ張ってる人が、この許可局のイベントには来るので。

 

出会いは必然なのです。

posted by: サンキュータツオ | お知らせ | 16:01 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【告知 7.29@福岡で春日太一さんとトークショー】

7月31日の「東京ポッド許可局」福岡公演にさきがけて、ちょっと早めに福岡上陸しちゃったよの人から、金曜夜なら空いてるぜという九州の方まで、なんなら午後半休とって長崎や鹿児島から駆け付けるよって人にもオススメのトークイベントを、

7月29日(金)、映画史・時代劇研究家の春日太一さんと行います。

こぞってくるように。

 

春日太一の九州応援チャリティトークイベントin福岡

このイベントの、ゲストとして出る模様。

19時開演。書籍フェアみたいな感じで、ふたりがいままで出してきた本の話や、お客さんからの質問にバシバシ答えるような感じだと思います。

サイン会もするよ!地方仕様のスタンプもつけますよ!

なにでサンキュータツオを知ったかなども、サインするときに言ってくれるとうれしいです。

 

場所は福岡市大名というところの「LIV LAVO」というところ。

ネットからでも予約できるようなので、ぜひ楽しい金曜の夜にしましょう。

会場でお会いできるのを楽しみにしております。

 

『春日太一の九州応援 チャリティトークイベントin福岡』

(上をクリックするとイベントの詳細が表示されるよ。チケットの予約もできるよ)

open18:30/start19:00
前売り¥1,500 / 当日券¥2,000(ドリンク別)

 

売上は熊本で被災された方へ寄付します。

 

posted by: サンキュータツオ | お知らせ | 15:46 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【7/24 「朝日中高生新聞」インタビュー掲載】

朝日中高生新聞

7月24日号

「エンスタナビ」という紙面でインタビューが掲載されています。

記者の松村さん、ありがとうございます。

 

受験について、ということだったのですが、シビアにしゃべりました。

私は人生で一番がんばった受験は大学院の修士課程の入学試験でしたが、

中学受験、大学受験とみてきて考えたこと、

そういったものをしゃべりました。

 

試験は頭の良しあしではない、ということ。

むしろどれだけ努力し、ゲーム巧者になれるかという「ゲーム」でしかない。

 

そして、「やりたいことはなにか」などと18歳や22歳、ましてや12歳などにいきなり突きつける社会の風潮があるが、そんなものは「選ぶ側」が用意した「どういう答えを用意している人か」というゲームでしかないこと。

 

そういったことを語ったのを、松村さんがマイルドにまとめてくださいました。

ありがたいっす!

 

「自分のやりたいことってなんなんだろう」

「夢なんてあるのか?」

「やりたいことが、既存の仕事にない、ってか完全にお金にならないんだけどオレはおかしいのだろうか?」

 

そうやって悩み、病んでいく人たちを大勢観てきました。

不思議なことに、学歴がある人ほどこういうことを言い出すのです。

文系の大学院はうつ病などの巣窟と化していました。それでみんな修士でやめてくのです。

それはそれで必要なふるいなんだけど。

 

やりたいことが「だらだらしたい」の人はどうすればいいの?

「やりたいことは、どうやらない」と自分と向き合って気付いた人は生きてちゃいけないの?

 

そんなことはありません。

安心してください。やりたいことがあり、そしてそれがお金になる既存の仕事であることのほうが、異常なことだと私は思ってます。

 

そんなことは考えず、ひたすら「どうゲームをクリアするか」ということだけなのです。

 

 

 

posted by: サンキュータツオ | お知らせ | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |-