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【渋谷らくご短観 2017年1月】

ひとまず、この2年強の「渋谷らくご」の集大成ともなった1月公演が無事終了した。

 

全公演、

二つ目のトリ公演。1年半前に夢想はしてみたが、到底無理ではないかと思っていた5日間10公演の興行であった。

 

渋谷らくごは動員を主目的としているわけではなく、

初心者の掘り起しと取り込みを主目的としているので、

動員のことはあまり気にしていないのだが、それにしても赤字はまずい。そんな心配もあったものの、ふたをあけてみれば、安定したお客さん入り具合で、赤字になるものではなく、

この2年で育った二つ目さんたちの奮闘、動員力には目を見張るものがあった。

ひとえに、演者さんたちのおかげである。

また若手を盛り立てる真打、ベテランの出演陣も嫌な顔ひとつせず引き受けてくださって、本当に感謝してもしきれない。

 

太福さん、松之丞さんはいまはジャンルを象徴するアイコンになりつつあるし、

吉笑さん、鯉八さん、小痴楽さん、昇々さん、わさびさんは二つ目の勢いと、時代を象徴する存在になった。

また、各団体からこのような才能が伸びてきたことは喜ばしいことだ。

ろべえさん、志ん八さんは、私の世代にとっても特別な存在だ。今年は真打に昇進するこの二人は、渋谷らくごを支え続けている縁の下の力持ち。古典落語の演じ手として、今後数十年は業界を牽引していってほしい存在であるので、渋谷らくごのような、ある意味で「がちゃついた」場所にもどうしても居てほしい存在だった。

 

普段は新作に重きを置いて活動している志ん八さんであるが、そもそも落語を演じるスキルが非常に高いこともあり、ここでは古典縛りで踏ん張ってもらっている。

あまり人の言うことを聞かないのがピン芸人、なかでも落語家はその言ったことの逆をやりたがるウルトラ面倒な人種だと、漫才師としては感じていたので、非常に勇気のいる提案だったが、志ん八さんは二つ返事でOKしてくれた。

この「求められるもの」にストレートな姿勢こそ、この落語家さんの偉大なところだ。

 

フィラーや言いよどみがほとんどない統制された語り口、

べったりやりすぎない美学、

しかし想像に必要な情報はきわえてコンパクトに的確に伝えてくる。

人柄(の演出)も、だれも敵にしない優しいもので、ニッコリ笑うだけで場がなごむ。

この方の落語は他に代えがたい。

よってこの月の公演の千秋楽のトリをお願いすることになった。

直前には、馬派の大先輩、馬石師匠という大プレッシャーをかけたつもりが、それすらさらりといなすような「子別れ」は、だいぶ前から決意したと見えて当日は黒紋付きで登場した。

この人はもうすべての面で真打に値する。

そう感じさせてくれるに充分な高座だった。

 

鯉八さん、太福さんは、2015年の渋谷らくご大賞と、渋谷らくご創作大賞の揃い踏み。初回の公演からアクセル全開で、フラッと当日券で見に来てくれたAR三兄弟の川田くんも喜んでいてくれた。私が大好きな、渋谷らくごを象徴する存在の二人の競演。

 

左談次師匠のうしろでトリを取るはずだった吉笑さん。直前にはPOISON GIRL BANDという漫才をあて、吉笑さんの世界に誘うのに自然な世界観、そして脳みそに負担をかけないスピードとネタで、この会も素晴らしかった。

 

文菊師匠のあとにあがったろべえさん。

扇辰師匠のあとにあがった鯉八さん。

いずれもプレッシャーがあったかと思うが、それでも負けじと自分の世界をしっかりと演じきってくださった。

意外とこうした実力派真打のうしろでも、語るスピードや相性次第で自然に流れができあがっていくものである。

 

春蝶師匠のあとの松之丞さんはまさに「激突」といった感じで見応えがあったし、この前々日、講談版の「明烏」(歴史は講談のほうが古い)を渋谷らくごで明るく語った松之丞さんとのコントラストもすごかった。二回の出番でしっかり両面出してくるところは、常に新規のお客さんのことを意識してくれているように見える。それもうれしい。

今月もっともストレスをかけたのは、一之輔師匠のあとの小痴楽さん。いつもこういう日は出番前までやる演目に悩んでいる。

特別な場所でなにをやるのか。それをギリギリまで悩みぬいてくれているだけで私はうれしい。おさん師匠「松曳き」圓太郎師匠「藪入り」一之輔師匠「浮世床」小痴楽「佐々木政談」。素晴らしい番組だ。チャレンジ全開ではないか。

 

創作鬼軍曹の彦いちと二人で、2016年渋谷らくご創作大賞に輝いた粋歌さんははやくもモキュメンタリーとしての評価の高い「落語の仮面」をかけてくれた。

昇々さん、遊雀師匠、百栄師匠とお客さんが大満足の状態でのトリも、わさびさんにとっては難しいかなと思ったが、「明烏」が炸裂して最高だった。私はこの落語家さんの「紺屋高尾」「死神」「明烏」、どれも好きだ。現役ではもっとも好きな演目かもしれない。それくらいの存在だ。そろそろ真打が見えてきている二つ目としてはもっとも堅実な成長を遂げている人だろう。

 

最終日の昇々さんの1時間は、2016年渋谷らくご大賞の名に恥じぬ名演。

この人は時間を伝えて、あとは自由にやってくれ、が一番いいかもしれない。本人なりに納得のいかないところもあったようだが、課題が見つかるのはすごいことだ。まだそれだけ成長するという隙があるということを意味しているし、それを自覚できるという状態がもっともよい。人から指摘されて気づくようでは、表現者失格なのだ。

 

満足の10公演。

現状、これ以上はないのではないかというほどの見応え充分の公演だった。

しかし、これが「渋谷らくご」の最終回ではない。

次のステージに飛ぶ。

 

2月は一転、磐石の真打陣がトリをとり、これまでにない安定を求めた。

あくまでこの場所は、一度も落語会に来たことがない人を対象しているからだ。

 

渋谷らくごファンが増えているという話を聞く。それはうれしい。

ただ、ファンで群れてしまってはこれまでの落語会となんら変わらないし、落語家さんとの距離感がここはベストだと思っているのだが、外の会にいって近くなってしまうのも考え物だ。

ひとまず、ここを経過したら寄席に足を運んでもらいたい。

そういう導線をいかに構築していくか。

またそれにふさわしいメンバーとはどんなものなのか。

 

引き続き考え続ける日々に戻る。

 

2月も全公演自信がある。最高だ。

なんでこの「場所」をドキュメンタリーのカメラが追わないのか、本当に謎だ。

 

渋谷らくご短観 2016年12月

渋谷らくご短観 2016年11月

渋谷らくご短観 2016年9月、10月

渋谷らくご短観 2016年8月

 

 

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 14:49 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【『昭和元禄落語心中』関連イベント 出演報告】

現在放送中のテレビアニメ『昭和元禄落語心中』。

 

現在こちらの作品の、ウェブ配信番組

智一&勝平の落語放浪記

にて、

案内人として私サンキュータツオが出演しております。

主役の与太郎(助六)役を演じる関智一さんと、評論家のアマケン役を演じる山口勝平さんのお二人と、

落語にゆかりのある場所や人を訪ねていくという番組。

おじさん三人で適当なこと言ってぶらつく、楽しくゆるい番組です。

途中から、食べたいものの話ばっかりという。これが最高。

 

第一話では、早稲田大学の演劇博物館「落語とメディア」展にうかがったり。

(このときご出演いただいた、企画・監修の宮信明助教が「2016年度春学期早稲田大学ティーチングアワード」受賞! 科目名は「三遊亭円朝の世界(入門)」、おめでとうございます!これは快挙です!)

 

はなし塚、芝浜探訪、浅草散策(柳家わさびさんに案内してもらいました)など、

作品から落語全体に興味が広がるようなコンテンツで、キングレコードさんには大感謝!

この1月31日には都内の寄席各所で同時に「落語心中寄席」というコラボ企画もあったり、

本当にこの作品が業界にもたらして貢献ははかりしれません。

作品が骨太に落語を扱ってくださっているおかげで、新しい世代のお客さんがすんなり客席に入ることができています。

ここに、2000年代からずっと受け入れの努力をしてきた業界が見事に応えた形で、

最初はマンガやアニメのことをよくわからなかった業界の人たちもいたかもしれませんが、

業界も作品を知り、今後10年、20年と落語に触れてくださるお客さんがひとりでも増やしてもらえたらうれしいです。

これマジで。

こんなチャンスは二度とないレベルだと言っていいと思います。

「渋谷らくご」も、こういう機会に居合わすことができたことは、ありがたいことです。そういう使命だったのでしょう。

微力ながら、受け皿のひとつになれたらと思っています。

 

1月21日、銀座三越とのコラボ企画「昭和元禄落語心中展」でのトークショー。

 

原作者の雲田はるこ先生、声優の林原めぐみさん、そして私の三人で、作品について語る会。

もう黒山のひとだかり!

何百人というひとたちが訪れ、実在すら信じられていないレベルのお二人を肉眼と肉耳で確認しにきたんでしょう、盛り上がりました。


みんな浴衣で登壇したんですが、これも落語心中コラボ浴衣。

生地も物販スペースで販売していて、さすが百貨店、元呉服屋だけある!

素晴らしい時間でした。

 

 

また、1月のとある日には、「智一&勝平の落語放浪記」のロケ。

楽しかった収録もいよいよ終盤です。

 

都内のビルから東京の街を見渡す関さんと勝平さん。

「ねえねえ、あの建物なに? ロボットみたい」

「……たぶんロボットだよ」

というなんとものんきな会話も、聞けなくなっちゃうなあ。



 

 

1月28日(土)、ニッポン放送の吉田尚記アナと私の共催であるイベントである「声優落語天狗連」。

吉田さんとは、落語とアニメという、ひと昔前だとだれからも気持ち悪がられていた趣味を、唯一話し合える。

そんな私たちには、このチャンスしかない!ということで、

声優さんに落語にチャレンジしてもらうコーナーと、落語家さんに「昭和元禄落語心中」の作中に出てくる噺をしてもらおうというイベント。そんなイベントももう八回目。


 

今回の声優落語チャレンジは、高塚智人さん。

「たらちね」を。素晴らしかったです。

毎回思うのは、声優さんたちの個性のちがいと、それぞれ別のポテンシャルの高さを持っているということです。

声優さんが落語をやってくれるのは、吉田さんのおっしゃるように、文化として根付かせていきたいものです。

写真は、高塚さんの高座姿を見守る、稽古番の立川志ら乃師匠。自分のこと以上に、責任感じるから大変な役回りですが、いつも引き受けてくださり感謝です。

何度も言いますが、志ら乃師匠の落語も絶品ですからね!

 


 

本職の落語家さんによる実演のコーナーは、「渋谷らくご」でもおなじみ柳家わさびさん。

このコーナーは、基本的には真打の師匠方にお願いしているのですが、

今回は「死神」という演目をかけていただくにあたって、個人的に現役世代ではもっとも感銘をうけた「死神」の演じ手である、わさびさんにお願いしました。

この人はすごいです。この人は、「明烏」も「紺屋高尾」も「死神」も、すでに真打のレベルにあります。それどころか、解釈や表現力という面でも、このアプローチの落語においては到達点にいるかもしれません。それほどにゾクゾクする瞬間がこの人の落語にはあります。新作もすごい演目がたくさんあり、今後が非常に楽しみです。


 

「びーわさ」こと、柳家わさびさんと。

 

『昭和元禄落語心中』は3月まで続きます。

先日はアフレコ現場もお邪魔して、現場の声優さんや監督さん、スタッフさんの士気の高さ、プロの現場というものの雰囲気を体感してきました。

歴史的な作品を、少しでも多くの人に知ってもらいたいです。

 

今期は『霊剣山』や『幼女戦記』と並んで、全国民必見です。ウソです。『昭和元禄落語心中』だけ見てください。

アニメ好きは上記二つも観るように。

 

以上

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 03:50 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【TBSラジオ『荻上チキ Session22』 昇々さん、松之丞さん、タツオ 出演回アーカイブ #シブラク】

TBSラジオ『荻上チキ Session22』

サンキュータツオ Presents 新春企画「Session新世代寄席」

▼サンキュータツオ&春風亭昇々&神田松之丞

 

1月6日(金)夜10時からの番組のなかで、およそ1時間を頂戴し、

現在の落語界と、「渋谷らくご」についてお話する機会を得ました。

二つ目代表として、渋谷らくご大賞の 春風亭昇々さん

また、落語にもっとも近い場所にいる男として、講談師 神田松之丞さん、

このお二人をゲストに、ネタに語りにやっていただきました。

 

音声が、上記URLから聴けるようになっています。

1ヶ月限定です。

 

彼らは落語芸術協会の若手二つ目ユニット「成金」のメンバーでもあり、

若い世代の演芸ファンを牽引する存在でもあります。

 

これで興味持ってもらえたなら、都内の各寄席(新宿、上野、池袋、浅草)か、渋谷らくごにいらしてくださいね!

渋谷らくごのポッドキャスト や ツイッター もフォローよろしく!

 

 

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【渋谷らくご短観 2016年12月】

2016年の渋谷らくご大賞、おもしろい二つ目賞は春風亭昇々さん。

2016年の渋谷らくご 創作大賞は、三遊亭粋歌さん。

 

お笑いナタリー:春風亭昇々が「渋谷らくご大賞」、三遊亭粋歌が「渋谷らくご 創作大賞」受賞

 

ようやくこの会の賞がナタリーさんに記事にしてもらえるようになった。

予算がなくても落語会はここまで盛り上げることができるというのを示していきたい。

 

iPhoneImage.png

 

昇々さんは一年間、ホントにすごいパフォーマンスの連続だった。

私はいろいろやっているから、そのなかのひとつだろうくらいにしか思っていない人もいるかもしれないが、

「渋谷らくご」は私がホントに命を削ってやっていると誇れる会だし、

この2年、私の生活は渋谷らくご中心、それに米粒写経の活動、これでまわっているといっても過言ではない。

だれかドキュメントとして撮影し続けてほしいくらいである。

それくらいいろいろなことが起こっている。

 

昇々さんはNHK新人落語大賞に2年連続で出場していながら、優勝できなかった若手の落語家。

受賞された演者さんももちろん素晴らしい。

だが、ハッキリ言ってこの賞の存在って、落語ファン以外にだれが知っているんだろうか。

落語家さんは落語界でよく話題にしているし、それしか大きな賞がないから感覚がマヒしちゃっているんだろうけど、

私の感覚からいうと、お笑いの世界のコンテストであるM-1、KOC、R-1などと比べると、注目度から言っても、世間の人が知っている賞とはとてもいえない、コンテストのためのコンテストのようなものだ。

正直言って、大賞をとっても、とらなくても、そんなに世間的に差のないものだと思う(もちろん、賞の存在価値は充分にあることが前提です。絶対あったほうがいい賞です。)。

だから結果はむしろ関係ない、怪我しても大丈夫な自由な場所、

と端から見てれば思うのだが、実際に出る側から考えると、そうはいっても負けたら悔しい大会なのだろう。

演者はどんなに小さい戦いでも、勝敗がつくことに過剰に敏感だ。私だってっそうだ。

それは、スポーツのように数値化できないものであるから余計に。

勝敗がナンセンスだからこそ余計に。

数値以外のところを評価されるような、内申書と面接で落とされるような、そんな無駄な敗北感を味わってしまうもの。

 

とはいえ、「落語らしい落語」と「自分らしい落語」の選択で、前者を選択している賞に未来はない。

昨年の鯉八さんにしても、昇々さんにしても、自分らしさの追求こそが落語の進化でることを、だれよりも雄弁に語っているではないか。

「落語らしい落語」という失点のないゲームのようなものからは、幻想としての「落語はこうあるべきである」という固定観念しか見えてこない。幻想を追った時点で落語は死ぬ。落語は時代に合わせて変化(あえて進化とは言わないが)してきた芸能だからである。というか、そもそもコンテストにあるべき「理念」がまったく見えてこない会がほとんどだ。

そしてこれは、落語会としての「理念」がないからにほかならない。

 

昇々さんがコンテストで一番になれなかったことをどう思っているかわからないし、この賞の結果を受けて大賞を決めたわけでもないのだが(というか気にもとめていなかったのだが意外に演者さんは気にするものなのだ)、今年の昇々さんはだれが見たってキレッキレだった。

だから、アンチテーゼとかあてつけとかでなく、2016年の「渋谷らくご」はこの人だった。明らかに昨年よりも成長していた。志が高かった。

「置きに行く」ということをまずしない、二つ目らしいチャレンジ精神にもあふれていた。

「渋谷らくご」的には、会のコンセプトを体現する二つ目として今年もっともふさわしい人だと思った。

 

受賞理由は表彰状にしたためました。以下、全文抜粋。

 

渋谷らくご大賞2016
おもしろいう二つ目賞
春風亭昇々 殿

 

受賞演目:8月14日「千両みかん」、7月11日「初天神」、4月12日「誰にでも青春2」、8月13日「寝坊もの」

 

貴殿は、2016年の一年間、この「渋谷らくご」においてもっとも活躍目覚ましく、またおもしろい二つ目でありました。
落語を身体に入れてしゃべるだけでなく、高座では全力で落語と戯れるという狂った姿をお客様に合わせて披露するという、
常人や並の真打でさえ怖くてできないことを、二つ目にしてすでに体得していることに大きな衝撃を受けました。
また、狂気の遊び心で、落語ファンのみならず、初心者や若い人にまで届けるパフォーマンスは、この渋谷らくごのコンセプトを体現している存在です。
古典落語の斬新な演出だけでなく、創作においても連作を披露したり、常に準備を怠らないストイックな姿勢は、
一席だけとっても、また一年通しても、もっとも評価されるべき稀有な存在だと思います。
まくらから本編まで、だれでもわかる言葉で、マンガ的なキャラクタライズでコミカルに演じ、
古典や創作といった境目なく「昇々落語」を確立して多くの観客を魅了しました。
平成のポンチ絵派とも呼ぶべき落語に、大きな可能性を感じ徹底してふざけきりました。
よってここに、この一年おもしろい二つ目であったことを称え、貴殿を渋谷らくご大賞といたします。

2016年12月13日
渋谷らくごキュレーター サンキュータツオ

 

マジですごい領域にいる。もちろん、二つ目らしいムラはあるのだが、それでも大一番で、大注目の高座で、「ふざける」というのはもっとも難しい。そこに挑んでいるのはこの人くらいじゃないだろうか。普通は、すべれない高座であればあるほど、どうしてもテキストを固めたがる。そして再現できる一席を追求する。だが、それができたうえで、想像してくれるお客さんと一緒に作り上げていくのが落語の魅力でもある。となれば、お客さんに合わせてふざける力は、早晩必要となってくる能力だろう。彼ははやくもそこに挑んでいる。

前日に代演が決まった「創作らくご」のネタおろし、ひとりで一時間自由に戯れた「ひとりらくご」、古典に負けない「昇々」という個性で昇華させた「千両みかん」、創作での連作化に踏み切った「誰にでも青春2」。どれも印象深い。

渋谷らくごでプッシュしてしまったがゆえに、見えざる敵を作ってしまったら、彼に申し訳ない。なんとかしていろんな人に届けたい。

 

・スター性がある。

・落語がおもしろい。

・「自分の落語」を追求している。

この3点を評価軸にしたとき、すべてを兼ね備えた存在だった。

表現者として、どれかひとつ欠けてもいけないと思っているが(スター性のない、ふつうの人が落語家になっているパターンは山ほどある)、昇々さんは3つとも満たした存在だ。

 

 

 

三遊亭粋歌さん「プロフェッショナル」。

彼女の創作には、聴く人に喜怒哀楽といういろんな感情をもたらす「感動」があった、というのが審査員全員の意見だった。

このような才能がしっかりと評価されるべき場所、というのを創り上げることにこそ意味がある。会の理念にもぴたりとハマった存在だ。

桂三四郎さんの創作も完璧だった。おそらく、渋谷らくご以外、どこのコンテストでも優勝できるあまりにも見事な創作らくごだった。

もう少し審査は難航するかと思われたが、他ジャンルと並列化させる落語、という意味でも、去年の会話劇から物語性まで乗っけてきた粋歌さんにだれも文句はなかった。最高の一席でした。

残念ながらスケジュールの都合で出られなかった瀧川鯉八さん「長崎」、三遊亭彩大師匠「艦内の若い衆」、このエントリーが実現しいれば、またちがった結果になっていたかもしれない。

 

 

賞は難しい。傷つく人を生んでしまうから。だから出すほうも傷つきながら出さなければいけない。この人にあげたかった、この人も評価したい、そういう気持ちがどんどんあふれてしまって、どこかでケリをつけないといけない。

でも、出すことで少しでも彼ら、彼女ら、そして落語(なかでも渋谷らくご)が注目されるのであれば、それがいい、という判断で創設したものである。思ってもいなかったのだけれど、2回目ができた。いまはそういう想いだ。

 

 

「渋谷らくご、俺は出られへんの?」

笑福亭鶴瓶師匠は、私の目の前でたしかにそうおっしゃった。

2016年9月、春日太一さんが鶴瓶師匠にインタビューしたのがキッカケで、私は春日さんに連れられて、鶴瓶師匠のスジナシの公録にお邪魔していた。

鶴瓶師匠の青山円形劇場での「鶴瓶噺」に毎年通っていた。それが2000年代初頭の「六人の会」(東西落語研鑽会)で落語に挑みはじめ、最高のパフォーマンスを披露し続けた。この師匠は、単なるお笑いタレントではなく、やはり落語家だったのだ。畏敬の念しかなかった。

「青木先生」初演から数年、「わせだ寄席」にも出演していただいたこともあり、また、渋谷らくごの楽屋にも、遊びにきてくださったことがあった。メディア出演も一番多く、お笑いタレントとしても第一線、それでいて落語も最強、というまさに理想の落語家像が鶴瓶師匠であった。「鴻池の犬」や「死神」といった演目も、この師匠にかかるとこれまで見たこともない超展開が待っていて、遊び心と心の余裕があり、だれにも負けない自負のようなものまで感じられて、プロレスファンが格闘技のなかで「プロレス最強説」を唱えるように、私はお笑いファンのなかでも「落語最強説」を絶叫し続けた。その精神的支柱の中心に鶴瓶師匠がいたのだ。私が考える、日本一の理想の落語家である。

そんな師匠から、このような形で逆オファーをいただくなんて、こんなことあるだろうか。

 

「出してよ」じゃないのだ。「出してもらえないの?」のニュアンスなのだ。この一点だけとっても、この師匠が売れている理由がよくわかる。どう伝えれば相手が喜ぶのか、どう伝えたらかわいげがあるのか、どう伝えたら気持ちが伝わるのか。知り尽くした者にしかでない一言だ。

 

師匠はこのような縁を大事にしてくださる方だった。そしてだれよりも敏感に、いま出て楽しそうな場所、と「渋谷らくご」をとらえてくださったのだった。

それにこたえるべく、こちらも「お楽しみ」として名前を伏せて、渋谷らくごの主役たちを観に来た初心者に、鶴瓶師匠をぶつけるべきだと考えた。師匠を聴いてもらいたいのは、渋谷らくごのお客さんなのだ。

 

11月には骨折の報が入り、無理はしないでいただきたいなと思いながらも、それでも骨折後最初の高座に「渋谷らくご」を選んでくださった師匠にはホントに頭があがらない。

マネージャーさんからしてみたら、こんな不採算事業はないと思われるのだが、それでも最後まで快く応対してくださった。

スタッフ全員を打ち上げまでお声かけくださり、さらにご馳走してくださった。

爆笑王の夜。

渋谷らくごの舞台に鶴瓶師匠があがった際の、お客さんの歓声、そして多幸感あふれる空気、最高の高座、忘れることができない。

師匠、マネージャーさん、まことにありがとうございます。

 

立川談笑師匠、年に一度この「渋谷らくご」に出ていただいている最高の師匠だ。

パワフルで、創意に満ちていて、古典への愛と非情さ(つまり優しさ)もあって、常に高座と空間を特別なものにしてくれる。

この2年はひとりで一時間の高座をお任せしていたのだけれど、今年は三代目文蔵師匠との「ふたりらくご」。こんな贅沢な番組はない。

まるで歌うような「片棒・改」、改作にしてもあそこまでリズムカルに言葉を整理してスピーディに、そして爆笑巨編に仕上げるのだから、数百年の古典の錬磨を、ご自身で成し遂げたことになる。それくらい感動的な「片棒」なのだ。

こういう師匠のことを、落語に興味をもった人は追いかけてほしいなあ。弟子に吉笑さん、笑二さん。

追いかけるのに最高の一門じゃないか!

談笑師匠、ありがとうございます。

 

そして、安定した動員になった12月、その功労者はもちろんレギュラー出演してくださっている落語家さんたち。

彼らの奮闘があってこそ、特別ゲストが「特別」になる。

古今亭志ん八さんの「甲府い」が良かった。この人の軽妙洒脱な語り口、それでいて決して人をバカにしない品の良さ、温かい目線。技術的にも、想像するのにちょうどよいスピード感とコトバの量で、圧巻の一席だった。

1月、この志ん八さんをメインにした公演を千秋楽に仕掛ける。馬石師匠という達人の後に、この志ん八さんがどうやりきるのか、いまから楽しみで仕方がない。

志ん八さんにトリをお任せするのが今回がはじめてだ。しかしもう堂々たる高座の連続で、そんなものには頓着ないほどの方なので安心している。あとはどの演目を選んでくれるのかが楽しみだ。

 

 

2017年1月公演は、ひとまず、これまでの「渋谷らくご」の集大成。

この2年、ひとりひとりスポットをあててきた二つ目さんたちが、揃ってトリをとる。

この構想を固めたのは、2015年9月であった。ついにそれが実現する。

 

プレビューには、それぞれの演者さんのキャッチだと自分で思っている二字熟語を冠した。

「最高」玉川太福

「才能」立川吉笑

「抜群」柳家ろべえ

「天才」瀧川鯉八

「震撼」神田松之丞

「奔放」柳亭小痴楽

「創造」三遊亭粋歌(渋谷らくご創作大賞)

「名手」柳家わさび

「無双」春風亭昇々(渋谷らくご大賞)

「軽妙」古今亭志ん八

 

演者はすべてを欲しがってしまうが、ひとつの武器を研ぎ澄ますだけでも相当な時間がかかる。

今月トリをとる演者はみな、特化した武器がある。

どれも、素晴らしい味わいの武器だ。

 

昨年の1月は、柳家ろべえさんのトリ公演があった。

喜多八師匠、一之輔師匠、松之丞さん、ろべえさん、といういまから考えてもあり得ない番組なのだが、

一年後のろべえさんも聴きに来てほしい。

そして、大賞受賞者、さらには千秋楽、古今亭志ん八さんをどうぞよろしく。大注目です!

 

どうか、どうか一日でも、13日からはじまる「渋谷らくご」、足を運んでくださいませ。

心よりご来場おまち申し上げます。

 

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 22:04 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【『成金本』東京かわら版出版 寄稿】

東京かわら版から出ました、

成金本

に寄稿しました。

 

「成金」とは、落語芸術協会という団体の若手のユニットで、

現在二つ目の人たち11人のメンバーで構成されています。

 

で、毎週金曜日に定期公演をしていたり、

人気が出てくると「成金」を売り興行にしたりと、

「グループで動けることのメリット」

を最大限に活かしているグループで、

現在の若手の勢いと、若いお客さんの増殖にまちがいなく一役かっている、

業界では知らぬものはいない存在です。

 

 

二つ目のユニットが、書籍を出すこと自体異例なことなのですが、

それを、落語会唯一の専門情報誌「東京かわら版」が出したことは歴史的な意味があります。

 

今回、このお話を受けたときに、担当になったのが、東京かわら版の田村さんでした。

田村さんは、実は『笑芸人』という雑誌の編集をずっとなさっていて、

私は22歳くらいのときからお世話になっていた方でした。

笑芸人は、米粒写経で漫才をしはじめたときに、東京の漫才師ベスト50に入れてくださった記念すべき雑誌でもあり、

また高田文夫先生の責任編集ということもあり、演芸係数の高い雑誌でした。

ライターとしてもちょくちょく参加させていただいていたり、いまだに背筋が伸びるものです。

 

今回、8ページを頂戴して「成金」の社会的存在意義と、

メンバーそれぞれに個人的に思っていることなどを生意気にもしゃべらせてもらったわけですが、

このインタビューをうけて文字化してくれたのが田村さんだったのです。

田村さん、相変わらずの演芸バカみたいな感じで、情熱があって、私は尊敬をあらたにしたのでした。

 

出来上がった本を読み、「ああ、田村さんが作った本だなあ……」とじんわり実感できるほどの、

文字の密度の濃さ、行間の狭さ、フォントの圧、

なんかものすごく感動しました。

 

しかもこの本に載っているのは、渋谷らくごを盛り上げてくださっている気鋭の二つ目たち!

 

自分がこの時代に生きた役目を果たせたなと思える一冊でした。

 

成金の皆さん、田村さん、本当にありがとうございます。

 

 

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 21:45 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【早稲田大学演劇博物館「落語とメディア」展 図録 寄稿】

早稲田大学演劇博物館で、

「落語とメディア」展

が開催されています。

2017年の1月中旬までやっています。

 

素晴らしい展示なのでぜひ見に行っていただきたいです。

 

 

こちらはその展示の図録です。

この1年で読んだどの落語特集の雑誌よりも内容が充実し、

また「いま」を切り取ろうとした努力がにじむ、最高の一冊です。

 

喬太郎師匠のインタビューや、SPレコード収集でおなじみの岡田則夫さんの寄稿なども歴史的な価値もあれば、

落語会主催者でもある加藤さんのインタビューなども掲載されていて、通時的に落語を考える非常に有意義な読み物です。

 

今後の落語に関する書籍は、かならずこの図録を参考図書にあげるべきです。

 

 

画像がさかさになっちゃってるんですけど、面倒くさいからこのまま。

私は「渋谷らくご」のこの2年の動きを、リアルタイムで報告するドキュメントにしました。

なにを狙って、どういう手法で落語会を継続しているのか、

手の内をすべて明かした8000字。

 

予定の文字数の4倍になってしまったのですが、

嫌な顔ひとつせず掲載に踏み切ってくださった、

宮信明先生に、敬意を表します。

 

宮先生、ありがとうございます。

演博に務めるのが夢でしたが、このような形で関われたことをうれしく思います。

 

 

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 14:17 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【渋谷らくご短観 2016年11月】

2014年11月、突如としてはじまった「渋谷らくご」は4日間開催でした。

というのも、10月に呼び出されて「来月からやってください」と言われたので、さすがに無理だから12月とか、キリのいいとこ2015年からはじめましょうよ、と提案してみたものの、それでもどうしても、ということだったので、いそいで会のコンセプトを決め、公演の時間帯や空間の演出を決め、出ていただける演者さんにお声がけし、自分のスケジュールもやりくりして、なんとかやってみたわけです。なかば強制的に。

会の立ち上げは入念にしないと痛い目にあう、というのは長年の経験からわかっていたので、これはいきなりつまづく羽目になると覚悟をしていたのですが、つまづくどころではない大けがで、ひたすらに演者さんに申し訳ないですと謝り続けた2年前。

11月はプレ公演ということにして、12月からが本番だと思ったんだけど、それでもうまく回るはずもなく、これはまずいことになるぞと胃を痛めまくって現在に至ります。

 

そんな「渋谷らくご」も気づけば2年。11月は特別な月と位置付けて、いつもより一日多い、6日間12公演。

メインは二つ目の瀧川鯉八さん。

6日間すべて出演していただくという、「鯉八まつり」にしてみました。

 

お客さんが入りすぎないようにコントロールしつつ、でも入らなかったら最悪なので、小屋や私を信用してくれるような人をどれだけ増やすかって話なのだが、注目度が高まっているのなら、強いメッセージを発信したいなと思って、こういう興行にしてみたのです。

とにかく渋谷らくごに行ってみよう、と、どこかで情報を入手して興味を持ってくれた人に、とにかく鯉八さんを見せる、

という非常にシンプルな導線をひいてみたのです。

 

これに関しては、なんで鯉八ばっかりなんだと、もちろん演者さんのなかにも、お客さんのなかにも思う人はいるかもしれないのですが、昨年末、おもしろい二つ目賞(渋谷らくご大賞)に選んだからには、多くの人に届けるまでを劇場の仕事にしないと、変な色をつけてしまいかねないので、責任が取れないなと思ったわけです。

とはいえ鯉八さんも、この一年で少しずつではありますが仕事が増えてきたようで(渋谷らくごなんかでプッシュされているから、うちはいいや、と言う人がいるものなのです)、そこまで強烈な色をつけないで済んだかなと、安心しています。

ですが、鯉八さんの才能は、落語会に足を運んでいる人はもちろんですが、落語を聴いたことない、普段映画やお笑いやお芝居を見ている人にこそ知ってほしいので、それくらい惚れ込んだ才能に対する責任としても、こういう興行がベストだなと思い至ったわけです。

 

6日間、鯉八さんは走り切りました。

いままでないくらいのストレスを与えてしまったようでしたが、鯉八さんなりに自分の課題と成果を見つめてくれたみたいでした。

足りない部分とできている部分を確認できる、おなじ若手の芸人として、そういう場があれば決して損ではないはずなので、なにかを持ち帰ってくれたと思っています。

ネタはすべての高座において、安定したパフォーマンスでした。最高でした。どのネタも大好きなものでした。

 

で、鯉八さん、あるいは「渋谷らくご」を聴きにきて、お気に入りの二つ目さんができた、という人に、

まだ生で聴いたことがなかった師匠たちを聴いてほしいなと思ったのでした。

定期的に寄席に出ている、あるいは、なんらかの形でハブとしての活躍をなさっている師匠方。

お名前を出してしまうと、目当てのお客さんで埋まるかもしれないけれど、渋谷らくごは動員がすべてではないのです。

メッセージを発信する落語会であり、「いまオレたちの世代にとってはこういう人が面白いんだ」という新しい価値観を提案する会であるべきなのです。

個人的にはそういうメッセージが強い会には足を運びたくないなという「保守の自分」がいるのですが、「リベラルな自分」を興行では優先することにしています。

 

なので、あくまでお目当ては若手、主役は若手で、彼らを聴きに来たお客さんに、お楽しみゲストを聴いてもらって、彼らにとってはまた新しい価値観を知ってもらいたいなと思ったのです。

これはリスクもあって、すごい師匠に出ていただきながら、客席がまったく埋まっていない、というケースが想定されるわけです。

また、自分目当てではないお客さんの前でトリをとる、という、師匠方にとってもストレスのかかる環境でした。

あくまでメインは若手なので、お楽しみがだれかなんてあおることも一切しませんでした。それでは本末転倒なのです。

 

これは恐怖でした。普通に告知していればお客さんもくるし、演者さんも安心だし、だからこそほかの会はこういうことをしないのです。しないにはしない理由があります。

ですが、「渋谷らくご」を信じて、若手の活躍を楽しみにしてくださっているお客さんがいることを信じて、6日間走り切りました。

おかげさまで、なんとか形になりました。ありがたい限りです。

 

お楽しみゲストはだれなのかと予想したり、出囃子であの人だ!とわかってしまうような落語通の方もいらしたようですが、そういう楽しみ方もあっていいと思いました。そこまで注目していただけるのは光栄です。ただ、そこに向けたアイデアではありません。

そもそも名前を知らない、出囃子を聴いてもわからない、という人をメインに設計したものだったので、「こういう真打がいるんだ、すごい!」と思ってくれた人が一人いれば、それでいいと私は思っています。

いまやるべきことは、こういう「はじめての一人」のほうをちゃんと向く、ってことだからです。

通ならば、その意味も理解してくださっていると勝手に思っています。

 

初日の古今亭菊之丞師匠は、私が落語を聴き始めたころは二つ目になりたてだったと記憶しています。

あのとき若手と言われていた人が、いまは第一線の超絶技巧真打になっている。

こんな胸が熱くなるような思いを、いま、そしてこれから落語を知る人たちに体験してもらいたい。

寄席で聴く円菊師匠の高座はスピード感があって圧倒的でした。メリハリがあってわかりやすくて。

そんな遺伝子をたしかに継承しながら、菊之丞師匠にしかできない落語を構築しているので最高。

 

二日目は入船亭扇遊師匠。

言わずと知れた大看板。どうしても、出ていただきたかった師匠です。

この5月、渋谷らくごスタート以来ずっと出演してくださっていた、柳家喜多八師匠の盟友。

高座でも、「今年は親友を亡くしました」とサラっと言ってくださっていたけど、あの一言に、その日はじめてきて事情を知らない人に対する師匠の配慮も感じ、それでいて事情を知っている人をキュンとさせるような男気を感じもしました。

長年磨き上げた話芸が炸裂した一席でした。

 

三日目は立川志らく師匠。

以前、雑誌の対談でご一緒したことがあったのですが、私の学生時代はこの志らく師匠が、二つ目から真打へと挑戦しているときでした。あんなにドキドキする経験が、落語会で味わえるとは思っていなかったし、歴史の一ページに立ち会っているんだなとそのっ瞬間に思えたことにも感激しました。

寄席に出られない、世間も自分に興味がない、そんなとき自分でどう動けば状況が変わるのか、そしてそこからどう展開させていくのか、まさに興行の基本を見る想いでした。

で、この師匠は進化を止めない、これでよい、ということをあまりしない、というのも見ていて楽しい。去年ああいっていたのに、今年全然ちがうこと言っているぞ、と、考えをアップデートしていくのです。

またその師匠のアップデート具合に振り回されていく弟子たち、という構図も面白かったのです。こういう師弟関係も、こしら師匠とかしめさんに継承されていくんだろうか。

 

四日目は柳家喬太郎師匠。

この師匠にも思い出がたくさんありますし、また、どうしても出ていただきたかった師匠です。

喜多八師匠が愛した仲間でもありますし、個人的にも落語受難の時代に、どんな環境の落語会でも飛び込んでいって連戦連勝するというめちゃくちゃカッコいい方でした。

場の空気を一瞬でつかんで、その場のベストチョイスを常に選択できるという、まさに芸人の鏡のような存在です。

古典も新作も隔てなく、おもしろいこととマジなこと、硬軟織り交ぜて落語そのものの魅力をいろんな角度から伝えてくれる師匠です。

渋谷らくごに登場した瞬間、キャー!という歓声が聞こえたのも喬太郎師匠だからこそ。老若男女人気がありすぎる師匠です。

出てもらえて、ほんとにうれしかったなあ。

この師匠との縁は、今年の5月31日、末広亭の余一会、喬太郎師匠と文蔵師匠の会に米粒写経で出させてもらったところからです。

引き合わせてくれたのは、だから、喜多八師匠だったんです。

 

五日目は、一之輔師匠と、三三師匠。

渋谷らくごの心臓ともいうべき存在の一之輔師匠、目下、破天荒な落語の無双状態が数年続いていると思いますが、鯉八さんと一騎打ちするところをどうしても見たかった! ありがとう、一之輔師匠!

協会もちがうし、縁もゆかりもない若手のために、ひとつも得にならない番組にも喜んで出てくださる。こんなありがたい存在はいません。

「どがちゃか」(どがちゃが)という渋谷らくご公式読み物の名前の由来ともなっている「味噌蔵」。実は渋谷らくごで演じられたことがなかった演目なので、かかったときはうれしかったなあ。大好きあの噺。

三三師匠は、渋谷らくごがスタートした11月、その初日のトリで出ていただいた師匠です。どうしても、どうしても2周年、出ていただきたかった師匠です。

出演してくださると決まった時から、師匠のおかげで、2年続きました、とお伝えしようと思っていました。

そして伝えることができました。こんなにうれしいことはありません。

「元犬」を演じてくれましたが、あの噺があれほどの爆笑巨編になるという、落語の神髄に触れてとてもうれしいです。

はじめて落語を聴きに来た人が、ああいう落語に触れてくれたらいいなと思っていたことが、かなえられた瞬間でした。

 

最終日は、瀧川鯉昇師匠。

鯉八まつりの最終日、出るのはこの師匠しかいません。

というか、鯉昇師匠のスケジュールが確定したときから、このプロジェクトは動き出したのです。

鯉昇師匠のあとに、弟子の鯉八さんがあがる。6日間のラストは、これしかないです。

「時そば」を演じてくださいましたが、桃太郎師匠が亜空間殺法で空間を歪ませたあと、古典で空気を整えるのかと思いきや、トリで創作をかけるであろう鯉八をつぶさないネタのチョイスでありながら、アヴァンギャルドな味付けのくすぐり多数。まさに鯉八さんが自然に落語に入れる空気づくり。職人技でした。これしかない!というネタのチョイスに感動しました。

 

特別に出ていただいた師匠方、ありがとうございます。

師匠たちの想いあって、若手の二つ目・真打の奮闘あって、渋谷らくごは成り立っています。

 

だれが出てくるのかわからないドキドキを、それがあたりだろうがはずれだろうが、感じることのできる機会って、ほんとに減りました。

ですが、こういう場を作っていくことが大事なのだと思います。

昔、「談志・圓楽二人会」とか、志の輔師匠のはじめてのパルコ公演とか、昇太師匠が本多劇場でやったときとか、桃太郎師匠が古典やるぞ、落語ジャンクションで今日はなにをやるんだろう、といったときに、落語会に足を運ぶ時間のドキドキしたあの感じを、どうやったら共有できるか、考えに考えました。

 

演者ではなく劇場を信用して足を運ぶような人が出てくると、これは演芸場につくファンのように、次第に寄席ファンになってくれるのではないかとも考えました。

 

来月からはまた通常運転です。

とはいえ、12月は「渋谷らくご大賞」と、「創作大賞」を発表する最終日もあります。

初日の20時回は完売しました(すみません)。

ほかの日程はまだまだお席の余裕がありますので、みなさまどうぞ詰めかけてください。

当日券を多数用意してお待ちしています。

 

 

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 00:35 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【渋谷らくご短観 2016年9月、10月】

「落語ブーム」なんてものは存在しませんし、メディアが作り上げた物語でしかない、ということをだれも言わない。

それもそのはずで、ブームということにしておいたほうがみんな幸せだから。

でも、いま落語会にお客さんが入っているのは、2000年代の業界のたゆまぬ努力があったからなんです。

『タイガー&ドラゴン』や『ちりとてちん』でイメージが変わって、興味を持ったお客さんを受け止める努力を、落語業界はずっとしてきた。だから、ずっと前から落語界は元気なのです。

 

ただ、この2年で一番すっと頭に入ってきた考察は、立川こしら師匠の「いまは落語会主催ブームだ」という考え方。

たしかにその通り、落語会は非常に多い、だけども発信力のある人が落語会を「プロデュース」して、遠心力を高めている。

私なんかはそれにうまく利用されているのだが、業界のしがらみや仲良しグループの文脈から出た人間ではないないのが、私の特異なところだろうか。

考えてみれば、20年前にはこれほどに「〇〇プロデュース」という文言はチラシのどこにも見当たらなかった。

そういう意味ではこしら師匠は炯眼。

ただ落語会を開催しているのではなく、付加価値をつけるとなると、スポーツでいう「監督」とか「GM」をタレント化する。そうして発信力を高めていくということなのだろう。

そろそろバレはじめているのだが、落語会はだれでも主催できてしまう。だからこそ乱立する。演者もファンも消耗していく。

だから決して自分がやっていることを良いことなどとは思えない。

寄席に行けばいい。都内各所に個性的な寄席がある。そこで毎日なにかが起きている。

 

 

 

 

9月の渋谷らくご。

一之輔師匠を欠き、さらには神田松之丞さんをも欠いてしまった9月だが、

それ以外は盤石の布陣で臨んだ。つまり、演者についているお客さんというのが少ないなかでの、事実上の実力試験のような月だったが、悲観するほどの入りではなく、どの日も安定して動員でき、初心者がどの回にも安定して入場してくれて一安心。

渋谷らくごの目標到達は800人〜1100人で、それ以上は入らないように押さえたいところ。この範囲にちゃんと収まって喜ばしい限りだ。

1000人入るということは10公演なので平均して100人、平日18時回が60人、20時回が140人でようやく到達できる数字である。

そう考えると信じられないくらい多くのお客さんが足を運んでくださっている。

ゆるやかに、「渋谷らくご」への信用を高め、演者ではなく、お客さんの都合がつく日に来て、安心して楽しめる、むしろ演者の名前に左右されず、その日の素材で勝負できる料理屋のような存在になれるといい。

 

うれしかったのは、立川左談次師匠の復帰。

あまりに心配で8月の末廣亭余一会での立川流の会を見に行ったが、ほんの数分楽しそうにしゃべっておられたので安心はしていた。が、その裏に幾多の葛藤と苦しみがあるかと思うと、その高座の輝きは一層増すのだが、さすがにご無理は言えないと覚悟した。

代演もあり得るかもしれない、むしろ、こちらから提案したほうがいいと思っていたが、それでも左談次師匠は「渋谷らくご」の高座にあがってくださった。そして高座でお話してくださったのが「癌病棟の人々」。こんなに客席が幸せと笑顔に包まれるなんて。しかもそれが、これからまた入院しますというがん患者の話でだ。

思い出す光景は、癌で亡くなった前田隣先生のことだ。その昔、ナンセンストリオという三人組で売れた師匠で、ピンになってからも爆笑漫談でカッコいい師匠だった。米粒写経のどこを気に入ってくれたのか、一度ネタをみると面白がってくださり、機会があるたびに声をかけてくださった。

ある日は、病院の服をもってきて、「今日癌センターからそのまま来たんだよ」と言って客席を爆笑させていた。

前田隣先生は亡くなってしまったが、「ダーリン寄席」はいまも続いている。左談次師匠もレギュラーメンバーだ。左談次師匠に、立川談志や、前田隣や、柳家喜多八の根性がしっかりと生き残っている。めちゃくちゃかっこよかった。左談次師匠は亡くならない。

落語は、飢えと貧乏と寒さのうえに成り立っていると、談志師匠はこのようなことをいろんなところでおっしゃっていたが、病気や死といったものも、実はあったのだろうと思う。それでも前向きに明るく生きていく。しんみりせずに、いたって通常運転、へらず口もそのまま、ついでに生きてるという了見でやり過ごしていたのだ。いままで生きていただけで儲けもん、の世界である。

そう考えると、癌病棟に巣くう老人たちの日々を爆笑に仕立てる左談次師匠のエネルギーは、まさに芸人、なかでも落語家の了見なのだ。

かといって、病気を黙っているのは粋かというと、そうではない。居残り佐平次が仲間に語ったように、肺病を患っているということを隠すのも、水くさい。となると、どういう行動になるかといえば、談志師匠のようにさらけ出し、悩み、落ち込む姿までをもエンタメ化する、ということになるのだが、左談次師匠は暗いところはあまり見せないのが、師匠に対する敬意なのか、それはそれでむちゃくちゃカッコいい。

 

また、この日のトリの文菊師匠の「心眼」は、個人的にはまちがいなく「心眼イチ」だった(歴代一って意味)。

文楽全集に関わったとき、盲人の噺をたくさん聴いたが、カタルシスの強い「景清」よりも、どちらが落語らしいかというと圧倒的に「心眼」なのだ。

圓朝が作ったらしい意地悪さというか、人間の醜さとかも淡々と描かれているが、これは演じる人の資質を問われる。決して嫌味でなく、それでいて梅喜という人物がよくも悪くも思えるような演出で臨まなければならない。盲人もまた、私たちとおなじ、美しい心と醜い心をもった人間なんだという人間賛歌になるのがこの噺のすごいところなのだ。

この噺を、文楽とは別のアプローチでまた一段上に押し上げた文菊師匠の「心眼」はいまだ余韻が残る。おそらく一生忘れない。

 

9月は橘家文左衛門師匠が、文蔵襲名前最後の出番ともなった。

志ん八さん、ろべえさん、扇里師匠、文左衛門師匠。みな師匠を失った人たちで千秋楽。

ろべえさんは来春、志ん八さんも来秋、真打昇進が決まり、おめでたい年になる。

悲しいことは今年限りにしたい。文蔵襲名はそんな気持ちに弾みをつけるような、これから楽しいことがはじまる第一章のように、業界を明るくしてくれる話題だ。文蔵師匠、ありがとうございます。

 

昇々さんの一時間の「ひとりらくご」は、二回目でもずっと衝撃の連続で、このまま時が止まればいいのにというほど楽しかった。

この人の落語の強度はすごい。小手先のものではない。

完全に噺が身体に入っていて、さらにそれを高座でかけ続けて、落語と戯れる、という領域までいっている。緊張感の高まる高座でこれをできることがすごいわけで、だれしもが固くなる場所で常にこういう勝負をしている昇々さんは実に二つ目らしい野心と努力をもった落語家さんだ。

 

 

10月の「渋谷らくご」。

松之丞さんも一之輔師匠も久しぶりに聴いたような、それでいてこないだ聴いたような不思議な気持ちで迎えた。

偶数月に定期的に出ていただいているメンバーも揃い、ほぼ完璧に近い形の番組をくんで(文蔵師匠のみ襲名披露で出られなかったが)10月の公演を迎え、これは大入り続き、しかもそれでいて札止めのない状態。つまり、ひとりも追い返すことなく、当日来たすべての来場者に入って観劇していただけた、という意味でもよい月であった。

驚くべきことに、9月に関しては当日券で入場したお客さんが、50人〜70人の幅であり、そのうち初心者が4割近くもいた模様。10月に関しても当日券入場者が多く、しっかりと初心者を取りこぼすことなく誘導できたということはとてもうれしい。もちろん、前売り券を買うのが面倒くさい落語ファンや、渋谷らくごのリピーターもいるだろう。でも、当日フラッと来られる気軽さが重要なのだ。

創作ネタおろし会「しゃべっちゃいなよ」、12月の大賞を決める会をのぞけば年内最後の会も、初登場のきく麿師匠や昇也さんの奮闘もあって大いに盛り上がり、大団円で10公演を終えた。

左談次師匠は闘病開始後、初の落語をかけてくださった。渋谷らくごに来るのが楽しみだ、とさえ高座でおっしゃってくださった。こういわれては、お客さんもうれしい。しかもネタは、「権兵衛狸」、東洋館の定席ではじめてこの噺を聴いたとき、えも言われぬ幸福感に包まれたのをいまも思い出す大好きなネタだ。ずっとこのネタがかかるのを待っていた。軽くて、いいサイズ感で、聴いていてまったく疲れず笑える噺。やり慣れた噺にも関わらず、高座に適度な緊張をもって臨む師匠は今月も相当かっこよかった。頭にはうぶ毛が生えはじめ、癌が小さくなっているとの報告。もうここまで来たら随時報告だ。

こうなると課題になるのが18時回だ。

内容には自信がある。10月は「小辰・扇里」、「市童・音助」、「伸三・扇辰」といずれも素晴らしい会だった。

通好みでありながら初心者をも虜にできる話芸の持ち主。伸び盛りの芸の味。ボジョレーヌーボーのような市童・音助の会から、しっかり古典を聞かせる扇里師匠、扇辰師匠。

これからの課題は18時回にいかに若い客を誘導できるか、だ。あまりに通好みにすぎると好事家しか集まらない会になってしまう。

 

 

当日券入場者数推移データを見ながら、ニコ生、ポッドキャストのパワーがどこまで通じるのか、可能性を試してみたくなった。

もちろん、渋谷らくごの音源でどこかの放送局でラジオ化してくれたり、コンテンツ化してくれるのであれば申し分ない。

渋谷らくごにはスタッフがいないがゆえに、自社コンテンツにしていくよりは、外部の企業とコラボしたほうが圧倒的に効率がよいのだ。ひとり、ひとりでもいいからHPの構築やWEBのシステムエンジニアがいれば。もとやりたいことはたくさんある。実現できることはたくさんある。提言できることはたくさんあるのだが、いまはそれができない。

だからこそ、企業との共同作業が大切になってくる。

業界のお仲間で仲よくやっているだけでは、この業界は成長しない。もっと大局に立った舵取りをしていくべきなのだ。

好きなだけ、仲良いだけで興行が成り立っているのがおかしいくらいなので。

 

メディアの取材は相変わらず紋切型のものばかりで、こちらにはなんのメリットもない、お金にもならない、ただ踏み荒らされ向こうが用意したシナリオ通りのコメントをする、みたいなものばかりなので、

「渋谷らくごってところに行けば、とりあえず欲しい画はとれるらしいぞ」みたいにヤリマンぽく思われても迷惑なので、テレビは断っている。

そもそも、一度も会場に観劇に来たことなく、直接挨拶したこともなく、取材させろというめちゃくちゃなことを言うほうが悪い。

 

 

誠実なメディアもいくつかあった。

 

ハレット 私の知らない東京がそこに。

この記事は若い女性のライターと編集者が作りあげたもの。一見うすっぺらく感じる人もいるかもしれないが、

これまで落語を扱ってきた記事や評論は、すべて「落語の世界の言語」で語り、完結していた。

そこに、この記事はまったく落語の言語(あらすじの解説や、用語解説)などを使わず、別のジャンルの言語で落語を魅力的に紹介するということをやってのけている、という点で素晴らしい。

取材時間15分でここまで書いてくださったのは入念な取材と情熱以外ないと思う。

三宅さん、杉本記者、ありがとうございます。

 

早稲田大学演劇博物館「落語とメディア展」。

こちらは演博の宮信明助教が会場まで足を運び、展示の趣旨を説明してくれた上で、原稿依頼をしてくださった。

落語のいまとこれから、ということでネットを使った集客をし、また現状の「ブーム」なるものをどう読み解くか、ということで書いてください、とのことだった。

予定文字数を大幅にオーバーしたが、それでもそのまま掲載してくれました。これは私が悪いんですけど、「渋谷らくご」創設から現在までの記録です。

いずれはなくなるであろう「渋谷らくご」なので、その記録を公式にできたという意味でも歴史的な資料になるといいなと思っています。

これを読んで刺激を受けてくれるような主催者は多くはないと思うけど、ネットに触れている比較的若い世代の人に、深く刺さると信じて書きました。決して楽な仕事ではなかったけど、これは将来「だれか一人」にでもちゃんと届けばいいという意味で必要な記録だと思うので、入魂しました。

1月中旬までやっている展示で販売しているので、部数に限りがあるものでありますし、ぜひ手に取ってみてください。

岡田則夫さんや今岡先生など、落語好きにもたまらない面々の寄稿や、喬太郎師匠のインタビューなども読みごたえがあり、昨今の雑誌の特集記事なんかよりよほど芯を喰った最高の冊子だと思います。

 

 

さて、来月11月は「渋谷らくご」2周年記念興行、11月11日から6日間連続12公演

いつもより1日多い日程で、毎日「瀧川鯉八」さんが出るという、まさかの番組です。

鯉八さんと心中するつもりで構成した番組です。

どこか一日でも来て、いま落語に興味ある若い世代に、この才能の存在を知ってもらいたいと思い、思い切ってやってみた番組。

2015年「渋谷らくご大賞(おもしろい二つ目賞)」受賞者、瀧川鯉八さんフィーチャー月間です。

やるなら中途半端なことはしない、大胆にやるというのが私のやり方です。

 

さらに、この月から、名前を告知しない枠を設けてみた。

初心者にとって、落語家の名前なぞだれだって読めないしわからない。

だったら、最初に、名前は価値のないものなのだから、いっそだれかとかわからない状態でもいいじゃんか。

なまじ名前があるおかげで、事前にググったりとかして、変な先入観をもって見るよりも、だれだかよくわかんないけど、面白い人出てきたぞ!という経験をしてほしい。

 

演者にお客さんがついている昨今、次のステージには「渋谷らくご」への信頼を高めていく作業が必要で、

ここを入り口に、演者さんの名前を覚えて、その演者さんの出る会に足を運んでくれたらそれでよいのです。

 

そういう意味でもたぶん実験的なことを、この勝負の月にやってしまうわけですが、

どの回もめちゃくちゃ自信があることだけは断言しておくので、

もし気になっている人がいたら、絶対に来た方がいいです。

 

いま、落語が好きすぎる人が多くて、どうしても興行論にまで頭が回らない、あるいはそういう視点を持ち合わせていない人がいるんだけど、これはどのジャンルでも言えることなんだけど、演者がさくエネルギーはお客さんが10人でも10000人でもそう変わらない、つまり、演者のより高いパフォーマンスを、よりよく輝かせるのは、興行の演出であり、人を集め、注目を集める興行論なのです。

この視点がないジャンルは滅びる。DMを管理して発送して、その友達を一人ずつ捕まえて、と「好き」な人たちの忠誠度を図るような落語会も素晴らしいと思います。必要です。ですが、遠心力を発揮する会もなければ、新規のお客さんも増えないし、内部の熱も下がります。

古くは立川流、六人の会などがそういう存在だったのかもしれません。

猛烈なアンチが騒ぐのを恐れず、興行論で一石投じることくらいしか、私にできることはないのです。

 

渋谷らくごは完成した芸人を見る会ではなく、

二つ目と若手真打を中心に、彼らが躍動する時期をともに見守る会である。

つまり、大当たりもあれば失敗もある。だけど、最後は真打が最高に楽しませてくれる。

そういう意味では失敗してもいい場所でありたいわけです。

 

鯉八さんは、そういう意味ではパフォーマンスが安定しており、失敗も成功も、お客さんの受け止め方にかかっている比較的、絶対的な芸(まくらは相対的)です。

毎日おなじくらいの衝撃を与え続けてくれるはず。

 

これはいまの「渋谷らくご」でしかできないことなのかなと思うので、これで最後になるかもしれないし、来年あるかもわからないことなので、どうぞお楽しみに。

 

 

以上

 

渋谷らくご短観 2016年8月

 

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 03:09 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【渋谷らくご短観 2016年8月】

このご時世になるとブログはあまり私のことを知らない人には拡散せず、むしろ私のことを知っていたり文句を言う目的でロックしていたりする人だけが熱心に読むものだということがなんとなくわかってきたので(もちろん両者とも私は愛しているのだ)、

初心者向けの情報は「渋谷らくご」のHPに書くとして、ここでは備忘録的に、渋谷らくごのことを書く。もちろん初心者向けではない。

 

喜多八師匠が亡くなったショックからいまだ抜け出せずにいる。

それでもゆるやかに、前向きになれたのは、6月14日の18時、もともと喜多八・ろべえの「ふたりらくご」を予定していた一時間、ろべえさんがひとりで務めてくださった、あの高座からである。

 

昨夏、自転車に乗られなくなった師匠を拝見し、楽屋でのご様子、鬼気迫る高座の連続を目の当たりにして、この一年は、いかに喜多八師匠に気分よく高座を務めていただくか、それを中心に考えてきた。

渋谷らくごには構成と動員の核にしている演者が何人かいて、またそれぞれの世代やグループのハブになる人で、継続的に出演していただける方にお声かけさせていただいている。喜多八師匠はそのなかのひとりだった。

師匠とはとくに踏み込んだ話をしたことがない。21年に及ぶお付き合いのなかで、ご一緒することは何度もあっても、師匠の言葉の端々からいまどんなことを考えているのか、それを直接聞かずに間接的に接することが、自分としてはとても心地よかった。

私はどんな初心者にも、最初に落語の魅力を知り、また聞き分けを通して、次第にわかっていく魅力もまたひとつの魅力であることを知ってほしいと思っている。つまり、「最初わからなかったけど、そのうちわかる魅力」といったものの存在である。

むろん、本物は最初から伝わるという考え方もある。扇辰師匠や馬石師匠、圓太郎師匠に文左衛門師匠といった面々に継続的に出演していただいているのもそういう考えからである。

喜多八師匠はそういった意味でいうと、最初からわかる人と、最初はわからない人がいる、まことに奥深さを持った師匠だと考えていた。

別のおめあての演者を聴きに来たついでに、喜多八師匠を聴いて、最初はわからないけど、二回目、三回目と聴いていくうちに、とてつもなくすごいものに触れているという実感を、肌で感じさせてくれる存在だ。こういう演者がひとりはほしい。

同時に、元気のいい若手でガチャついた番組でも、しっかり自分の芸に引き寄せる静の芸。圧倒するタイプではなく、聴かせる力を持った人。真剣に聴かなくなったって、なんとなくでも情報が気持ちいいスピードで入ってきて、気付いたら別世界へと連れていってくれる人。かといって独善的ではなく、寄席的な時間の流れや、多様性をよしとしている象徴的人物。喜多八師匠の魅力を語りだすとキリがない。

演者さんすべての魅力を語りたいけど、語り切れないジレンマがある。

 

一之輔師匠でも松之丞さんでも、鯉八さんでも昇々さんでも吉笑さんが入口でも構わない。だけど、彼らを楽しむと同時に、喜多八師匠の芸の魅力も示唆することこそが、初心者向けとうたった渋谷らくごのやるべきことだと私は感じていた。

 

渋谷らくごを、短期的な興行と考える場合と、中・長期的な興行と考える場合、双方を考えたうえ、他の落語会の主催者にご迷惑をおかけしないバランスで、演者さんには慎重にお声かけしなければならない。

また、開始当初から不入りが続いた状況と、そこそこ入るようになった状況と、あまり入りすぎてもいけない状況によって、都度微妙に番組を構成し直していく。「なぜこういう番組になるのか」という疑問が生まれるほどに、まるで囲碁でもやっているように一見不思議な手を打つこともある。

メンバーをなんとなく固めつつも、固めきらないのも大事なことで、渋谷らくごの色をつけすぎてもその演者のためにならないことが多いし(敵視している人ももちろん多いので)、芸風によっては若手のころに結果をいそがず60歳で形になるように設計されているものもあるので、若手のうちに消費しないほうがいいものもある。演者を焦らさないことも重要だ。消費を生むと同時に、消費を急がせないことも考えなければならない。

 

しかし、日に日にまずい状況になっていく師匠が、決して渋谷らくごを休まない、それどころかむしろ楽しみにしているようにさえ見えてきたとき、もう少し先にと考えていた、立川左談次師匠にお声をかけずにはいられなかった。

談志師匠脱退前は、落語協会で交流があったであろうお二人。柳家で、酒が好きで、脱退前に協会で真打になっている左談次師匠は、おそらく喜多八師匠と普段は一緒になる機会が少ない、それでいて気が合うはずの二人。

左談次師匠の足の骨折からの復帰を待ち、渋谷らくご2周年となる2015年11月に、左談次師匠と喜多八師匠の邂逅は実現した。あの日の両師匠の笑顔はいまでも忘れることができない。

思うように歩けなくなり杖をついて会場の下までたどりついた喜多八師匠は、こんな格好兄さんには見せられねえなあ、と躊躇していたが、楽屋につくなり「兄さん、オレこんなになっちゃったよ〜!」と杖をもって明るくおどけてみせると、それを見た左談次師匠も自らの杖をもって「オレもだよ〜!」と答えた。久しぶりにあった二人がこんな会話からはじまるのだから洒落てる。芸人かくありたい。

 

「また兄さんとやりたいなぁ」とその日喜多八師匠はおっしゃった。何度か実現した。

喜多八師匠はそれからも、あいつとやりたい、こいつと出たいと、リクエストをしてくださった。

11月からは半年もった。師匠が亡くなる前の世界と後の世界は、確実に自分のなかで変わったはずなのに、目の前の世界はおなじなので現実感がない。

それでもふとしたときに思い出すと涙が出てしまう。

2016年5月31日、私はコンビではじめて新宿末廣亭の舞台に立った。余一会、喬太郎師匠と文左衛門師匠の二人会のゲストであった。二つ目では神田松之丞さんも出た。

その打ち上げの席で、喬太郎師匠の口から喜多八師匠の話をうかがったとき、本当に亡くなったんだと妙に現実に引き戻された気がして涙が止まらなかった。

20年前、あれほど追いかけた喬太郎師匠が目の前にいるという非現実的な光景なはずなのに、その口から出た言葉だからこそ圧倒的現実だった。

 

左談次師匠はあきらかに夜中のツイートが多くなり、しょうもないダジャレツイートの数が減った。

喜多八師匠の死をキッカケに、文都師匠(関西→談坊→文都。私にとって文都はずっとこの文都です!)や談大さんといった方々のことも思い出されているようだった。なんて愛の深い方だろう。

それでも渋谷らくごは毎月続いている。

演者さんはみんな熱演続きだ。お客さんもすれてなくてとても反応がよい。といってミーハーばかりというわけでもない。

 

左談次師匠はその後も名演続きだ。

喜多八師匠代演が出た5月は「短命」、6月は「町内の若い衆」に「万金丹」、7月にはトップで出た笑二さんが「弥次郎」をやったにもかかわらず談志直伝の「弥次郎」をかけて場内を沸かせてくださった。

 

これも6月の「渋谷らくご」で旅の噺を演ろうと稽古してきたものの出番前に旅の噺がついたことから「町内の若い衆」に変更、翌月またネタがついたという因縁を、逆手にとった策略でとても可笑しかった。中途半端にネタがつくならまだしも、完全におなじネタだったらむしろ面白いだろうという判断、悪戯心もあってとってもオシャレだと思った。

ちなみにこの日のトリは喜多八師匠の盟友、扇遊師匠であった。喜多八・扇遊・鯉昇の三師匠は一緒に出ないように心がけてはいたが、それでもこの日、楽屋に喜多八師匠がいらっしゃる気がした。杖に頬杖をついて、ニヤっとしてくれたかなぁ。

 

そんな左談次師匠が8月に体調を崩され入院、さきほど食道癌で闘病中と公表なさった。

食道癌は私の父がかかった病であるが、最初は症状がわかりにくい。進行もゆるゆると。

左談次師匠のことなので、お酒が点滴になったぶんむしろ元気になって帰ってくるのではないかと思うが、来年は落語家生活五十周年、完全復活をしてもらわなけれなならない。

「出ると病気になる落語会」とならないように、左談次師匠にはまだまだ働いてもらいたいのだ。「働け!左談次」って木村万里さんやってたなあ。あれで知ったクチ。

左談次師匠に気持ちよく高座にあがっていただくのが、渋谷らくごの新たなモチベーションのひとつだ。いまは回復を祈るばかりである。

 

 

ここ数ヶ月、落語に関しては徒労感を感じつづける日々だったかもしれない。

テレビの取材は画一的でどこも聞くことがおなじ、おまけに扱いが雑で客席でのマナーが悪いので極力断ることにした。

雑誌の取材も二時間くらいしゃべって、特集全体の構成までしたような感じなのに、記事になるのは5行だけ。いや、落語界全体を扱ってくれるならそれでもいい。それでも結局は「勢いのいい若手」と「動きの目立つライブ」だけで、定席への誘導があまりうまくはいっていない。

メディアとはそういうものだと言われればそれまでなのだけれど、じゃあその記事観て行こうと思った人にとって間口の広い場所でないと意味がない。その日一日限りの「点」の興行で勝負するタイプのライブをそこで紹介したとして、だれが得をするのか。

『赤めだか』のドラマ化と、『昭和元禄落語心中』のアニメ化が、どれだけの波及効果をもたらしているか。実測できている演者も会も皆無だろうが、私は如実に数字がわかるしなによりアクティブユーザーは落語心中のファンなのだ。そのことがあまりに触れられなさすぎだ。

『POPEYE』の取材が丁寧だったかもしれない。

ほかは落語好きなんですよといいつつ、志ん朝しか知らない記者だったりホール落語しか行っていない人だったりと意外と偏りがあって、なかなか信用できる記者がいない。それも無理もない。なにせ数が多すぎる。

初心者向け、を思い切って宣言しちゃったぶん、そういった人たちを引き寄せてしまうのは宿命なのだが、それにしてもおなじことばかり何度も言って、お金も出ず、アイデアばかり吸い取られて、扱われなかったりするのはむなしい作業だ。私はこれを生業としているわけではないから、完全にサービス残業みたいなものになってしまう。というわけで、今後の取材はまず資料を読み込んでもらいこれまでの発言を好きに使ってください、そのうえで聞きたいことがあったら、適した人や場所を紹介しますので、というスタンスにしていかざるを得なくなった。ありがたいことなんだけど、渋谷らくごのスタッフもひとりしかおらず連絡の手間だけでも相当な労働になってしまうのでこれはご容赦いただきたい。

と考えているところに、某公共放送の硬い番組から、最初にヒヤリングさせてください、と例によって業界の全体像を教え、データや出展を示し、渋谷らくごについて語り、最終的には紹介されもせず構成料もなし、というパターンのやつを引き受けざるを得なくなって、穏やかな気持ちでおしゃべりしたわけだけれど、せめて業界のためになるような紹介をしてくれるといいなあと、こちらも祈るばかりである。

ここで折れてはいけない。

文芸誌でもちょくちょく落語を特集していたり、渋谷らくごに出てくださっている演者の方のインタビューなども掲載されるようになった。もちろん、これまでの業界を支えてきている人々の尽力が大きいのであるが、こういった点と点を、線にし、面にしていく作業が定期公演の役割だろう。

 

渋谷らくごではないのだが、立川流の若手たちだけで行ったトークライブにこっそりと足を運んだ。

みなとても真摯で、現代的で、だからこそ傍らで観ていてもどかしいところもあり、考えることがたくさんあった。

こういう人たちが、努力し悩んだぶんの10分の1でも報われる状態にしたい。外部の人間ができるのはそこまでだ。

 

人が集まらなければさんざんバカにしていた人たちが、人が集まるとなると利用しようと近づいてくる。そういう人たちと敵対せずに、お互いにとっていいあり方を模索する。収益のノルマではなく、演者還元を第一に考えられるのが、これを生業としていない私の強みなわけだから、なんとか演者さんたちの一席入魂の情熱を、最大の効果を発揮できるところまでもっていきたい。

理念を共有できる人や企業に理解を仰ぎ、協力していきたい。

渋谷らくごは第二フェーズに突入しているのだ。喜多八師匠は、そこまで連れて行ってくれた存在だ。

 

 

8月は、二つ目の柳家わさびさんのトリの公演を核に、お盆興行に挑戦した実は非常に難しい月であった。

確実に動員が読める公演を一回だけ作り、興行初日のニコ生中継、毎週更新のポッドキャスト、ツイッター、HPで他の公演を推していく。

この方法が有効である限りは、これを続けていくことになるのだが、フタをあけてみればおかげさまで大勢のお客さんに来てもらうことができ、また満足度も非常に高かった。

当日券も堅調に伸び、わさびさんトリ回のみ札止めで、その他の会は当日でも入れる状態で維持できた。

 

土日、落語家さんの都内不在状態はこの会にとっては非常に危機的状況であることは変わらないが、それでもスケジュールをくださる演者さんたちには感謝しかない。だって初心者は土日に来るんだもん。

そういった意味では、13日土曜の創作らくごネタおろし会「しゃべっちゃいなよ」、14日日曜の14時圓太郎師匠トリ公演、17時菊之丞師匠トリ公演の内容の充実っぷりは尋常ではなかったと自負している。13土14時回も、左談次師匠の代演で、桃太郎師匠という私のスペシャルカードを使ってしまったが、お客様には満足していただけた。松之丞さんも柳朝師匠のトリも、素晴らしかった。

 

今月は、14日小辰さん、15日ろべえさん、16日文左衛門師匠と「青菜」3連発が聴けたのも楽しかった。

文左衛門師匠にいたってはネタ帳を確認してからの、もはや確信犯だったから連続公演ならではの楽しさだった。

14日20時からの「前座さんを見守る会」も公開稽古のファイトクラブ的雰囲気を帯びて、非常にスリリングな会だった。

15日の夜は、日ごろお世話になっているモニターのみなさんとご挨拶することもできた。

8月一番笑ったのは昇々さんの「千両みかん」、こしら師匠の「粗忽長屋」だった。菊之丞師匠の「もう半分」と、松之丞さんの「お紺殺し」は、両者とも納得の出来ではなかったかもしれないが、客席で観ていて心を持っていかれるほどおののいた。

全高座印象深かった。誇張でなく。

 

 

柳家わさびさん。

この演者さんの魅力は奥深い。古典の解釈、演出、表現力。新作のキャラクタライズにストーリー構成。

シブラクHPでも触れたが、なによりネタのチョイスのセンスが秀逸だ。

15日20時、欧州帰りの一之輔師匠が、無双状態で「加賀の千代」で沸かしまくったが、この日は事前にこうなることを予想して、新作を選択していたのだろう。結果、自分だけが目立つのではなく、吉笑さん、ろべえさん、一之輔師匠、わさびさんと、四者の魅力が引き立つ公演にしてくださり、実にわさびさんらしい公演になった。

とはいえ、この演者さんはまずはテキストの質を高めていって、技術を追いつかせていくタイプ。五十、六十のときその芸の全貌が明らかになっていく、強度優先の演者だと私は勝手に思っている。それでも現時点での魅力も充分ありすぎるくらい。

一席にかける準備が尋常ではないので、あまり消化しないように気を付けたい。

こういう特別な会は、なにより演者本人の満足度が客席の満足度になる。

そういった意味では、達成感に包まれた空気だったように思う。

 

八割愚痴になったけど、たまにはこういう毒抜きをせなば。なによりだれとも共有できないので、自分で忘れないようにしないといけない。

 

来月は、最終公演に文左衛門師匠が出る。渋谷らくごとしては襲名前の最後の出番になる。

真打昇進が決まっているろべえさん、志ん八さん、ポッドキャストでじわじわ人気の扇里師匠、そして文左衛門師匠。

みなさん最初の師匠は亡くなってしまった人たちで揃えてみた。少しだけでも師匠の思い出が聴けて、そして最後には前向きな気持ちになれる会にしてくれるだろうと確信している。

一之輔師匠、松之丞さん不在というこれまでにないピンチではあるが、こういったピンチをチャンスにしてこその興行だ。

すべての会が楽しみな会になった。少しでもお客さんを入れるよう、日々考えをめぐらせるとしよう。

 

原稿にもどらなければ。

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 02:45 | comments(1) | trackbacks(0) |-
【アニメ『落語元禄落語心中』Blu-ray三巻 発売!「落語探訪」に、小林ゆうさんと出演】
昭和元禄落語心中Blu-ray(限定版) 三
4月26日に発売しました。



雲田はるこ先生原作『昭和元禄落語心中』のテレビアニメ。
そのBlu-ray第三巻がはやくも登場!

アニメの第四話、第五話収録。
堅物だった菊比古が、自分と向き合い、自分の落語に気づきはじめるとき。
鹿芝居を通して、なにかを掴み始める。

いやー、この頃の菊比古と助六の関係が、一番いいですな!
ずっとこの時間が続けばよいのに!という。

さて、このシリーズ、特典映像にある「落語探訪」というコーナーに、声優の小林ゆうさんと毎回出演させてもらっています。
2巻までは新宿末廣亭を舞台にお送りしたわけですが、今度は二つ目の落語家さんの日常ということで、立川こはるさんに登場していただきました!
このコーナー、小林ゆうさんのカオスっぷりがおなじみです。
声優さんにツッコミたくない私も、さすがに芸人ぽいところが出てしまっていますが、生温かい目で見守ってくださいませ。

立川こはるさん、ご出演ありがとうございます!
第四巻にもご登場です。お楽しみに!

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ドラマCDも最高!
このドラマCD、毎回クオリティ高いんですんわまた!
助六のサインも入っているよ!

2016.05.03
posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) |-