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【渋谷らくご短観 2016年11月】2016.12.03 Saturday
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2014年11月、突如としてはじまった「渋谷らくご」は4日間開催でした。
というのも、10月に呼び出されて「来月からやってください」と言われたので、さすがに無理だから12月とか、キリのいいとこ2015年からはじめましょうよ、と提案してみたものの、それでもどうしても、ということだったので、いそいで会のコンセプトを決め、公演の時間帯や空間の演出を決め、出ていただける演者さんにお声がけし、自分のスケジュールもやりくりして、なんとかやってみたわけです。なかば強制的に。
会の立ち上げは入念にしないと痛い目にあう、というのは長年の経験からわかっていたので、これはいきなりつまづく羽目になると覚悟をしていたのですが、つまづくどころではない大けがで、ひたすらに演者さんに申し訳ないですと謝り続けた2年前。
11月はプレ公演ということにして、12月からが本番だと思ったんだけど、それでもうまく回るはずもなく、これはまずいことになるぞと胃を痛めまくって現在に至ります。
そんな「渋谷らくご」も気づけば2年。11月は特別な月と位置付けて、いつもより一日多い、6日間12公演。
メインは二つ目の瀧川鯉八さん。
6日間すべて出演していただくという、「鯉八まつり」にしてみました。
お客さんが入りすぎないようにコントロールしつつ、でも入らなかったら最悪なので、小屋や私を信用してくれるような人をどれだけ増やすかって話なのだが、注目度が高まっているのなら、強いメッセージを発信したいなと思って、こういう興行にしてみたのです。
とにかく渋谷らくごに行ってみよう、と、どこかで情報を入手して興味を持ってくれた人に、とにかく鯉八さんを見せる、
という非常にシンプルな導線をひいてみたのです。
これに関しては、なんで鯉八ばっかりなんだと、もちろん演者さんのなかにも、お客さんのなかにも思う人はいるかもしれないのですが、昨年末、おもしろい二つ目賞(渋谷らくご大賞)に選んだからには、多くの人に届けるまでを劇場の仕事にしないと、変な色をつけてしまいかねないので、責任が取れないなと思ったわけです。
とはいえ鯉八さんも、この一年で少しずつではありますが仕事が増えてきたようで(渋谷らくごなんかでプッシュされているから、うちはいいや、と言う人がいるものなのです)、そこまで強烈な色をつけないで済んだかなと、安心しています。
ですが、鯉八さんの才能は、落語会に足を運んでいる人はもちろんですが、落語を聴いたことない、普段映画やお笑いやお芝居を見ている人にこそ知ってほしいので、それくらい惚れ込んだ才能に対する責任としても、こういう興行がベストだなと思い至ったわけです。
6日間、鯉八さんは走り切りました。
いままでないくらいのストレスを与えてしまったようでしたが、鯉八さんなりに自分の課題と成果を見つめてくれたみたいでした。
足りない部分とできている部分を確認できる、おなじ若手の芸人として、そういう場があれば決して損ではないはずなので、なにかを持ち帰ってくれたと思っています。
ネタはすべての高座において、安定したパフォーマンスでした。最高でした。どのネタも大好きなものでした。
で、鯉八さん、あるいは「渋谷らくご」を聴きにきて、お気に入りの二つ目さんができた、という人に、
まだ生で聴いたことがなかった師匠たちを聴いてほしいなと思ったのでした。
定期的に寄席に出ている、あるいは、なんらかの形でハブとしての活躍をなさっている師匠方。
お名前を出してしまうと、目当てのお客さんで埋まるかもしれないけれど、渋谷らくごは動員がすべてではないのです。
メッセージを発信する落語会であり、「いまオレたちの世代にとってはこういう人が面白いんだ」という新しい価値観を提案する会であるべきなのです。
個人的にはそういうメッセージが強い会には足を運びたくないなという「保守の自分」がいるのですが、「リベラルな自分」を興行では優先することにしています。
なので、あくまでお目当ては若手、主役は若手で、彼らを聴きに来たお客さんに、お楽しみゲストを聴いてもらって、彼らにとってはまた新しい価値観を知ってもらいたいなと思ったのです。
これはリスクもあって、すごい師匠に出ていただきながら、客席がまったく埋まっていない、というケースが想定されるわけです。
また、自分目当てではないお客さんの前でトリをとる、という、師匠方にとってもストレスのかかる環境でした。
あくまでメインは若手なので、お楽しみがだれかなんてあおることも一切しませんでした。それでは本末転倒なのです。
これは恐怖でした。普通に告知していればお客さんもくるし、演者さんも安心だし、だからこそほかの会はこういうことをしないのです。しないにはしない理由があります。
ですが、「渋谷らくご」を信じて、若手の活躍を楽しみにしてくださっているお客さんがいることを信じて、6日間走り切りました。
おかげさまで、なんとか形になりました。ありがたい限りです。
お楽しみゲストはだれなのかと予想したり、出囃子であの人だ!とわかってしまうような落語通の方もいらしたようですが、そういう楽しみ方もあっていいと思いました。そこまで注目していただけるのは光栄です。ただ、そこに向けたアイデアではありません。
そもそも名前を知らない、出囃子を聴いてもわからない、という人をメインに設計したものだったので、「こういう真打がいるんだ、すごい!」と思ってくれた人が一人いれば、それでいいと私は思っています。
いまやるべきことは、こういう「はじめての一人」のほうをちゃんと向く、ってことだからです。
通ならば、その意味も理解してくださっていると勝手に思っています。
初日の古今亭菊之丞師匠は、私が落語を聴き始めたころは二つ目になりたてだったと記憶しています。
あのとき若手と言われていた人が、いまは第一線の超絶技巧真打になっている。
こんな胸が熱くなるような思いを、いま、そしてこれから落語を知る人たちに体験してもらいたい。
寄席で聴く円菊師匠の高座はスピード感があって圧倒的でした。メリハリがあってわかりやすくて。
そんな遺伝子をたしかに継承しながら、菊之丞師匠にしかできない落語を構築しているので最高。
二日目は入船亭扇遊師匠。
言わずと知れた大看板。どうしても、出ていただきたかった師匠です。
この5月、渋谷らくごスタート以来ずっと出演してくださっていた、柳家喜多八師匠の盟友。
高座でも、「今年は親友を亡くしました」とサラっと言ってくださっていたけど、あの一言に、その日はじめてきて事情を知らない人に対する師匠の配慮も感じ、それでいて事情を知っている人をキュンとさせるような男気を感じもしました。
長年磨き上げた話芸が炸裂した一席でした。
三日目は立川志らく師匠。
以前、雑誌の対談でご一緒したことがあったのですが、私の学生時代はこの志らく師匠が、二つ目から真打へと挑戦しているときでした。あんなにドキドキする経験が、落語会で味わえるとは思っていなかったし、歴史の一ページに立ち会っているんだなとそのっ瞬間に思えたことにも感激しました。
寄席に出られない、世間も自分に興味がない、そんなとき自分でどう動けば状況が変わるのか、そしてそこからどう展開させていくのか、まさに興行の基本を見る想いでした。
で、この師匠は進化を止めない、これでよい、ということをあまりしない、というのも見ていて楽しい。去年ああいっていたのに、今年全然ちがうこと言っているぞ、と、考えをアップデートしていくのです。
またその師匠のアップデート具合に振り回されていく弟子たち、という構図も面白かったのです。こういう師弟関係も、こしら師匠とかしめさんに継承されていくんだろうか。
四日目は柳家喬太郎師匠。
この師匠にも思い出がたくさんありますし、また、どうしても出ていただきたかった師匠です。
喜多八師匠が愛した仲間でもありますし、個人的にも落語受難の時代に、どんな環境の落語会でも飛び込んでいって連戦連勝するというめちゃくちゃカッコいい方でした。
場の空気を一瞬でつかんで、その場のベストチョイスを常に選択できるという、まさに芸人の鏡のような存在です。
古典も新作も隔てなく、おもしろいこととマジなこと、硬軟織り交ぜて落語そのものの魅力をいろんな角度から伝えてくれる師匠です。
渋谷らくごに登場した瞬間、キャー!という歓声が聞こえたのも喬太郎師匠だからこそ。老若男女人気がありすぎる師匠です。
出てもらえて、ほんとにうれしかったなあ。
この師匠との縁は、今年の5月31日、末広亭の余一会、喬太郎師匠と文蔵師匠の会に米粒写経で出させてもらったところからです。
引き合わせてくれたのは、だから、喜多八師匠だったんです。
五日目は、一之輔師匠と、三三師匠。
渋谷らくごの心臓ともいうべき存在の一之輔師匠、目下、破天荒な落語の無双状態が数年続いていると思いますが、鯉八さんと一騎打ちするところをどうしても見たかった! ありがとう、一之輔師匠!
協会もちがうし、縁もゆかりもない若手のために、ひとつも得にならない番組にも喜んで出てくださる。こんなありがたい存在はいません。
「どがちゃか」(どがちゃが)という渋谷らくご公式読み物の名前の由来ともなっている「味噌蔵」。実は渋谷らくごで演じられたことがなかった演目なので、かかったときはうれしかったなあ。大好きあの噺。
三三師匠は、渋谷らくごがスタートした11月、その初日のトリで出ていただいた師匠です。どうしても、どうしても2周年、出ていただきたかった師匠です。
出演してくださると決まった時から、師匠のおかげで、2年続きました、とお伝えしようと思っていました。
そして伝えることができました。こんなにうれしいことはありません。
「元犬」を演じてくれましたが、あの噺があれほどの爆笑巨編になるという、落語の神髄に触れてとてもうれしいです。
はじめて落語を聴きに来た人が、ああいう落語に触れてくれたらいいなと思っていたことが、かなえられた瞬間でした。
最終日は、瀧川鯉昇師匠。
鯉八まつりの最終日、出るのはこの師匠しかいません。
というか、鯉昇師匠のスケジュールが確定したときから、このプロジェクトは動き出したのです。
鯉昇師匠のあとに、弟子の鯉八さんがあがる。6日間のラストは、これしかないです。
「時そば」を演じてくださいましたが、桃太郎師匠が亜空間殺法で空間を歪ませたあと、古典で空気を整えるのかと思いきや、トリで創作をかけるであろう鯉八をつぶさないネタのチョイスでありながら、アヴァンギャルドな味付けのくすぐり多数。まさに鯉八さんが自然に落語に入れる空気づくり。職人技でした。これしかない!というネタのチョイスに感動しました。
特別に出ていただいた師匠方、ありがとうございます。
師匠たちの想いあって、若手の二つ目・真打の奮闘あって、渋谷らくごは成り立っています。
だれが出てくるのかわからないドキドキを、それがあたりだろうがはずれだろうが、感じることのできる機会って、ほんとに減りました。
ですが、こういう場を作っていくことが大事なのだと思います。
昔、「談志・圓楽二人会」とか、志の輔師匠のはじめてのパルコ公演とか、昇太師匠が本多劇場でやったときとか、桃太郎師匠が古典やるぞ、落語ジャンクションで今日はなにをやるんだろう、といったときに、落語会に足を運ぶ時間のドキドキしたあの感じを、どうやったら共有できるか、考えに考えました。
演者ではなく劇場を信用して足を運ぶような人が出てくると、これは演芸場につくファンのように、次第に寄席ファンになってくれるのではないかとも考えました。
来月からはまた通常運転です。
とはいえ、12月は「渋谷らくご大賞」と、「創作大賞」を発表する最終日もあります。
初日の20時回は完売しました(すみません)。
ほかの日程はまだまだお席の余裕がありますので、みなさまどうぞ詰めかけてください。
当日券を多数用意してお待ちしています。
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