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【東谷護 編著『表現と教養』ナカニシヤ出版:寄稿しました】2019.03.31 Sunday
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東谷護 編著『表現と教養 スキル重視ではない初年次教育の探求』ナカニシヤ出版
2019年3月30日に発売されました。
第1部第3章「日本語のうち・そと 第二言語としての日本語教育から考える」
と、
第1部第4章の「初年次教育んおける論文の書き方指導を考える 日本語学の有効活用は可能か」
を担当しました。
後者は昨年の成城大学でのシンポジウムを文字化したもので、
ゼミの先輩でもある石黒圭さん(国立国語研究所)、飯間浩明さん(三省堂国語辞典編纂者)、そして本書の企画立案者でもある東谷先生と、四人で台風がきた日に行ったものです。強行したんですよね。
でも、全国から大勢の大学の教員の方々がきてくださり、本当に有意義な時間でしたので目を通してもらいたいです。
これまで、日本語教育に携わる先生方への指導書的な書籍には、文章表現の授業の組み立て方やカリキュラムの組み方という切り口で、何度か寄稿してきました。
ですが、大学の初年次教育(大学一年生のための、レポートや論文の書き方をはじめとした文章表現)について、間接的にでも関ったのははじめてです。
2017年から、成城大学にて初年次教育の授業を担当していますが、それより前では初年次教育は、半期ずつくらい別の大学で教えていた程度で、とても新鮮な気持ちでここ2年過ごしています。外国人に対する日本語教育とはちがった問題がよこには横たわっており、それは果たして「文章表現」といったコマで扱う問題なのか、あるいはそれ以上の根深い問題があるのか、といったことをずっと考えています。
とにかく日本の学生たちは、高校3年までに徹底的に「学校人格」での文章表現を叩きこまれ、大学や試験に「通る」ための大人が喜ぶ文章、そして人格を操ることに長けてしまっている分、むき出しの自分を学校という「場」で表現することに、慣れていないどころか、頑なに抵抗をする人までいます。気持ちはわかります。大人や教員を信用していないからです。それは、18歳までに度重なる「教育」によって身体で理解してしまったことなのです。
つまり、外国人留学生(韓国、中国といった受験が熾烈な国は状況が似ているので置いておく)のほうが、表現という「出力」に関しては、ストレートに抵抗なく「自分」を出したり「意見」を述べることができている。なんか、おなじ年齢の学生の文章を読んでみると、スタート地点が違う気がしてならないわけです。
こうした問題意識だったり、単純に文章を書く、という作業をほとんどしていなくても入れてしまう大学が多く存在していたり、そもそもの学習意欲の問題があったりと、けっこう問題は多層的かつ複雑です。
が、ひとまずは目下の現実的な課題である「初年次教育」をどうしたらいんだ、と悩みまくっている現場の先生たちが、シンポジウムにも集結したわけで、そういう方々にとっては有用な情報や考察がふんだんに盛り込まれているのではないかと思います。
谷美奈先生の章とかホントおすすめ。
要するに、専門書です。
ファンは手に取る必要はないやつです。
お仕事報告的に記録しておきました。
こういうのけっこうちまちまやってんです。この仕事は自分のなかでは比較的大きいですけど。
東谷先生、ありがとうございます。
成城の学生は楽しいです。
2019.03
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