Profile
  メッセージを送る
Calendar
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>
米粒写経HP
米粒写経HP
サンキュータツオと居島一平のコンビ「米粒写経」。公式ウェブサイト
熱量と文字数
熱量と文字数
サンキュータツオPresents 二次元を哲学するトークバラエティ音声マガジン
漫才バカ一代
漫才バカ一代
米粒写経が主催する漫才オンリーライブ。年4回、3,6,9,12月開催。 ですが、レギュラーメンバーのスケジュールが合わず、次回は未定。
ワタナベエンターテインメント
ワタナベエンターテインメント所属
DVD『珍遊記〜太郎とゆかいな仲間たち〜』(1)(2)(3)

サンキュータツオの初声優作品!? 漫☆画太郎先生の傑作が春日森監督によってフラッシュアニメ化! 酒の肴にどうぞ。
サンキュータツオ
オリジナルデザインTシャツ
Tシャツリンク_1 Tシャツリンク_2
「一コマ目から好きでしたっ」
オタク心を代弁した魂の一枚をあなたも!
Links
New Entries
Category
Archives
Recent Comment
Recent Trackback
  • 水道橋博士のメルマ旬報 連載:サンキュータツオのお笑い文体論 「POSION GIRL BAND研究」連載開始しています
    Nowpie (なうぴー) お笑い芸人 (08/09)
  • 【ネタバレあり】『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 タツオ解釈DAT編 〜やはりDATは見ていた!〜
    しげの樹 (11/25)
Search
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
「ピン芸人」とは、「素数」である。 ■東京ポッド許可局 第61回配信
「ピン芸人」とは、「素数」である。


というわけで、今回の『東京ポッド許可局』にて早速本年の「R-1グランプリ」大印象論大会。以下、収録後の雑感。家に帰っていろいろ「ああ、これ言うの忘れた」を含めて。

 私は、R-1に関しては、以前から評価、順位云々というのがあまり意味をなさないような、ただ漠然とした心持ちで見ていたような気がする。
 それは自分がコンビでやっているからなのか、ただ単にピン芸人ではないからそう思ってみているのかなと思っていた。
 しかし、そうではないのだ。
 以前、第22回の“ピン芸人”論のとき、コンビは「職業」でピンは「業」という、マキタスポーツの論旨に、それこそ「ピン」ときていなかったわけであるが、その言葉こそ、時間を経るごとに、なるほどとうなづくことばかりなのである。

 まず、「M-1グランプリ」を見慣れてしまった我々にとって、「R-1グランプリ」は、あたかも「漫才」の「M」に相当する競技が、R-1でも展開されているかのような錯覚を覚える。
 しかし、ご存知のように、「R-1」の「R」は、「落語」の「R」ではもはやなくなった。「落語」という競技をやっているのはだれもいない。じゃあなんの「R」なのか、という問題なのである。

 そう、よくよく考えてみれば、「R-1」があるなら「コンビ-1」、すなわち「C-1」がなければならないのである。
 つまり、このコンテストの参加資格は、「漫才」とか「コント」とかいう「競技」ではなく、「一人」か「二人」か「三人」か、というなかの「一人」という、「競技人数」に限定したものなのである。
 というか、「一人」である、ということでしかもはやくくれない、「規格外」のしばりしか存在し得ない大会なのだ。

 そう考えたとき、私の従来もっていた「漠然とした心持ち」が晴れた。
 ずっと気になっていた、内容よりも「システム」の問題のひっかかりがとれたような気がするのだ。

 たとえば、「コンビ-1グランプリ」、つまり「C―1」があったとする。
 極端なことを言えば、「C-1」では、NON STYLE(ノンスタイル)の後にバッファロー吾郎が出ても良い大会、ということになる。
 漫才のあとにコントが出てきたり、二人で笑わせるマジックがあったり、笑わせるパントマイムが出たりする。またコントが出てきて、その次に漫才がある、というのが、「C-1」の姿だろう。
 これでは、評価のしようなんかできず、順位がつけようがない。だって、競技が違うんだもの。「二人」っていうくくりしかない。

 これとおなじことが、「R-1」でも起こっている、というわけだ。
 道具を使う人、使わない人、漫談でやる人、コントでやる人、動く人、動かない人、音を使う人、使わない人。
 これは、例えていうなら、オリンピックで、「砲丸投げ」をしている人と「やり投げ」をしている人と「100m走」をしている人と「自転車」をしている人と、さあ、だれが一番すごいですか、と言っているような大会なのである。
 「一人競技」という競技で。
 「スケッチブック-1グランプリ」とか「漫談-1グランプリ」とか「音ネタ-1グランプリ」とかで、「競技」のしばりをつけるのであればまだわかる。
 あるいは、まだ譲歩して、「砲丸投げ」と「やり投げ」と「円盤投げ」で「投げ競技」に括ってしまう見せ方ならまだわかる。だれが一番遠くに投げたか、みたいな。
 だけど、そんなかに「100m走」をしている人がいるのだ。「力」の競技に「スピード」の競技をしている人がいる、みたいな。

 おそらく、決勝に出た芸人さんたちは、厳正なる審査の結果、「その競技で一番」(たとえばスケッチブックネタの1位とコントの1位、とか)の人たちを選んでいるに違いない。
 で、それを見られるだけで、私は満足していて、おそらく順位とかにあまり興味がわかなかったのかもしれない。というか、「その審査はちがうだろー」とかも思わなかったのだ。審査に重きを置いている番組であるがゆえに、審査に興味がない、という自分の感覚に、ずっととまどっていたのだ。

 笑芸は、芸術とかと違って、観客の「笑い」が起こる、という、唯一といっていい「点数の図り方」がある。
 「一人」ということでのみ縛られた参加資格で、「一番笑いをとった人」ということが審査のあるべき姿なのだけれど、当然ジャンルによって「笑いをとった」量というものもでてくる。スケッチブックでならテンポよく笑いが取れる。でも「すべらない話」でとる笑い、これだって立派な「一人芸」である。でも「すべらない話」は尺はとるけど、笑の量では、最後にしかないので不利、ということになる。「質」の問題を度外視してしまうと。でも、極端な話、「スケッチブック」と「すべらない話」が同列で審査される。その、ちぐはぐな感じ。それが私にとっての「R-1グランプリ」だ。

 私は、R-1を決して否定的に捉えているわけではない。
 むしろ、「点数なんてつけないで☆」といいたい、あるいは、「その競技での到達点数」の「絶対評価」で図って、と言いたいのかもしれない。
 「一人コントのなかでは98点」「スケッチブックネタとしては87点」「キャラ芸としては91点」、じゃ、絶対評価で98点の「一人コント」の人が最強ってことで!みたいな?
でも、全員が違う競技をやっているので、その「絶対評価」の相対化は、非常に見ている側としては難しい。また、この絶対評価でいくと、10種類の競技での点数を10人につける、という非常に難しい審査にもなる。全然違うベクトル上での評価になってしまう。
 しかし点数をつけないと「競技」にならず、「グランプリ感」がなくなり、視聴率も取れないわけだ。このジレンマ。
 でも、おもしろい「R-1グランプリ」。

 ところで、数字には「素数」というものが存在する。 
 素数とは、「1とその数自身以外で割り切れない自然数」である。
 2,3,5,7,11,13,17,19,23,29,31,37,41…(以下、素数は無限にある)…これらが「素数」である。
 どの数字も、1とその数以外で割ることができない。

 「ピン芸人」の「ピン」は、当然「1」を意味する。
 しかし、彼らを集めたとき、なにかの競技でくくろうとしても割り切れない。
 「スケッチブック」でくくることもできないし、「漫談」でくくることもできないし、「コント」でくくることもできないし、「音ネタ」でくくることもできないし、大きく言えば、「ボケ」でも「ツッコミ」でもくくることはできない。
 どういう「競技」でも割り切れない。「その人のやっていること」でしか割り切れない、自己完結性と絶対性をたぶんに備えているのだ。つまり、「2」からはじまる「素数」たち、「素数芸人」であるのだ。なんてかっこいいんだ、ピン芸人て。
それこそ「業」である。
「割り切れない数字があるな。うん、じゃ、なんかおもしろいから、そういう数字を“素数”って呼ぼうぜ!」みたいな。それだけのくくり!?っていう。そんな、ピン芸人たち。

 マイクの前で、二人でしゃべって笑いをとっていれば、それはいかにコントをやっていようと、即座に「漫才」と認識される。
 一方で、舞台が明転して、そこで二人がなにか「すでにそこにある世界」での芝居が繰り広げられ笑いをとっていれば、それは「コント」と識別される。
 つまり「漫才」なり「コント」という競技で「割り切れる」のだ。競技とは、常にそういうなにかの「約数」で割り切れるから競技足りうるし、優劣がつく。

 「ピン芸人だけの大会」というのは、「素数の大会」であって、どの素数が一番いい素数か、なんてことをやっているようなものである。
 そこをあえて「大会」にするという、ヴァーリトゥード感がチャレンジ精神あふれる番組だと思うのだが、
 格闘技がどちらが倒れるまで、というシビアなルールであるのなら、むしろ「ピン芸人だけの大会」は、審査員をおかず、「笑いを測定する機械」で、笑いの起きた回数、大きさ、長さ、そんなものを正確に測定して優劣を決したほうが、まだまだおもしろいような気がするのである。

「R-1グランプリ」を見たあと、なぜか自分のなかで「だれが一番おもしろかったか」という問いを立てられず、ただ漠然と「割り切れなさ」を感じていたのは、「割り切れない」彼らを見ていたから、それは当たり前のことだったのだ。

 「ピン芸人」にはロマンがある。それは、割り切れない存在、素数だからだ。
 素数の出現にいまだ法則性が発見されていないように、「ピン芸人」たちを同列に扱う、真のものさしはいまだ見つからず。見つからないから、素数であり、「ピン芸人」なのだ。
  

○ちなみに、個人的には、審査委員長の桂三枝師匠が、「ピン芸人の大会」で、「M-1における島田紳助、松本人志」なみの「おもし」になっていないのが非常に残念である。
三枝師匠をもっと世間の方々、そしてピン芸人のみなさんにリスペクトしてもらいたい。
三枝師匠はホントに孤高の、ホントに天才の、落語という競技すら破壊する力をもつ、日本一のピン芸人と私は思います。


○というわけで、たまたまの「拍子」で撮れた、
マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオの3人による、どんなに流行っても絶対タイトルを噛むラジオ、『東京ポッド許可局』、第61回配信。「たまたま」撮れたものなので、もともと話すつもりではなかった場所で撮ったものなので、音質が悪いかもしれませんが、聴いてみてください。
PCさえあれば、機種・メーカー問わずだれでも聴けますよー★
【第61回“R-1ぐらんぷり”論】

ブログ用タツオ
≪解説≫

【本日のキーワード】
中山功太/エハラマサヒロ/バカリズム/COWCOW山田よし/あべこうじ/サイクロンZ/鬼頭真也/鳥居みゆき/岸学/夙川アトム/優香

「ピン芸人とは、冒険家である。」ピン芸人に関する論旨については、【第22回“ピン芸人”論】(再放送決定!)をご視聴ください。



■プチ鹿島局員の紹介記事
鳥居みゆきのあのサービスショットはなんだったのか。


posted by: サンキュータツオ | お知らせ | 04:37 | comments(3) | - |-
どうも初めまして。やほーで現代文について検索してこのブログの現代文の解き方のページに辿り着きました。短大受験がもうすぐなので参考にさせていただきました。その通り問題集をやってみると一気に点数が上がりました。有難うございます。他のページも拝見したのですが腐男子さん?だそうで。私は腐女子ですが芸人さんのナマモノ専門の腐女子なのでタツオさんで萌えちゃうかもしれませんよ(笑)それでは変な発言も含めて失礼しました〜。
| ちい | 2009/02/23 2:14 PM |
「R-1とは、A(アーティスト)-1に笑いを乗っけたものである」ってのはスゴイわかりやすかったですよ。
| ねこまじん | 2009/02/24 5:44 AM |
>ちいさん、

はじめまして。コメントありがとうございます!
受験にナマモノに、いろいろな意味でお役に立てたなら、光栄です☆
できればねー、現代文は直接指導すれば効果てきめんなんですが、ご自身で体得なさったのであれば、もともと才能があったのかもしれませんね!
いつか腐の世界のことを逆に教わることができれば、幸いです。


>ねこまじんさん、
コメント、サンキューです!
わかりやすいといってもらえると嬉しいです!
聴いてくださったのですね、幸せです。


| タツオ | 2009/02/27 12:12 AM |