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■東京ポッド許可局 第67回配信 〜演出について考える〜
2009.03.29 Sunday
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人を中毒にさせるもの。
エンターテイメントとはなにか。
マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオ
の3人による、どんなに流行っても絶対タイトルを噛むラジオ、『東京ポッド許可局』、第67回配信。
PCさえあれば、機種・メーカー問わずだれでも聴けますよー★
■【第67回“見世物”論】
≪解説≫
【本日のキーワード】
コルテオ/黒柳徹子/アンドレ・ザ・ジャイアント/マッスル/エンターテイメント/劇団四季/ディズニーランド/世界観/落語/高田総統/箱/勘三郎/相撲/ジャニーズ/両国国技館/TBS
日本人にとって、プロレスとはサーカスなのか?
「プロレスとは闘いです」と猪木が言った、その真意とは、
プロレスがエンターテイメントになり得ないことを示していた……。
人を楽しませるものに必要なものはなにか。
許可局がお送りする、エンターテイメント論。
▼記念すべき許可局の最初の配信、【第1回“ドラリオン”論】を再放送としてアップしましたので、合わせてご視聴ください。
最近、アニメとか漫画とか観てて思うのは、すんごく好きなキャラがいる作品て、結局最終的にすべてのキャラのことを「みんな好き」にさせられてしまうこと。
これはなぜなんだろうかと考えると、やっぱり「世界観」のある作品だからなんですよね。
ディズニーランドも、ミッキーがいて、ドナルドがいて、ダンボがいて……、でも、最終的にはそんな大好きなキャラクターたちが一同に介していておかしくない、あの「世界観」が良い、ということになる。
で、「世界観」の構築にはなにが欠かせないかといと、「場」の問題。
そのキャラクターたちが自由に動き回っていてもいいという、場所を作り出すことを、クリエーターたちは考えている。
考えてみたら、私がドはまりした「シャッツキステ」だって、まずは「場所」を作ることに最大の労力をかけていた。
日常を感じさせない世界観の構築。電気のスイッチ、部屋の壁、部屋のなかにあるセロテープでさえ、古びたものをわざと使用していた。
それもこれも、「場」を作り出し、「世界観」を確固としたものとするためだった。
全然位相が違うけれど、よくテレビでやる「大家族もの」も同様で、こちらは一転、裕福な暮らしをしていては、一人ひとりに感情移入はできない。
限られたお金のなかで、家族仲良く、ときには衝突し、お互いを想い合うからこそ、「大家族もの」という「ショー」は成立する。
つまり見世物に必要なのは、世界観、場。こういったものを「演出」とひとくくりにするのであれば、「演出」こそ最大の「見世物」を「見世物」たらしめる要素である。
おなじことをやっていても、「演出」ひとつで、それが輝きもすれば色褪せもする。
シルク・ド・ソレイユは、あえて「サーカス」という言葉を使用していない。
つまり「脱サーカス」をしているのだ。
少なくとも私にとっては、「サーカス」という言葉に、陰湿ななにか、ジメっとした小屋のなかで、いかにもいかがわしい見世物をしている印象がなぜかある。
それはサーカスの世界観だし、全然否定するつもりはない。
しかし、そんなサーカスの語感を敏感に察知してか、「ドラリオン」にしても「コルテオ」にしても、サーカスという言葉を積極的には使用していないのではないかとすら思うのだ。
それもこれも、「世界観」の構築のためであろうと勝手に考えている。
というのを、今回の放送の補足として考えてみました。
■プチ鹿島局員の紹介記事
「『見世物』。この甘美な響き。」