実写とアニメの違いについて
この一週間での個人的な出来事、考えたことなど。日記ではなく「週記」でいきます。
今週は、アニメと実写映画の違いについて、『蟲師』の長濱博史監督とお会いしたときにいろいろお話いただいた。
それはもう、たくさん考えることがあった。
昔、大学の授業で、浦山桐郎という『キューポラのある街』などの映画(実写)の監督をした人のことが紹介されたことがあった。
なんでも、浦山さんによれば、
仮に花瓶に入った花を、密閉空間で、光も完全に照明でコントロールされたものだとして、ホコリもなにも目に見えない状態で撮影するとする。
これを20秒間連続で、変わらない映像を撮影するのと、静止画で撮影したものを20秒間流すので、全然違う、ということを言っていたそうである。
そのときの先生(原一男という映画監督)は、この浦山発言について、説明できないけれど、そうなのだ、と言っていて、
だれかわかる人がいたら説明してくれ、と言っていた。
以来、私はずっとこのことがひっかかっている。
この疑問を長濱さんに投げたら、即答で「全然違いますよ」とおっしゃる。
「おなじ絵だって、動画で撮影するのと、静止画を流すのとでは、目に見えないかもしれないけど、人間の目はもっといろいろ見ているんだ」と。
体で感じているのだ、と。
これはアニメでもおなじことで、たとえば一瞬だけでわからない、細かい作画なども、一見意味ないように思われるけど、
人間の体というものは、「あれ? なんか違う、ほかのと違う」と、その「空気」を感じ取れることができるのだ、というのである。
これはアニメ『蟲師』を見たことがある人なら首肯できることである。一見まるで単純で絵代わりのない静かなアニメ、かと思いきや、実のところ、非常に細かい作画が重ねられ、セリフよりも目、自然でいえば木や風の動き、そんなことがなによりも体で「あれ、なんか迫力がある」と思わせるものに満ちている。
私が、長濱さんのおっしゃったことを肌で感じたのは、アニメ『大きく振りかぶって』のオープニングを見たときであった。長濱さんが担当した、1期目のオープニングである。入道雲を見たとき、「なにかほかと違う」と、なんとなく思った。
いままでのアニメで見た入道雲とは、なにか違う、入道雲らしい入道雲。
後で見返してみてわかったことだが、長濱さんは、入道雲を何層にも分けて書いて、ホントにわからないくらいわずかに、ホントにわずかに、雲がすこーし動いているのだ。
そんな長濱監督が、
アニメでも、
おなじ絵を静止画でずっと流しているものと、おなじ絵でも何枚も動画撮影をするのとでは全然違う、というのである。
たとえば、『新世紀エヴァンゲリオン』でも、エヴァがカヲルの体を手に収めて、殺すか殺さないか葛藤して、50秒ほど全くおなじ絵で止っているシーンがある。
しかし、厳密に言えば、あのシーンとて、静止画で流しているわけではなくて、動画で撮影している。
そしてなぜか、人間の体というものは、その動画として撮影されたおなじ絵を見て、「あ、エヴァのなかでシンジが葛藤している」と感じることができるのだ、というのだ。
これは静止画では伝わらないなにかがあるそうなのだ。
なんなんでしょう、空気って。そして人間の体って。
一方で、たとえば『V フォー メンデッタ』という映画を観たときに、
仮面を被り、復讐に燃える「V」という主人公が、特撮などを多用して現実にはありえない動きなどをするのであるが、
これならアニメでやればいいじゃん、と反証をたてると、
「いや、あれは実写映画でしかできないんです」、と言うのである。
仮面をかぶった人間が動き、身振り手振りでやや大げさなマイムをすることで感情を表現する。
そして、表情のない仮面に、観客はいろんな表情を読み込む。
それは、現実の人間がすぐ隣にいる状況でVという存在がいるから、余計に目立つというのだ。
しかし、これをアニメでやってしまうと、
アニメというのは元来が「止っているもの」で、作り手が「動かそう」と思わないと「動かない」のだ。
したがって、仮面をかぶった人間と、その隣にいる人間を、おなじアニメーションという手法で描いたら、
両方「止って」見えるというのだ。実写ほど、仮面をかぶっている人間と、そうでない人間の違いが立たない。
大げさな身振り手振りで仮面の人間を描いても、それは単なる「くさい演出」になってしまう。
これは実はアニメーションの、唯一といっていい弱点なんだそうである。
現実では起こらないこと、ファンタジーをやるのがアニメの魅力だと思っていた私は、
実写映画でファンタジーをやるのであれば、いっそアニメでやってしまえばいいと思っている。
しかし、この長濱監督の話を聴いて、
やはり実写とアニメーションの表現手法の違いというのは、作り手にとっては大きな違いがあるのだなと実感した。
この違いは、アニメーションの存在意義を永遠に保証するものであるとも言えるのだが。
そういうことを思うと、ますます実写なら実写でしかできないこと、アニメであればアニメでなければできないこと、を見てみたくなってしまうなと思った。
また、アニメを観る「視力」をちょっと上げられたかなと思ったりする。
▼今週の横浜ベイスターズ(野球)
ルーキー、藤江が巨人戦好投!
後続がとんでもない打たれ方をして負けるも、今後に大きな期待を寄せられる出来!
▼今週のバルセロナ(サッカー)
リーガでは勝てば優勝、というホームでの試合で、3-1のリードから、まさかの後半残り15分での同点劇。
3-3で優勝はおあずけ。メンバーにも疲れが見えてきている……か。
しかし三冠制覇の歴史的偉業、今年こそ見せてもらえると信じているぞ!
ボージャンもっと出せー。
▼今週のNBA(バスケット)
レブロン・ジェームス率いるキャブス、負けないの8連勝で東地区決勝に進出。
レブロンはまったくセルフィッシュな選手ではなく、往年のジョーダンのような華がありながら、
アシストや泥臭いプレーも可能で、黒子的な活躍もできる。
まわりのチームメートも活きている。非常に完成度の高いチームだ。東はこのままキャブスの優勝だろう。
一方、西はレイカースとロケッツの対決が見ものであったが、センターのヤオ・ミンが骨折により戦線離脱。
もうこれで勝負は決まった。ロケッツ相手に2敗していたレイカースだが、このまま決勝に行くだろう。
そして、おそらくこのまま決勝。
やはり今年はレイカースとキャブスの対決になるだろう。
これは時代の必然だ。
非常に完成度の高いチーム同士、そして円熟期のコービーと全盛期のレブロンの対決。
単なる例年のファイナルとは意味合いが違うものになるだろう。
しかし。
私はここへきて、キャブスがもしかしたらいくんではないだろうかと思っている。
チームのために自己犠牲の姿勢やキャプテンシーに満ち溢れた両エースだが、
レブロン・ジェームスのポテンシャルは、全盛期のコービーよりも勝っているように映る。
強いて言えば、体のキレがハンパねえ。いまレブロンは一番いい!
センターとしてはレイカースのガソルがやや上回るが、時代に選ばれるのはレブロンのような気がする。
今年のファイナルは荒れる。最後まで見逃せない。
<この一週間のニュース>
◆新型インフル:国内初の感染確認 大阪の高校生2人と教諭
いつの間にやら「豚」ではなく「新型」と言う慣わしに。「隔離」ではなく「停留」、も。
◆武蔵川理事長、両横綱ゴルフに「軽率だ」と厳重注意
サッカーやゴルフやって、やっぱり横綱は強い、って思われてもいいと思う。
◆陸連タジタジ…高橋尚子さんが“質問攻め”
Qだけにクエスチョンだらけなんでしょう。
◆<全日本ラリー選手権>近畿最大160台の痛車集結 町おこしとラリー盛り上げ狙い 京都・南丹市
ホントに痛いのは車が事故ったときだけです。
◆<辻希美>女子中高校生が選ぶ「理想の母親」1位に 益若つばさ、黒木瞳が2位
それって、つい最近母親になった人、というイメージなんじゃ。時代だ。
◆真木よう子が女児出産
真木ようじょ。
◆<シアル酸>唾液成分に発毛効果 「牛に頭なめさせると…」ドイツの言い伝えに着目
ハゲを舐めた牛タンはおいしいのでしょうか。捨てるところがないなあ、牛。
◆小室被告、記者会見で謝罪「多くの方を裏切った」
この人、悪い顔していない。きっと天然なんだろう。
◆小沢辞任 どうなる麻生シナリオ 国会空転なら解散権に制約
後任候補も結局はいつものメンバー。
◆<拉致被害者>家族会などが田原総一朗氏とテレ朝に抗議
抗議されても折れなかった田原総一朗。