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♪明治の男と大正の女

♪明治の男と大正の女

 
祖母の臨終は、私が中学3年のときに訪れた。
癌であった。

祖母は私を育ててくれた。
私はそのときすでに母子家庭であったので、母の帰りの遅い平日の夜は、隣に住んでいたこともあって、夕食なども作ってくれていた。
冬には石油ストーブをたき、そのストーブの上であたたまったふかし芋を食べるのが私はなによりも好きであった。

私は祖父母にはずいぶんと甘やかされた。
母が帰ってくるまでの時間、ふかし芋を食べに行き、テレビで相撲を見ながら、祖父は日本酒を少量飲んで気持ちよくなり冗談や駄洒落をよく言ってそのうち眠りこけてしまい、祖母は笑いながら編み物をしていた。そんな静かな時間がとても貴重なものに感じていた。

貴花田がはじめて優勝した日、祖母は入院をした。
「あれは横綱になるのかしらん」と祖母が言っていたのを覚えている。
缶ジュースの烏龍茶が発売されており、祖母はそれを飲んで「お茶をお金を出して買う日がくるなんて思わなかった」とも言っていた。
そう言いながら、ストローで烏龍茶を飲みながら「ありがたい」なんて言っていた。

当然ながら、祖父母は自分たちのことを「おじいちゃん」「おばあちゃん」と言っていた。
名はコウユウとトシコである。
祖父母は非常に仲の良い夫婦であった。
喧嘩をしたところを見たこともないし、祖母は祖父を、祖父は祖母を尊敬していた。
明治の男と大正の女。
小さい私から見るに二人の関係は、つかずはなれずの夫婦の「あるべき姿」のように見えた。

生涯で一度だけ夫婦喧嘩をしたことがあると聞いたことがある。
祖母は、一度も会ったことのない祖父のお見合い写真を見て、祖父のいる満州まで追いかけていき、結婚したそうだ。
私の父は満州で生まれた。
ハルビンというその街には、一日中排気ガスにまみれ、ほどなくして生まれたばかりの父はぜんそくになったらしい。
東京に引き揚げるというときには、父はもう助からないと医者から言われたそうだ。
助からないので、そのまま現地に置いていって見殺しにせよと助言されたとか。
時代である。
そんな理屈がまかり通っていた時代。
そのときに、子を満州に置いていくか、死んでもいいからともに引き揚げるかで、一昼夜喧嘩したという。
どちらがどっちの主張をしたのかは言わなかったけれども、結局父は日本に引き揚げられた。しかもちゃんと生きて帰り、結果的に私が生まれたというわけだ。

それ以来、大きな喧嘩はしていない、と明治の男も大正の女も目を合わせていっていた。
私には甘かったあの二人も、それでも激流の時代を生き抜いてきたからか、あの時代の人特有の凛とした威厳があり、私はどこか畏敬していた。
庭には防空壕のあとがあり、東京大空襲のときの悲惨な話も祖母は涙ながらに語っていた。しかしそんな時は決まって祖父はなにも語らなかった。

二人は当然、順番として明治の男が先に逝くだろうと思っていたに違いない。
しかし残念ながら先に伏したのは祖母だったのである。

祖父は足と目が悪かったが気丈に振る舞い、近所の病院までよく見舞いに行った。
とくにこれといって祖母と会話があるわけでもなく、杖をついて椅子に座ったまま、黙ってそこにいるだけだった。
そんな病室にいると私は時に気まずくなったものだった。

いよいよという日が来て、家族は全員病室に集まり、最期の時を待つしかなくなった。
皆がベッドの脇に集まり、意識が薄れていく祖母の耳元に、いろいろ声をかける。
人間の、最後に残る感覚は聴覚なのだそうだ。
祖父も立ち上がって声をかけていた。

完全に意識がなくなりかけたそのとき、祖父は大きな声で叫んだ。

「トシちゃん!」

祖父が祖母の名を呼んだのを聞いたのは、あの時が最初で最後だった。
あの祖父の声を聞いたとき、私はハルビンの排気ガスを吸ったような気持ちになった。

祖母が亡くなってからは、あれだけ威厳のあった祖父は魂が抜けたようになり、数年後90歳で大往生した。

posted by: サンキュータツオ | 土曜♪随筆(開設〜2009年9月まで) | 23:36 | comments(3) | - |-
外で読んじゃったよ。泣きそうになっちゃったじゃないか〜!
| koko | 2009/06/08 6:03 PM |
おじい様のおばあ様への深い愛情に触れ、思わず泣いてしまいました。
切なさも感じておりますが、心をとても温かく柔らかいものに優しく包まれているかの様です。

| 和 | 2009/06/09 2:07 PM |
「明治の男」で検索してたどり着きました。
すてきな御祖父母でいらっしゃったんですね。読んでいてその凛とした強さと、お二人の愛情の強さを感じました…
| ひののめ | 2014/10/23 11:16 PM |