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【渋谷らくご短観 2016年8月】2016.08.25 Thursday
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このご時世になるとブログはあまり私のことを知らない人には拡散せず、むしろ私のことを知っていたり文句を言う目的でロックしていたりする人だけが熱心に読むものだということがなんとなくわかってきたので(もちろん両者とも私は愛しているのだ)、
初心者向けの情報は「渋谷らくご」のHPに書くとして、ここでは備忘録的に、渋谷らくごのことを書く。もちろん初心者向けではない。
喜多八師匠が亡くなったショックからいまだ抜け出せずにいる。
それでもゆるやかに、前向きになれたのは、6月14日の18時、もともと喜多八・ろべえの「ふたりらくご」を予定していた一時間、ろべえさんがひとりで務めてくださった、あの高座からである。
昨夏、自転車に乗られなくなった師匠を拝見し、楽屋でのご様子、鬼気迫る高座の連続を目の当たりにして、この一年は、いかに喜多八師匠に気分よく高座を務めていただくか、それを中心に考えてきた。
渋谷らくごには構成と動員の核にしている演者が何人かいて、またそれぞれの世代やグループのハブになる人で、継続的に出演していただける方にお声かけさせていただいている。喜多八師匠はそのなかのひとりだった。
師匠とはとくに踏み込んだ話をしたことがない。21年に及ぶお付き合いのなかで、ご一緒することは何度もあっても、師匠の言葉の端々からいまどんなことを考えているのか、それを直接聞かずに間接的に接することが、自分としてはとても心地よかった。
私はどんな初心者にも、最初に落語の魅力を知り、また聞き分けを通して、次第にわかっていく魅力もまたひとつの魅力であることを知ってほしいと思っている。つまり、「最初わからなかったけど、そのうちわかる魅力」といったものの存在である。
むろん、本物は最初から伝わるという考え方もある。扇辰師匠や馬石師匠、圓太郎師匠に文左衛門師匠といった面々に継続的に出演していただいているのもそういう考えからである。
喜多八師匠はそういった意味でいうと、最初からわかる人と、最初はわからない人がいる、まことに奥深さを持った師匠だと考えていた。
別のおめあての演者を聴きに来たついでに、喜多八師匠を聴いて、最初はわからないけど、二回目、三回目と聴いていくうちに、とてつもなくすごいものに触れているという実感を、肌で感じさせてくれる存在だ。こういう演者がひとりはほしい。
同時に、元気のいい若手でガチャついた番組でも、しっかり自分の芸に引き寄せる静の芸。圧倒するタイプではなく、聴かせる力を持った人。真剣に聴かなくなったって、なんとなくでも情報が気持ちいいスピードで入ってきて、気付いたら別世界へと連れていってくれる人。かといって独善的ではなく、寄席的な時間の流れや、多様性をよしとしている象徴的人物。喜多八師匠の魅力を語りだすとキリがない。
演者さんすべての魅力を語りたいけど、語り切れないジレンマがある。
一之輔師匠でも松之丞さんでも、鯉八さんでも昇々さんでも吉笑さんが入口でも構わない。だけど、彼らを楽しむと同時に、喜多八師匠の芸の魅力も示唆することこそが、初心者向けとうたった渋谷らくごのやるべきことだと私は感じていた。
渋谷らくごを、短期的な興行と考える場合と、中・長期的な興行と考える場合、双方を考えたうえ、他の落語会の主催者にご迷惑をおかけしないバランスで、演者さんには慎重にお声かけしなければならない。
また、開始当初から不入りが続いた状況と、そこそこ入るようになった状況と、あまり入りすぎてもいけない状況によって、都度微妙に番組を構成し直していく。「なぜこういう番組になるのか」という疑問が生まれるほどに、まるで囲碁でもやっているように一見不思議な手を打つこともある。
メンバーをなんとなく固めつつも、固めきらないのも大事なことで、渋谷らくごの色をつけすぎてもその演者のためにならないことが多いし(敵視している人ももちろん多いので)、芸風によっては若手のころに結果をいそがず60歳で形になるように設計されているものもあるので、若手のうちに消費しないほうがいいものもある。演者を焦らさないことも重要だ。消費を生むと同時に、消費を急がせないことも考えなければならない。
しかし、日に日にまずい状況になっていく師匠が、決して渋谷らくごを休まない、それどころかむしろ楽しみにしているようにさえ見えてきたとき、もう少し先にと考えていた、立川左談次師匠にお声をかけずにはいられなかった。
談志師匠脱退前は、落語協会で交流があったであろうお二人。柳家で、酒が好きで、脱退前に協会で真打になっている左談次師匠は、おそらく喜多八師匠と普段は一緒になる機会が少ない、それでいて気が合うはずの二人。
左談次師匠の足の骨折からの復帰を待ち、渋谷らくご2周年となる2015年11月に、左談次師匠と喜多八師匠の邂逅は実現した。あの日の両師匠の笑顔はいまでも忘れることができない。
思うように歩けなくなり杖をついて会場の下までたどりついた喜多八師匠は、こんな格好兄さんには見せられねえなあ、と躊躇していたが、楽屋につくなり「兄さん、オレこんなになっちゃったよ〜!」と杖をもって明るくおどけてみせると、それを見た左談次師匠も自らの杖をもって「オレもだよ〜!」と答えた。久しぶりにあった二人がこんな会話からはじまるのだから洒落てる。芸人かくありたい。
「また兄さんとやりたいなぁ」とその日喜多八師匠はおっしゃった。何度か実現した。
喜多八師匠はそれからも、あいつとやりたい、こいつと出たいと、リクエストをしてくださった。
11月からは半年もった。師匠が亡くなる前の世界と後の世界は、確実に自分のなかで変わったはずなのに、目の前の世界はおなじなので現実感がない。
それでもふとしたときに思い出すと涙が出てしまう。
2016年5月31日、私はコンビではじめて新宿末廣亭の舞台に立った。余一会、喬太郎師匠と文左衛門師匠の二人会のゲストであった。二つ目では神田松之丞さんも出た。
その打ち上げの席で、喬太郎師匠の口から喜多八師匠の話をうかがったとき、本当に亡くなったんだと妙に現実に引き戻された気がして涙が止まらなかった。
20年前、あれほど追いかけた喬太郎師匠が目の前にいるという非現実的な光景なはずなのに、その口から出た言葉だからこそ圧倒的現実だった。
左談次師匠はあきらかに夜中のツイートが多くなり、しょうもないダジャレツイートの数が減った。
喜多八師匠の死をキッカケに、文都師匠(関西→談坊→文都。私にとって文都はずっとこの文都です!)や談大さんといった方々のことも思い出されているようだった。なんて愛の深い方だろう。
それでも渋谷らくごは毎月続いている。
演者さんはみんな熱演続きだ。お客さんもすれてなくてとても反応がよい。といってミーハーばかりというわけでもない。
左談次師匠はその後も名演続きだ。
喜多八師匠代演が出た5月は「短命」、6月は「町内の若い衆」に「万金丹」、7月にはトップで出た笑二さんが「弥次郎」をやったにもかかわらず談志直伝の「弥次郎」をかけて場内を沸かせてくださった。
これも6月の「渋谷らくご」で旅の噺を演ろうと稽古してきたものの出番前に旅の噺がついたことから「町内の若い衆」に変更、翌月またネタがついたという因縁を、逆手にとった策略でとても可笑しかった。中途半端にネタがつくならまだしも、完全におなじネタだったらむしろ面白いだろうという判断、悪戯心もあってとってもオシャレだと思った。
ちなみにこの日のトリは喜多八師匠の盟友、扇遊師匠であった。喜多八・扇遊・鯉昇の三師匠は一緒に出ないように心がけてはいたが、それでもこの日、楽屋に喜多八師匠がいらっしゃる気がした。杖に頬杖をついて、ニヤっとしてくれたかなぁ。
そんな左談次師匠が8月に体調を崩され入院、さきほど食道癌で闘病中と公表なさった。
食道癌は私の父がかかった病であるが、最初は症状がわかりにくい。進行もゆるゆると。
左談次師匠のことなので、お酒が点滴になったぶんむしろ元気になって帰ってくるのではないかと思うが、来年は落語家生活五十周年、完全復活をしてもらわなけれなならない。
「出ると病気になる落語会」とならないように、左談次師匠にはまだまだ働いてもらいたいのだ。「働け!左談次」って木村万里さんやってたなあ。あれで知ったクチ。
左談次師匠に気持ちよく高座にあがっていただくのが、渋谷らくごの新たなモチベーションのひとつだ。いまは回復を祈るばかりである。
ここ数ヶ月、落語に関しては徒労感を感じつづける日々だったかもしれない。
テレビの取材は画一的でどこも聞くことがおなじ、おまけに扱いが雑で客席でのマナーが悪いので極力断ることにした。
雑誌の取材も二時間くらいしゃべって、特集全体の構成までしたような感じなのに、記事になるのは5行だけ。いや、落語界全体を扱ってくれるならそれでもいい。それでも結局は「勢いのいい若手」と「動きの目立つライブ」だけで、定席への誘導があまりうまくはいっていない。
メディアとはそういうものだと言われればそれまでなのだけれど、じゃあその記事観て行こうと思った人にとって間口の広い場所でないと意味がない。その日一日限りの「点」の興行で勝負するタイプのライブをそこで紹介したとして、だれが得をするのか。
『赤めだか』のドラマ化と、『昭和元禄落語心中』のアニメ化が、どれだけの波及効果をもたらしているか。実測できている演者も会も皆無だろうが、私は如実に数字がわかるしなによりアクティブユーザーは落語心中のファンなのだ。そのことがあまりに触れられなさすぎだ。
『POPEYE』の取材が丁寧だったかもしれない。
ほかは落語好きなんですよといいつつ、志ん朝しか知らない記者だったりホール落語しか行っていない人だったりと意外と偏りがあって、なかなか信用できる記者がいない。それも無理もない。なにせ数が多すぎる。
初心者向け、を思い切って宣言しちゃったぶん、そういった人たちを引き寄せてしまうのは宿命なのだが、それにしてもおなじことばかり何度も言って、お金も出ず、アイデアばかり吸い取られて、扱われなかったりするのはむなしい作業だ。私はこれを生業としているわけではないから、完全にサービス残業みたいなものになってしまう。というわけで、今後の取材はまず資料を読み込んでもらいこれまでの発言を好きに使ってください、そのうえで聞きたいことがあったら、適した人や場所を紹介しますので、というスタンスにしていかざるを得なくなった。ありがたいことなんだけど、渋谷らくごのスタッフもひとりしかおらず連絡の手間だけでも相当な労働になってしまうのでこれはご容赦いただきたい。
と考えているところに、某公共放送の硬い番組から、最初にヒヤリングさせてください、と例によって業界の全体像を教え、データや出展を示し、渋谷らくごについて語り、最終的には紹介されもせず構成料もなし、というパターンのやつを引き受けざるを得なくなって、穏やかな気持ちでおしゃべりしたわけだけれど、せめて業界のためになるような紹介をしてくれるといいなあと、こちらも祈るばかりである。
ここで折れてはいけない。
文芸誌でもちょくちょく落語を特集していたり、渋谷らくごに出てくださっている演者の方のインタビューなども掲載されるようになった。もちろん、これまでの業界を支えてきている人々の尽力が大きいのであるが、こういった点と点を、線にし、面にしていく作業が定期公演の役割だろう。
渋谷らくごではないのだが、立川流の若手たちだけで行ったトークライブにこっそりと足を運んだ。
みなとても真摯で、現代的で、だからこそ傍らで観ていてもどかしいところもあり、考えることがたくさんあった。
こういう人たちが、努力し悩んだぶんの10分の1でも報われる状態にしたい。外部の人間ができるのはそこまでだ。
人が集まらなければさんざんバカにしていた人たちが、人が集まるとなると利用しようと近づいてくる。そういう人たちと敵対せずに、お互いにとっていいあり方を模索する。収益のノルマではなく、演者還元を第一に考えられるのが、これを生業としていない私の強みなわけだから、なんとか演者さんたちの一席入魂の情熱を、最大の効果を発揮できるところまでもっていきたい。
理念を共有できる人や企業に理解を仰ぎ、協力していきたい。
渋谷らくごは第二フェーズに突入しているのだ。喜多八師匠は、そこまで連れて行ってくれた存在だ。
8月は、二つ目の柳家わさびさんのトリの公演を核に、お盆興行に挑戦した実は非常に難しい月であった。
確実に動員が読める公演を一回だけ作り、興行初日のニコ生中継、毎週更新のポッドキャスト、ツイッター、HPで他の公演を推していく。
この方法が有効である限りは、これを続けていくことになるのだが、フタをあけてみればおかげさまで大勢のお客さんに来てもらうことができ、また満足度も非常に高かった。
当日券も堅調に伸び、わさびさんトリ回のみ札止めで、その他の会は当日でも入れる状態で維持できた。
土日、落語家さんの都内不在状態はこの会にとっては非常に危機的状況であることは変わらないが、それでもスケジュールをくださる演者さんたちには感謝しかない。だって初心者は土日に来るんだもん。
そういった意味では、13日土曜の創作らくごネタおろし会「しゃべっちゃいなよ」、14日日曜の14時圓太郎師匠トリ公演、17時菊之丞師匠トリ公演の内容の充実っぷりは尋常ではなかったと自負している。13土14時回も、左談次師匠の代演で、桃太郎師匠という私のスペシャルカードを使ってしまったが、お客様には満足していただけた。松之丞さんも柳朝師匠のトリも、素晴らしかった。
今月は、14日小辰さん、15日ろべえさん、16日文左衛門師匠と「青菜」3連発が聴けたのも楽しかった。
文左衛門師匠にいたってはネタ帳を確認してからの、もはや確信犯だったから連続公演ならではの楽しさだった。
14日20時からの「前座さんを見守る会」も公開稽古のファイトクラブ的雰囲気を帯びて、非常にスリリングな会だった。
15日の夜は、日ごろお世話になっているモニターのみなさんとご挨拶することもできた。
8月一番笑ったのは昇々さんの「千両みかん」、こしら師匠の「粗忽長屋」だった。菊之丞師匠の「もう半分」と、松之丞さんの「お紺殺し」は、両者とも納得の出来ではなかったかもしれないが、客席で観ていて心を持っていかれるほどおののいた。
全高座印象深かった。誇張でなく。
柳家わさびさん。
この演者さんの魅力は奥深い。古典の解釈、演出、表現力。新作のキャラクタライズにストーリー構成。
シブラクHPでも触れたが、なによりネタのチョイスのセンスが秀逸だ。
15日20時、欧州帰りの一之輔師匠が、無双状態で「加賀の千代」で沸かしまくったが、この日は事前にこうなることを予想して、新作を選択していたのだろう。結果、自分だけが目立つのではなく、吉笑さん、ろべえさん、一之輔師匠、わさびさんと、四者の魅力が引き立つ公演にしてくださり、実にわさびさんらしい公演になった。
とはいえ、この演者さんはまずはテキストの質を高めていって、技術を追いつかせていくタイプ。五十、六十のときその芸の全貌が明らかになっていく、強度優先の演者だと私は勝手に思っている。それでも現時点での魅力も充分ありすぎるくらい。
一席にかける準備が尋常ではないので、あまり消化しないように気を付けたい。
こういう特別な会は、なにより演者本人の満足度が客席の満足度になる。
そういった意味では、達成感に包まれた空気だったように思う。
八割愚痴になったけど、たまにはこういう毒抜きをせなば。なによりだれとも共有できないので、自分で忘れないようにしないといけない。
来月は、最終公演に文左衛門師匠が出る。渋谷らくごとしては襲名前の最後の出番になる。
真打昇進が決まっているろべえさん、志ん八さん、ポッドキャストでじわじわ人気の扇里師匠、そして文左衛門師匠。
みなさん最初の師匠は亡くなってしまった人たちで揃えてみた。少しだけでも師匠の思い出が聴けて、そして最後には前向きな気持ちになれる会にしてくれるだろうと確信している。
一之輔師匠、松之丞さん不在というこれまでにないピンチではあるが、こういったピンチをチャンスにしてこその興行だ。
すべての会が楽しみな会になった。少しでもお客さんを入れるよう、日々考えをめぐらせるとしよう。
原稿にもどらなければ。
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【遅刻の言い訳】2016.08.23 Tuesday
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わが中央線は遅延のデパートかってほどに毎日いろんな理由で遅延している。
最近はその遅延にも、いろいろと理由を説明しないと怒るバカがいるのか、それとも乗客の知的好奇心を刺激するサービスなのか、理由のバリエーションが増えて異様に細かくなってきている。自分が小さかった頃と比べると、天気予報と電車の遅延理由は、「そこまで知りたいって言ってねーよ」というレベルで細分化され説明されている。
電車にモニターがついて久しいが、だいたい電車のなかにモニターがあることに果たしてどれだけ意味があるのかもよくわからない。そして、遅延の理由はアナウンスだけでなく、都度このモニターに表示されるが、それを読んだからといって遅れている事実はなにも変わらない。乗り換える電車が遅延していると知れるだけでも、ありがたいか!
インフラに文句をいうのはよそう。
普段外国人留学生を教えていると、かならず出る意見に「日本の電車はなんであんなにうるさいのか。そして情報量が多い。電車が遅れるのは当たり前だし、理由がいちいち細かくてうるさい」というのがある。
電車が遅れるのが当たり前かどうかはその国の文化だからなんともいえないが、理由を説明されて「ありがとう」と思う外国人はあまりいないようだ。
こんな感じで出ている。
しかし、この表示をずっと見ていると、妙な日本語が増えたなと最近思うのだ。
外国人のような、日本語ファンタジスタが作った日本語だ。
ここでは
「〇〇は、車両故障の影響で、(全線運転を見送り、とか、30分の遅れが出ています、など)」
と書かれているが、
一番ぎょっとしていまだにそのインパクトが薄れないのは、
「線路内人立入」という言葉である。
線路内に人が立ち入った、というのは昔あまり聞かなかったが、この制度ができてから頻繁に起こっているような気がする。
酔っ払いが線路を歩いてしまうのだろう。
「線路に立ち入る」という発想があるのか!と、人々の脳にインプットされ、酔っ払いが酔った勢いでそのインプットされた潜在的な欲求で、立ち入る、という連鎖になっているのではないかと思ってしまうほどだ。
それを「人立入」と書いて「ひとたちいり」と読ませる変な熟語で表現しやがるのだ。
左右対称で、顔文字みたいで気持ち悪いこの三文字熟語(しかも送り仮名がないのも気持ち悪いのだ)は、まちがいなく電車用語から生まれた言葉である。
この感じだと、入間に住んでいる人間は、入間人。
プレゼントに人間が入っていた場合は、人間入。
こちらは「急病人救護の影響で」。
急病人が出たから遅れたのではなくて、
急病人を助けていたから遅れた、というニュアンスが「救護」なのかな。
それとも「急病人出現」という言葉の強さを避けかったのか。
こちらは「踏切内支障物の影響で」。
なんだろう、この肌感覚での違和感は。
踏切内に支障物があった影響で、となぜ言わない?
出ました! 「人立入」に次ぐ気持ち悪い日本語、「荷物挟まり」!
ニモツハサマリ……!聞いたことねーよ! 陰毛じゃないんだから。
まだニモツハサ家のマリさんだったらわかるんだけど、この造語のされ方には妙な気持ち悪さがある。語順も造語法も日本語らしくない。しかしれっきとした日本語になっているところが、日本語の懐の深さでもある。
百歩譲って「(ドアに)挟まった荷物の影響で」と言えないのか。
ここまで読んだ方はわかると思うが、
「〇〇線内での< X >の影響で」
という構文のテンプレートを用意して、Xに入るように無理に日本語を入力するからこうなるのだ。
つまり、これをプログラムした人間は、すべての遅延の理由が、名詞化できるという前提で考えていることがわかる。
さらにいえば、日本語の連体修飾節についての知識がなく、文の構造のなかで助詞「の」をほぼ英語のofと同様に扱っていることから、
文を構造的にとらえることには慣れているが、日本語学の知識に乏しい人間、
つまりプログラムの勉強に特化してきた人間、という像が見えてくる。
というのは、
「踏切故障の影響で」とか、
「停止信号の影響で」などと同列に、
「荷物が挟まった影響で」
「踏切内に支障物があった影響で」
「線路内に人が立ち入った影響で」
を扱えない人間だからである。
むろん「荷物挟まり」「人立入」「踏切内支障物」で意味はわかる。そのうえ文字数が節約できる。
むしろ「意味が通りさえすればよい」と「文字数をなるべく抑えたい」という欲が前景化して、ファンタスティックな日本語を創造していることに気が付いていない。
その証拠に、「ドアに挟まった荷物の影響で」を選択していない。というか「荷物挟まり」とて、理由としては説明されきっておらず、正式にはおそらく「ドアに荷物が挟まって、安全を確認できる状態にまでするのに時間がかかった影響で」なのだ。そういったニュアンスをすべて「荷物挟まり」という語で片づけようとしている。ドアへの影響は完全に後景化して荷物にピントがあっちゃってる。
この造語法でいくと、ハムのサンドウィッチは「ハム挟まり」だ。パンでハムを挟んだことよりも、ハムが挟まれてることが大事であり、挟むものはなんでもよくなる。フルーツサンドは、「フルーツにクリームをくっつけたもの挟まり」であろう。長くなっちゃった。
「洗濯挟み」ではなく「洗濯物挟まり」だ。
「高枝伐りバサミ」ではなく「高枝挟まり」だ。
しかし、こうまでして文字数を省略しなければならないかというと、そんなこともない。長くても3行くらいにおさまっちゃってるので、少々長くなってもそんなに問題ではない(現に別の表示はモニター二枚にまたがるものもある)。
「影響」という名詞には、タ形で連体修飾する「荷物が挟まった」とか「人が立ち入った」とか「急病人が出た」のほうが、日本語として「自然」だ。
しかし、この日本語は不自然だ!とクレームをつける人は、遅延の説明がないことにクレームをつける人よりは圧倒的に少数だろう。だからこうして日本語は新たな表現を獲得している。
非常に簡単な修正方法として
< X >の影響で
を、
< X >影響で
にするだけでいい。
「の」を消去して、X内に「の」がつくほうが自然なものとタ形のほうが自然なものを打ち込めばいいのだ。
それほど大変な作業ではないはずだ。
教えている留学生が「荷物挟まりで電車が遅れて遅刻しました」と言ったら「<荷物挟まり>なんて日本語はありません」と注意するところだが、こういう、必要に迫られて生まれたファンタスティックな日本語に対しては、「こういう事情があったんじゃないか」と上述のような妄想をすることで、無理やり自分の内なる感情を鎮めようと日々試みている。
新しい表現よありがとう、という気持ちで。
どこにも書くとこないのでここに書いてみた。
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