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【渋谷らくご短観 2016年9月、10月】

「落語ブーム」なんてものは存在しませんし、メディアが作り上げた物語でしかない、ということをだれも言わない。

それもそのはずで、ブームということにしておいたほうがみんな幸せだから。

でも、いま落語会にお客さんが入っているのは、2000年代の業界のたゆまぬ努力があったからなんです。

『タイガー&ドラゴン』や『ちりとてちん』でイメージが変わって、興味を持ったお客さんを受け止める努力を、落語業界はずっとしてきた。だから、ずっと前から落語界は元気なのです。

 

ただ、この2年で一番すっと頭に入ってきた考察は、立川こしら師匠の「いまは落語会主催ブームだ」という考え方。

たしかにその通り、落語会は非常に多い、だけども発信力のある人が落語会を「プロデュース」して、遠心力を高めている。

私なんかはそれにうまく利用されているのだが、業界のしがらみや仲良しグループの文脈から出た人間ではないないのが、私の特異なところだろうか。

考えてみれば、20年前にはこれほどに「〇〇プロデュース」という文言はチラシのどこにも見当たらなかった。

そういう意味ではこしら師匠は炯眼。

ただ落語会を開催しているのではなく、付加価値をつけるとなると、スポーツでいう「監督」とか「GM」をタレント化する。そうして発信力を高めていくということなのだろう。

そろそろバレはじめているのだが、落語会はだれでも主催できてしまう。だからこそ乱立する。演者もファンも消耗していく。

だから決して自分がやっていることを良いことなどとは思えない。

寄席に行けばいい。都内各所に個性的な寄席がある。そこで毎日なにかが起きている。

 

 

 

 

9月の渋谷らくご。

一之輔師匠を欠き、さらには神田松之丞さんをも欠いてしまった9月だが、

それ以外は盤石の布陣で臨んだ。つまり、演者についているお客さんというのが少ないなかでの、事実上の実力試験のような月だったが、悲観するほどの入りではなく、どの日も安定して動員でき、初心者がどの回にも安定して入場してくれて一安心。

渋谷らくごの目標到達は800人〜1100人で、それ以上は入らないように押さえたいところ。この範囲にちゃんと収まって喜ばしい限りだ。

1000人入るということは10公演なので平均して100人、平日18時回が60人、20時回が140人でようやく到達できる数字である。

そう考えると信じられないくらい多くのお客さんが足を運んでくださっている。

ゆるやかに、「渋谷らくご」への信用を高め、演者ではなく、お客さんの都合がつく日に来て、安心して楽しめる、むしろ演者の名前に左右されず、その日の素材で勝負できる料理屋のような存在になれるといい。

 

うれしかったのは、立川左談次師匠の復帰。

あまりに心配で8月の末廣亭余一会での立川流の会を見に行ったが、ほんの数分楽しそうにしゃべっておられたので安心はしていた。が、その裏に幾多の葛藤と苦しみがあるかと思うと、その高座の輝きは一層増すのだが、さすがにご無理は言えないと覚悟した。

代演もあり得るかもしれない、むしろ、こちらから提案したほうがいいと思っていたが、それでも左談次師匠は「渋谷らくご」の高座にあがってくださった。そして高座でお話してくださったのが「癌病棟の人々」。こんなに客席が幸せと笑顔に包まれるなんて。しかもそれが、これからまた入院しますというがん患者の話でだ。

思い出す光景は、癌で亡くなった前田隣先生のことだ。その昔、ナンセンストリオという三人組で売れた師匠で、ピンになってからも爆笑漫談でカッコいい師匠だった。米粒写経のどこを気に入ってくれたのか、一度ネタをみると面白がってくださり、機会があるたびに声をかけてくださった。

ある日は、病院の服をもってきて、「今日癌センターからそのまま来たんだよ」と言って客席を爆笑させていた。

前田隣先生は亡くなってしまったが、「ダーリン寄席」はいまも続いている。左談次師匠もレギュラーメンバーだ。左談次師匠に、立川談志や、前田隣や、柳家喜多八の根性がしっかりと生き残っている。めちゃくちゃかっこよかった。左談次師匠は亡くならない。

落語は、飢えと貧乏と寒さのうえに成り立っていると、談志師匠はこのようなことをいろんなところでおっしゃっていたが、病気や死といったものも、実はあったのだろうと思う。それでも前向きに明るく生きていく。しんみりせずに、いたって通常運転、へらず口もそのまま、ついでに生きてるという了見でやり過ごしていたのだ。いままで生きていただけで儲けもん、の世界である。

そう考えると、癌病棟に巣くう老人たちの日々を爆笑に仕立てる左談次師匠のエネルギーは、まさに芸人、なかでも落語家の了見なのだ。

かといって、病気を黙っているのは粋かというと、そうではない。居残り佐平次が仲間に語ったように、肺病を患っているということを隠すのも、水くさい。となると、どういう行動になるかといえば、談志師匠のようにさらけ出し、悩み、落ち込む姿までをもエンタメ化する、ということになるのだが、左談次師匠は暗いところはあまり見せないのが、師匠に対する敬意なのか、それはそれでむちゃくちゃカッコいい。

 

また、この日のトリの文菊師匠の「心眼」は、個人的にはまちがいなく「心眼イチ」だった(歴代一って意味)。

文楽全集に関わったとき、盲人の噺をたくさん聴いたが、カタルシスの強い「景清」よりも、どちらが落語らしいかというと圧倒的に「心眼」なのだ。

圓朝が作ったらしい意地悪さというか、人間の醜さとかも淡々と描かれているが、これは演じる人の資質を問われる。決して嫌味でなく、それでいて梅喜という人物がよくも悪くも思えるような演出で臨まなければならない。盲人もまた、私たちとおなじ、美しい心と醜い心をもった人間なんだという人間賛歌になるのがこの噺のすごいところなのだ。

この噺を、文楽とは別のアプローチでまた一段上に押し上げた文菊師匠の「心眼」はいまだ余韻が残る。おそらく一生忘れない。

 

9月は橘家文左衛門師匠が、文蔵襲名前最後の出番ともなった。

志ん八さん、ろべえさん、扇里師匠、文左衛門師匠。みな師匠を失った人たちで千秋楽。

ろべえさんは来春、志ん八さんも来秋、真打昇進が決まり、おめでたい年になる。

悲しいことは今年限りにしたい。文蔵襲名はそんな気持ちに弾みをつけるような、これから楽しいことがはじまる第一章のように、業界を明るくしてくれる話題だ。文蔵師匠、ありがとうございます。

 

昇々さんの一時間の「ひとりらくご」は、二回目でもずっと衝撃の連続で、このまま時が止まればいいのにというほど楽しかった。

この人の落語の強度はすごい。小手先のものではない。

完全に噺が身体に入っていて、さらにそれを高座でかけ続けて、落語と戯れる、という領域までいっている。緊張感の高まる高座でこれをできることがすごいわけで、だれしもが固くなる場所で常にこういう勝負をしている昇々さんは実に二つ目らしい野心と努力をもった落語家さんだ。

 

 

10月の「渋谷らくご」。

松之丞さんも一之輔師匠も久しぶりに聴いたような、それでいてこないだ聴いたような不思議な気持ちで迎えた。

偶数月に定期的に出ていただいているメンバーも揃い、ほぼ完璧に近い形の番組をくんで(文蔵師匠のみ襲名披露で出られなかったが)10月の公演を迎え、これは大入り続き、しかもそれでいて札止めのない状態。つまり、ひとりも追い返すことなく、当日来たすべての来場者に入って観劇していただけた、という意味でもよい月であった。

驚くべきことに、9月に関しては当日券で入場したお客さんが、50人〜70人の幅であり、そのうち初心者が4割近くもいた模様。10月に関しても当日券入場者が多く、しっかりと初心者を取りこぼすことなく誘導できたということはとてもうれしい。もちろん、前売り券を買うのが面倒くさい落語ファンや、渋谷らくごのリピーターもいるだろう。でも、当日フラッと来られる気軽さが重要なのだ。

創作ネタおろし会「しゃべっちゃいなよ」、12月の大賞を決める会をのぞけば年内最後の会も、初登場のきく麿師匠や昇也さんの奮闘もあって大いに盛り上がり、大団円で10公演を終えた。

左談次師匠は闘病開始後、初の落語をかけてくださった。渋谷らくごに来るのが楽しみだ、とさえ高座でおっしゃってくださった。こういわれては、お客さんもうれしい。しかもネタは、「権兵衛狸」、東洋館の定席ではじめてこの噺を聴いたとき、えも言われぬ幸福感に包まれたのをいまも思い出す大好きなネタだ。ずっとこのネタがかかるのを待っていた。軽くて、いいサイズ感で、聴いていてまったく疲れず笑える噺。やり慣れた噺にも関わらず、高座に適度な緊張をもって臨む師匠は今月も相当かっこよかった。頭にはうぶ毛が生えはじめ、癌が小さくなっているとの報告。もうここまで来たら随時報告だ。

こうなると課題になるのが18時回だ。

内容には自信がある。10月は「小辰・扇里」、「市童・音助」、「伸三・扇辰」といずれも素晴らしい会だった。

通好みでありながら初心者をも虜にできる話芸の持ち主。伸び盛りの芸の味。ボジョレーヌーボーのような市童・音助の会から、しっかり古典を聞かせる扇里師匠、扇辰師匠。

これからの課題は18時回にいかに若い客を誘導できるか、だ。あまりに通好みにすぎると好事家しか集まらない会になってしまう。

 

 

当日券入場者数推移データを見ながら、ニコ生、ポッドキャストのパワーがどこまで通じるのか、可能性を試してみたくなった。

もちろん、渋谷らくごの音源でどこかの放送局でラジオ化してくれたり、コンテンツ化してくれるのであれば申し分ない。

渋谷らくごにはスタッフがいないがゆえに、自社コンテンツにしていくよりは、外部の企業とコラボしたほうが圧倒的に効率がよいのだ。ひとり、ひとりでもいいからHPの構築やWEBのシステムエンジニアがいれば。もとやりたいことはたくさんある。実現できることはたくさんある。提言できることはたくさんあるのだが、いまはそれができない。

だからこそ、企業との共同作業が大切になってくる。

業界のお仲間で仲よくやっているだけでは、この業界は成長しない。もっと大局に立った舵取りをしていくべきなのだ。

好きなだけ、仲良いだけで興行が成り立っているのがおかしいくらいなので。

 

メディアの取材は相変わらず紋切型のものばかりで、こちらにはなんのメリットもない、お金にもならない、ただ踏み荒らされ向こうが用意したシナリオ通りのコメントをする、みたいなものばかりなので、

「渋谷らくごってところに行けば、とりあえず欲しい画はとれるらしいぞ」みたいにヤリマンぽく思われても迷惑なので、テレビは断っている。

そもそも、一度も会場に観劇に来たことなく、直接挨拶したこともなく、取材させろというめちゃくちゃなことを言うほうが悪い。

 

 

誠実なメディアもいくつかあった。

 

ハレット 私の知らない東京がそこに。

この記事は若い女性のライターと編集者が作りあげたもの。一見うすっぺらく感じる人もいるかもしれないが、

これまで落語を扱ってきた記事や評論は、すべて「落語の世界の言語」で語り、完結していた。

そこに、この記事はまったく落語の言語(あらすじの解説や、用語解説)などを使わず、別のジャンルの言語で落語を魅力的に紹介するということをやってのけている、という点で素晴らしい。

取材時間15分でここまで書いてくださったのは入念な取材と情熱以外ないと思う。

三宅さん、杉本記者、ありがとうございます。

 

早稲田大学演劇博物館「落語とメディア展」。

こちらは演博の宮信明助教が会場まで足を運び、展示の趣旨を説明してくれた上で、原稿依頼をしてくださった。

落語のいまとこれから、ということでネットを使った集客をし、また現状の「ブーム」なるものをどう読み解くか、ということで書いてください、とのことだった。

予定文字数を大幅にオーバーしたが、それでもそのまま掲載してくれました。これは私が悪いんですけど、「渋谷らくご」創設から現在までの記録です。

いずれはなくなるであろう「渋谷らくご」なので、その記録を公式にできたという意味でも歴史的な資料になるといいなと思っています。

これを読んで刺激を受けてくれるような主催者は多くはないと思うけど、ネットに触れている比較的若い世代の人に、深く刺さると信じて書きました。決して楽な仕事ではなかったけど、これは将来「だれか一人」にでもちゃんと届けばいいという意味で必要な記録だと思うので、入魂しました。

1月中旬までやっている展示で販売しているので、部数に限りがあるものでありますし、ぜひ手に取ってみてください。

岡田則夫さんや今岡先生など、落語好きにもたまらない面々の寄稿や、喬太郎師匠のインタビューなども読みごたえがあり、昨今の雑誌の特集記事なんかよりよほど芯を喰った最高の冊子だと思います。

 

 

さて、来月11月は「渋谷らくご」2周年記念興行、11月11日から6日間連続12公演

いつもより1日多い日程で、毎日「瀧川鯉八」さんが出るという、まさかの番組です。

鯉八さんと心中するつもりで構成した番組です。

どこか一日でも来て、いま落語に興味ある若い世代に、この才能の存在を知ってもらいたいと思い、思い切ってやってみた番組。

2015年「渋谷らくご大賞(おもしろい二つ目賞)」受賞者、瀧川鯉八さんフィーチャー月間です。

やるなら中途半端なことはしない、大胆にやるというのが私のやり方です。

 

さらに、この月から、名前を告知しない枠を設けてみた。

初心者にとって、落語家の名前なぞだれだって読めないしわからない。

だったら、最初に、名前は価値のないものなのだから、いっそだれかとかわからない状態でもいいじゃんか。

なまじ名前があるおかげで、事前にググったりとかして、変な先入観をもって見るよりも、だれだかよくわかんないけど、面白い人出てきたぞ!という経験をしてほしい。

 

演者にお客さんがついている昨今、次のステージには「渋谷らくご」への信頼を高めていく作業が必要で、

ここを入り口に、演者さんの名前を覚えて、その演者さんの出る会に足を運んでくれたらそれでよいのです。

 

そういう意味でもたぶん実験的なことを、この勝負の月にやってしまうわけですが、

どの回もめちゃくちゃ自信があることだけは断言しておくので、

もし気になっている人がいたら、絶対に来た方がいいです。

 

いま、落語が好きすぎる人が多くて、どうしても興行論にまで頭が回らない、あるいはそういう視点を持ち合わせていない人がいるんだけど、これはどのジャンルでも言えることなんだけど、演者がさくエネルギーはお客さんが10人でも10000人でもそう変わらない、つまり、演者のより高いパフォーマンスを、よりよく輝かせるのは、興行の演出であり、人を集め、注目を集める興行論なのです。

この視点がないジャンルは滅びる。DMを管理して発送して、その友達を一人ずつ捕まえて、と「好き」な人たちの忠誠度を図るような落語会も素晴らしいと思います。必要です。ですが、遠心力を発揮する会もなければ、新規のお客さんも増えないし、内部の熱も下がります。

古くは立川流、六人の会などがそういう存在だったのかもしれません。

猛烈なアンチが騒ぐのを恐れず、興行論で一石投じることくらいしか、私にできることはないのです。

 

渋谷らくごは完成した芸人を見る会ではなく、

二つ目と若手真打を中心に、彼らが躍動する時期をともに見守る会である。

つまり、大当たりもあれば失敗もある。だけど、最後は真打が最高に楽しませてくれる。

そういう意味では失敗してもいい場所でありたいわけです。

 

鯉八さんは、そういう意味ではパフォーマンスが安定しており、失敗も成功も、お客さんの受け止め方にかかっている比較的、絶対的な芸(まくらは相対的)です。

毎日おなじくらいの衝撃を与え続けてくれるはず。

 

これはいまの「渋谷らくご」でしかできないことなのかなと思うので、これで最後になるかもしれないし、来年あるかもわからないことなので、どうぞお楽しみに。

 

 

以上

 

渋谷らくご短観 2016年8月

 

posted by: サンキュータツオ | 渋谷らくご | 03:09 | comments(0) | trackbacks(0) |-
【平成二十八年 米粒写経 例大祭】

10月3日(月)、4日(火)の二日間、

平成二十八年 米粒写経 例大祭「寿限無論」
深川江戸資料館で行いました。

 

写真:橘蓮二さん ありがとうございます!(春風亭一之輔師匠の独演会での撮影)

 

プログラムには、このように書きました。一部抜粋です。

 

芸人としてのピークがいつ頃なのかはわかりませんが、ここから10年は技術的、体力的にピークだと思います。
そういう時期に、後悔のないものを世に出したいと思っています。

私たちは浅草キッドさんのライブでこの世界に入った人間です。
文字量、情報量、サービス精神、常に限界MAXに挑んでいる二人を見て育ちました。
なので、いま我々がこういうことになっているのも、自然な流れだったのかなと思っています。

いろいろなキッカケで居島、タツオを知ってくださっている方がいると思います。
ですが、米粒写経はひとつです。
どこから入っても、コンビとして愛してくだされば幸いです。

平成二十八年十月三日、四日
米粒写経
 居島一平 サンキュータツオ

 

これに尽きます。

3分とか4分のネタもありますが、そういうものだけではなくて、文化の一シーン、というと気恥ずかしいですが、自分たちが思い描く理想形をひとつやっておきたいと思うに至りました。

本気で、寄席10日間出たとして、毎日ネタ変えられる、それでいて若い人にもちゃんと伝わる漫才。トリだったとしても耐久力のある漫才。

 

また、全員が笑うというのもいいのですが、2割、3割がつねに反応していて、またそれを「よし」としている客席もまた、いいものです。そういう多様性を許容するような「寄席的な」雰囲気のライブを模索したわけです。

イメージとしてはトーキングブルースの漫才版。

 

淡々と、オファー仕事をこなすプロ意識もあるにはあるんですが、自分たちの達成度を得るという意味で、そして自分たちの現在地を確認するという意味で、漫然とここからのキャリアを過ごすよりも、新たな刺激を欲する道を選びました。

これは、それぞれが自分のお客さんをコンビのライブに誘導できるくらいに魅力的な存在にならないと意味のないことでした。なのでここにくるまで時間はかかりましたが、やってよかったことだと思っています。

 

 

 

漫才は楽しいです。

普段、大学で日本語教えたり、単体での仕事もありますが、すべてから解き放たれ自由でいられるのは舞台の上だけです。

そして私はピンのネタをやる主義ではありません。

18歳のとき、大学で出会った居島一平という人物の奇怪さに魅入られ、この人の魅力をどうしたら伝えられるのか、ずっと考え続けた日々です。もちろん、自分の魅力も伝わらないと漫才としての魅力はかけてしまうので、コンビ芸としての漫才にも向き合う結果になりました。

それは大学院での研究ともつながり、ライフワークである文体論とも繋がっています。

 

iPhoneImage.png

 

二日とも超満員で、おかげさまで550強のお客様に見ていただくことができました。

 

内容は来てくれた人だけの宝物なのですが、

落語「寿限無」のメッセージってなんなのってところから、落語全体を俯瞰するような歴史ミステリーでもあり。

個人的にここ10年くらい考え続けた「なんだこの噺!?」という想いに決着をつけるのと、居島さんの異常すぎる歴史記憶スキルをいかんなく発揮できた舞台だったと思います。

またどっかでやりたいね! 30分〜90分の可変域のあるものだから。ネタというよりは、トークというか、でもネタなのかな。トーク以上ネタ未満な。予定調和的でない、台本追う系ではないもの。

オファーあったらやりまっせ★

 

関係者のなかには、いわゆるネタ的なものを求めていらした方もいたかと思い、面食らったかもしれませんが、それが正しい反応です。

でも、落語の知識がなくても、なんとなく寿限無はだれもが知っていますし、はじめて聞いた言葉なんかもあったかもしれませんが、理解に必要なだけの説明はしたと思う。わかんなくてもいいところは、流したし。身近なところにいろんなミステリーがあるんだよ、という学究的エンタメのあり方は伝わったかと思います。それがおもしろいかどうかは置いといたとして。

 

基本的に人間不信なので、「とっても素晴らしかった!」「おもしろかった!」と言われても、さすがに面と向かってはつまんないとは言わないよな…と思ってしまう自分もいるにはいるんですが、それでも少なくともそう伝えようと思った事実はうれしく受け取りました。自分も、面白いと思ったものは嘘なしに面白いと演者さんに伝えることにしているので、そういう方ももちろんいるだろうし、とってもうれしいです。

なにより、会場となった深川江戸資料館の舞台スタッフの方が、打ち合わせから「なんだお前ら」的な雰囲気を出していたにも関わらず、終わったあとに「いやあ、いいもん見させてもらった!」と言ってくださったのが一番うれしかったです。自分たちのことを知らない人でもそう思ってくださったということは、まちがってはいなかったかな、と。

 

まさかカーテンコールまであるなんて。予想していませんでした。楽しんでいただけたのかな。

 

ポッドキャスト「米粒写経のガラパゴスイッチ」

こちらでのプロモーションや、Youtubeで米粒写経を追いかけてくださっている方も大勢いて、動員の助けになりました。

TBSラジオ「たまむすび」でも浅草キッドの玉袋筋太郎さんがコンビで出させてくださり、

また水道橋博士さんはツイッターに番組に、私たちのことを応援してくださり、

本当に感謝感激、戦車突撃です。

私は、自分たちの歴史のなかに位置づけてみたとき、どうしても浅草キッドさんに憧れてこの世界に入ったことを忘れるわけにはいきません。その後、東京ボーイズさんや前田隣先生、喜多八師匠にもお世話になり続けていますが、漫才としてはまず最初にキッドさんなのです。

 

長尺の、噛みごたえのあるエンタメをできる芸人は減っています。

ネタ尺が短くなっているのと同時に、横断的になにかを語れる人が少なくなっているからです。

 

今回は、台本を作らず、おおまかな進行だけを用意して、本番に挑みました。

お客さんあってのものなので、通し稽古もできず、なんとなく45分くらい、進行確認の稽古をしただけにすぎません。

また、私たちの場合は、稽古しすぎるとおもしろさがわからなくなっていくので、しすぎないようにもしています。

そういう意味では、大いなる一回性でもあるのですが、

二日とも、こういう感じにもなるんだなあという、やってて面白い90分になりました。これは芸人人生すべてが問われる舞台なんだなとつくづく思いました。

 

やって良かったです。

 

少なくとも、私たちのようなスタイルを望んでいる人たちが、平日の夜、万難を排してお金を払って会場にくる人たちだけでも数百人はいることが確認できました。

「わからないからこそ面白い」、「わからない部分は将来わかる楽しみがある」という思想のもと、「でも届いたときは楽しい」というものに仕上げました。

 

わかんなくなって、顔がおもしろきゃ笑えるし。それでいいんだよ。

 


 

差し入れでいただいたお酒「寿限無」。


 

居島一平画伯の原画の前にて記念撮影。

 


落語研究会の遠藤、池田、藤山さん、ありがとう!


たまむすびさん、新宿レフカダさん、ありがとう!

JFNさんからもお花いただきました!イマドキ用語の基礎知識、聞いてね!


WOWOWぷらすとさん、ありがとう!

 

 

唯一使用したOPとEDの音楽は、大好きなアニメ「PING PONG」から(松本大洋先生原作のあのPING PONGです)使いました。

出会ったときから居島さんは私のなかでペコです。私はスマイル……だったらよかったんですが、アクマですね。どう考えても。

アクマ好きだし。

でもアクマとペコの漫才ってのもいいもんです。

ペコっていうと、立川こしら師匠とかも私のなかではペコっぽいかも。ヒーローだぜあいつ。

 

今も居島一平はかっこいいですし面白いです。

コンテストのことだけ考えたら、このコンビではない人生があったかもしれません。が、18歳のとき感じたあの感覚を裏切りたくはないのです。

この相方で良かったと思えた夜になりました。

そして私も負けません。お互いが斬るか斬られるかくらいの緊張感と距離感があるから、コンビは面白いのです。

 

ありがとうございます。

 

タツオ

 

2016.10.09

posted by: サンキュータツオ | フィールドワーク | 15:07 | comments(2) | trackbacks(0) |-
【東京ポッド許可局ジャパンツアー2016 ご来場感謝 #tokyopod】

TBSラジオ「東京ポッド許可局」の今年の夏はジャパンツアーを行った。

昨年に引き続き、であるが、今年は名古屋と、山梨での公演が追加になり、どこも濃密で楽しい記憶となった。

 

 

5月の末、ジロ・デ・イタリアはイタリア人のニーバリがアルプス山頂ゴールをものにして見事優勝を果たした。

私は米粒写経で新宿末廣亭の初舞台を踏み、柳家喜多八師匠の訃報のショックは癒えぬまま、時間がその傷をいやしてくれるのをひたすらに待っていた。

そうして夏の足音がひたひたと近づいてきた。

 

6月、今年のNBAファイナルでは西のゴールデンステート・ウォリアーズと東のクリーブランド・キャバリアーズが激突、昨年とおなじカードとなったが、内容的には圧倒的なウォリアーズ優勢、西カンファレンスを勝ち抜くだけでも大変だったのだから、東との対戦はさぞ気持ちよかっただろうと思えた。実際、サンダーとの文字通りの死闘のあとでのファイナルでは、多彩なオフェンスパターンでこのチームのさらなるポテンシャルまで開花させたともいえる序盤の数試合の展開で、今年もウォリアーズで決まりだなと、ほぼすべての視聴者は思ったにちがいない。

しかし、事態はゲーム5で急変した。3Pをどこからでも決め、すべての選手が動きまくり常に流動性と組織力を誇示してきた無双の73勝記録チームのゴールがピタと止まり、そこからは小さな歯車のかけ間違いがさらなる不協和音へと変化していて、とうとうゲーム7でその夢は最後の最後の1ゴールで打ち消された。ここにひとつの現代バスケットの方法論の可能性が示されたと同時に、その限界も示された。

キャバリアーズは決して嫌いなチームではなかったが、それにしても芸術的なまでの組織力と創造性あふれるバスケットを展開してきたウォリアーズに熱狂していた身としては、なかなかキャブスの勝利を受け入れるのにも時間がかかった。

今年は受け入れるのに時間がかかる。

ベイスターズも勝ったり負けたりの不安定な試合ぶりで、1番、2番さえも固まらない毎日、おまけに梶谷もいないとなって打線にも大きな不安があった。

予想もしなかった悪いことが起きなければよいが。そんな予知不安さえ感じた初夏だった。

 

NBAファイナルの終了とともに私には夏がくる。じたばたしてももう遅い、暑い夏がやってくる。

そして6月の末は、毎年楽しみにしている東京ポッド許可局の仲間、

プチ鹿島さんとサンキュータツオでいく オオカミパワー三峰神社の旅

である。

私たちの方法論の可能性の模索はまだ途中だ。

 



 

今年は雲海も観ることができ、

ことのほかご機嫌にすべてが進んで、三峰神社の方々や八木橋百貨店のみなさんも勝手知ったる仲となって、大勢のお客さんを出迎えるのに完璧な待ち受け体制ができていた。

 

今年はマキタさんもギリギリでスケジュールがあいた。

どうしてもマキタさんには三峰神社に来てほしかった。

春日太一さんも同行できるようになった。

ホロッコの二人もバスできてくれた。

こうして今年は大所帯でのツアーとなったが、こういう年もあっていい。

 

マキタさんにこっそりお願いして、ギターもってきてもらえませんか、とワガママを言ってみた。

夏の三峰、大広間にまったりとした時間、そこでマキタさんのネタが聞きたい。

お客さんはその時までマキタさんがくるとも思っていない、そこで突如現れて……と仕掛け心も動いたわけだ。

はたしてマキタさんはそんなワガママを聞いてくれ、「上京物語」をフルバージョンでやってくれた。

思えば私はこの人のネタが大好きなのだ。役者としてすっかりお茶の間の知るところとなった、それも幸せなことなのだが、それにしてもこの人の「お笑い」のネタがどうしようも私は好きなのだ。

あの時間をともに過ごせた仲間とお客さんがいたことはこの夏の幸先のいいスタートだった。

 

7月、大学の授業がようやく終わった。

半年間面倒をみた学生、長い者だと上級前半から上級後半まで1年間その成長の過程に携わることができた学生もいた。

彼らの多くは国に戻り、さらなる研鑽を積んで世界中で活躍する。このメンバーがそろうことは二度とない。そう思うと最後の授業はいつも別れが惜しくなる。文章表現の授業は彼らの内面に触れる。ときにはデリケートなことを書いてくる学生もいて、魂に触れてしまう。感情移入をするわけではないが、こんな人たちの人生のほんの1ページのわずかな時間、でもその時間だけは本当にともに時間を過ごしたんだよ、って、晩年に彼らに言ってやりたくなる。お前の貴重な進化の瞬間に、立ち会ったぞ、ありがとな、と感謝を言いたくなる。が、それをぐっとこらえて、ただの1コマのような顔をして教室を後にする。

 

そしてフランスではツール・ド・フランスがはじまる。

あれほどにイタリアでは強かったニーバリも、山岳で粘りを見せるキンタナも、やはりフルームの前には太刀打ちできない。

スプリントではサガンが圧倒的で、昨年の未勝利マイヨ・ヴェールが嘘だったかのように序盤にあっさりと一勝すると、立て続けに平坦ステージをとって2週目にはすでにその地位を盤石にしていた。フルーム率いるスカイの隊列も見事なまでな均整がとれていて、NBAのサンアントニオ・スパーズを見ているような圧倒的な「父性」すら感じさせた。

フルームとサガン、今年もこの光景になったわけだが、それでもこの二人が活躍すると「夏」という感じがするのはここ数年の体の変化なのだろうか。

新城幸也は今年も敢闘賞にかがいた。これは偉業だ。

 

7月下旬、私は少しはやめに福岡に入り、週末にLIVLABOという小屋で時代劇研究家の春日太一さんとトークショーを行った。


バンバンビガロというバンドの福島さんという方がオーナーで、とてもよくしてくれた。

熊本を第二の故郷と言ってはばからない春日さんのチャリティイベントに参加したような形。

共著「俺たちのBL論」についてを中心に。

 

 

週末は大濠公園能楽堂で「東京ポッド許可局」の公演。

昨年とおなじ劇場だが、動員は昨年とおなじで、満席にはなるのだが売れ行きはにぶい。

これはもっと集めなくてはという緊張感も少し感じて、ネットを切られないようにがんばる。

 

ここがいっぱいになるのだからたまんない。この劇場は最高です。

 

楽屋も畳で気持ち良い。新しく出来上がったTシャツを着て思いっきりはしゃいだ。

前の晩はマキタさんが食後にどうしてもボーリングがしたいといいはじめて、合計150歳のおじさん3人が若い人でごった返す繁華街のボーリング場に繰り出した。

マキタさんなりに、似たり寄ったりの地方都市のなかでも、場所なりの思い出を作ろうとしてくれたのかもしれない。

ホテルの近くの温泉施設なんかも調べたりして、レンタカーで一緒に行ったりもした。移動のときはだいたい食べ物の話。

 

福岡ドームを見学がてら王貞治記念館に寄ったら、そこから完全に王貞治ブーム。

王貞治のスピーチに感化されてそこからはずっと王貞治モノマネで会話。うんざりしたころにホテルに着いた。

公演に来てくださったお客さんたちはその突然の王貞治ブームに巻き込まれる形になった。

「なぜいま王貞治?」だれの頭にもあったかもしれない。

しかし、「なぜいま?」に対するアンサーなどはどうでもいいというのが我々のスタンス。理由が社会の時勢やお客さんの顔色をうかがってきめるのではなく、こちらにあればよい。それだけだ。あとはそれが面白いかどうか、それに尽きる。

しゃべった論は「第二芸能界論」。今年の夏は、自分たちの知っている世界とは別の「アナザーワールド」がキーワードだったような気がする。

今年起こった芸能界のいろいろことを、第二芸能界という考え方で包括してみた。

福岡には九州全土から許可局員が集まる。それがうれしい。しっかり地方にいる許可局員を捕まえられているのがうれしい。

アルパカ局員は熊本の人で、被災もしたし奥さんも亡くしたでずいぶん大変な想いをしたなかでも、この公演にかけてつけてくれた。

こういう顔の見える挨拶ができるのも地方公演ならではだ。顔を見せてくれるだけでいい。「元気だった?」「がんばってね」などの会話はそこに必要ない。顔を見せるだけでそれはわかる。

 

公演を終え、気の利いた店で軽く打ち上げ、と移動していたら千代の富士逝去の報。

もうそこからは飛行機に乗るまでずっと千代の富士と相撲の話しかしていなかった。

福岡はとにかく暑い。湿気がすごかった。それだけ人も熱かった。

 

あれだけウォリアーズを苦しめたサンダーのデュラントは、まさかの急転直下、突然のウォリアーズ入りを電撃発表した。

当然全メディア、全ファンが彼を非難する。フランチャイズプレイヤーでいれば安泰なのに。そしてだれもがそうなると思っていたのに。

彼はどうしても優勝がしたい。このチームで、というのがなかったのは実に意外なことだった。

これも受け入れるのに時間がかかる。しかし、おもしろくはある選択肢だ。

 

8月。

ツアーとしては初の名古屋公演。

大都市はオリジナルの番組を作るところが多いので、なかなかネットしてくれない。

CBCも最初の年はネットしていたもののその後ネットがはずれて愛知近隣の許可局員からも熱望する声が寄せられていた。

なにより許可局の長田Pのお膝元、ここは奪還したい。というわけで、ネットお願い行脚である。


福岡ドームで広島と中日の試合を観戦。ドアラの耳をつけたマキタさんがやけにファンシーだったのが忘れられない。

私は横浜の谷繁の第二の故郷と思っているので、谷繁のユニフォームを。

それにしてもひいきのチームではないチーム同士の野球観戦がこんなにストレスがなく面白いとは。なにより広島の内野の安定感を目の当たりにして、いままでハマスタで観てきたあの内野の守備はなんだったんだろうと思わず振り返ってしまったほどだ。


 

CBCの番組に出てその試合をレポート。パーソナリティの酒井くんという青年がまた好青年で、娘がいたらこういう男に預けたいと思わせる不思議な魅力をもった男だった。あとで聞いたらパーマ大佐の元相方だったそうだ。ふたりとも若いのにもう売れている。

結果を出すものははやい。

私の世代では、青木さやかと松田大輔が若き日に名古屋から出てきてともに活動していた。


優勝するチームの勢いというものを感じた試合だった。

広島サイドで中日を応援するという無駄な暴挙をした。

 

 

 

空き時間にはマキタさんと徳川美術館に。

ちなみに鹿島さんは後で聞いたら、三回目のゴジラ観劇に行っていたそうだ。

あまりに恥ずかしくて言えなかったようで、舞台上で告白していた。舞台上でっていうのが、あの人らしい色っぽさだ。

 

常滑のタイル博物館に行きたかったのだが、そこまでの時間はなかった。

どこでもいい、マキタさんや鹿島さんと歩きながら、あるいは飲みながらする話ほど、くだらなく、そして人生を豊かにしてくれる時間はない。

うらやましいでしょ?でもそれを一緒にやろうっていうのがライブなのだ。


名古屋のデザインホールは完全に許可局向きのホールだった。完璧!

ここは前売り段階で完売が早々と出た。東海全域から許可局員が集まってくれていたのもうれしい。

東京からの遠征組もうれしいし、でもそれだけで客席が埋まってしまっては地方にくる意味がない。

しっかりのその土地の人たちが来てくれるそのバランス。許可局員は本当にすごい。みんながすごい。




イベントスポンサーの4社、ありがとうございます!

 

名古屋公演が終わると8月が終わる。8月が終わるということは、三大ツールの最終戦、スペインのブエルタ・ア・エスパーニャがはじまる。

そして季節は秋へと向かっていく。

まだ暑い、まだ暑い、そう思ってだましだまし、あれほど憎んでいた夏を惜しみ始める。これを毎年繰り返す。

論は、野球はなんであんなに人を集めるのか、というところから端を発した「動員論」。

これがアナザーワールドで生きるひとつの尺度になっていく。

名古屋では鹿島さんの河村たかしモノマネ、そして木俣のモノマネなども誕生。これだけで完成しているイベントだった。

そしてこの後、CBCのネット復帰が決まった。

 

そして、許可局放送時間の変更、つまり月曜12時からの放送決定という報が急転直下もたらされる。

できれば中野で報告したかったのだが、その時点ですでに放送で発表になってしまうために、放送での報告となった。

セッション22からのミッドナイトセッション、個人的にも楽しみにしていた時間帯だし、鹿島さんも私も何度となくお世話になった番組枠だったので、これは身が引き締まる想いだ。

自分の活躍の場を作るために、自分が活躍した場を失う。だが、どんな苦境に立たされても受けて立つ、それだけだ。

許可局は人が油断している時間に放送されるのがベストだとも思うが、こういうラジオ的に熱い時間帯を任されるのもまたうれしい。張り合いがある。愛のない人たちに晒されて、的外れなことを好き勝手言われることも上昇するには大事なことだ。むしろうれしい。

 

ベイスターズは勝ちを積み重ね始めた。桑原が一番固定、エリアンの予想外の活躍、梶谷の上り調子、筒香のさらなる覚醒と、うれしいことが毎日のように起こる。そろそろクライマックスシリーズの参加権がもらえる日がくるかもしれない。が、それは決して口に出してはならぬような、呪いの呪文のような感覚もあり、口にした瞬間なくなってしまう氷のような願望だった。だが、今年はそれが現実味をおびはじめる。9月に入っても野球が楽しいのだ。

 

 

9月16日、金曜日。

今年は残念ながら平日の夜開催になった大東京ポッド許可局@中野サンプラザ公演。

2000人規模の公演は毎年やっているが、中野という、いわば許可局発祥の地に近いこの劇場でイベントをやる日がくるとは正直思ってもみなかった。

かわいいアイドルたちでもなかなか埋められないこの劇場を、おじさん3人が埋めるという事態のヤバさがいまだに受け入れられていないのだが、不思議なことにうまるのだ。これは時代に選ばれているのだろう。


 

舞台上から見るとどこも近くてお客さんの顔ひとつひとつがちゃんと見えるとてもよい劇場。

客席から見ると遠くに見えるが、さりとてまったく見えない感じでもなく、絶妙な味付けのされた劇場である。

サンプラザはなにより劇場に入るまでの赤いジュータンの階段が最高だ。

15万スポンサーの浦和 割烹千代田さん、J COMさん、そして8万スポンサーの皆さま、まことにありがとうございます!

こういうひとつひとつの積み重ねが制作費にあてられていくのです。

論は、「タツオ売れたい論」。なぜかこういう話になったのだが、野心のすすめを受けて、動員もして、アナザーワールドもひっぱっていくとなると、売れるしかない。私は売れるもんなら、売れたいです。改めて、そう思いました。

そのかわり、中途半端に売れるくらいなら、辞めます。研究とかしたいんで。少ないチャンスを作りに行きたいと思います。


 

許可局パンフレット!今回も読み応え抜群で爆笑!

そしてマキタさん、鹿島さん、私、それぞれ自分のコラムから読み始めるという自分好きっぷり。

許可ダスはこれからの許可局ファンにも読んでもらいたいね!


マキタさんの増位山以上に増位山な歌のコーナーは袖で観られる幸せ。

TBSの清水アナウンサー、秋沢淳子アナウンサー、ご協力ありがとうございます。

 

ゲストとして出演してくださった林真理子さん、そのパワーと現場対応能力といったら!

ありがたいです。

そしてサプライズゲストで猫ひろしが登場。猫よ、ありがとう。

お客さんも大満足。私たちも大満足。幸せの甕はいままさに、この劇場でいっぱいになりつつあるのかもしれない。

こうして許可局のジャパンツアーは終わった。

それと同時に、夏も終わった。

どうしてもこの大事な日に、という想いで参加してくださった2000人のひとりひとりに、書ききれない物語がある。

しかしなにがあろうと、いま目の前にいるお客さんが一番えらい、という高見沢さんの言葉を思い出さずにはいられない。

事情はみんなにある。だけど、来る人と来ない人がいる。どちらも悪くない。応援の仕方は人それぞれだ。

いつも聴いてくれている人だって、まだ私たちのことを知らない人たちだって、これから仲良くなれるんなら、そこはありがとう、だ。

 

横浜のクライマックスシリーズが決まった。ついに歓喜の瞬間が訪れた。

傷つくのを恐れて応援するのはやめた、これからは堂々と応援したい、と思ったときから、それほど時間はかからなかった。

翌日、また別の出来事が起きた。三浦大輔が引退を決めた。18の背番号が大きくプリントされた記者会見上、三浦大輔は私のなかで永遠の存在になった。

ありがとう、そして、ありがとう。

あなたのためなら、なんでもします。

 

ブエルタはキンタナが山岳を激走、ついに戴冠の時を迎えた。コロンビア人としは二人目だ。こいつの辛抱強さにはいつも勇気づけられる。

 

三浦の引退試合は一生忘れない。勝てばチームが5割復帰、三浦の連続勝利年数の記録もかかったなかで、彼は負けるのだ。ボロボロになるまで投げて投げて、涙を流して打席に立ち、グラウンドに立ち、それでも全員を納得させたのだ。

セレモニーでは初登板の遠藤、翌年の齊藤秋雄の名を口にした。「こういうセレモニーをやってもらえる選手になりたい」、まさにその夢がかなった瞬間であり、チームを動かず続けてくれたことも、これで歴史が繋がった。

彼は球団のだれもが、そしてこれから球団に入るであろうだれもが、憧れることができる存在になってくれた。こういう選手がいた、こういう選手になりたい、そう思わせてくれる人がこのチームには必要だった。

そしてそれは、怪物ではいけないのだ。無名の投手、ドラフト6位、まったく期待されず、ただただ愚直に練習を重ねる努力の怪物、だからこそ私は三浦から目が離せなかった。

彼の目にうつっていた2000年代は、そのまま私たちも一緒に見ていた光景だ。引退セレモニーで、そのすべてが報われた。

三浦大輔とおなじものを見、そして感じてきた。それだけで、あのつらい日々がいま、報われた。

 

 

10月2日、日曜日、快晴。

東京ポッド許可局ジャパンツアー後夜祭。

許可局は月曜24時から25時という非常にシビアな時間帯での放送を開始したが、私たちはいつも通りだった。このやり方でこれまでやってきたからだ。

 

この半年間、一週間に再放送とリアルタイム放送の二回を放送してくれていた全国唯一の放送局、それがYBS、山梨放送。

マキタさんは山梨出身、ゲストにきてくれた林真理子さんも山梨、鹿島さんも現在山梨で週に一回のレギュラー放送を抱えている、許可局は山梨との関係性が深いのだ。頼もしい放送局だ。

 

どうにかこうにか、後夜祭などできないものか、山梨放送に御礼できないものかと考えて、山梨での後夜祭を決行、

YBSが全面協力してくださって、公開録音の流れとなった。

ちなみにこの公開録音の様子は山梨でしか放送されない。こういう方法で地方のネット局を盛り立てることもできる。面白い!

 

マキタさん顔パスの店で食事、おいしいなめこそばをいただいて、YBSへ。

一階のロビーフロアをイベントスペースに設置してくださった。


YBSの写真を撮るマキタさん。

素敵な空間でした。山梨県内のお客さんも多くて、こんなにうれしいことはない。顔が見えるのは本当にうれしい。

観れば優しそうな顔をした人ばかりで、ニコニコして聴いてくれている。真面目なところでは真面目に。

そうだ。私たちが相手にしているのは、こういう人たちなのだ。ありがとう。

論は「おじいちゃん、おばあちゃん論」。

三代の地層がひとの行動には現れる。そして自分が初代か、二代目か、三代目か。それぞれにタイプがある。



ここのなめこそば最高でした。とりもつも。

 

完全に秋の訪れを感じる夜。6時頃には真っ暗になる空を見ながら、私たちはまたここに来ようと誓った。

この夏、マキタさんはだれよりも愛嬌のある皮肉屋だった。鹿島さんはだれよりもしたたかなピエロだった。二人とも芸人人生最高のキレキレの身体性と思考でイベントに臨んだ。負けてはいられない。自己記録はつねに更新。

記録の出やすい環境にさりげなくしてくれているTBSラジオ長田局員、八島局員、佐藤局員はじめスタッフの皆さま、オフィス北野スタッフにも大感謝だ。

 

今年もたしかな手ごたえを得て、お互いの顔をつきあわせての報告と、楽しく有意義な時間を共有することができた。

またあなたに会いたい。

私たちの方法論はまだ進化の途中だ。そしてこの時間はもう一回繰り返すほど私たちは若くない。大いなる一回性の活動だ。その一回性を、見届けてくれる人が必要だ。自分が死ぬときに、あの時見ててくれてありがとよと、メッセージしたい。

帰り道、虫のなく夜道を涼しく歩いた。

 

明日は米粒写経のトーキングブルース、「例大祭」だ。

居島さんと二人きりのステージの幕が開く。

 

2016.10.02

posted by: サンキュータツオ | ラジオ | 21:39 | comments(1) | trackbacks(0) |-