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【『101人が選ぶ「とっておきの言葉」』河出書房新社 寄稿】2017.01.31 Tuesday
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河出書房新社『101人が選ぶ「とっておきの言葉」』
という書籍に寄稿しました。
どんな言葉を選んだか、
それはとっておきなので、ぜひ本書で確認してみてください。
錚々たる顔ぶれですが、永江朗さんや橋爪大三郎さんとおなじページに名前が刻印されているのはうれしい!
これは「14歳の世渡り術」シリーズで、
私は「マンガがあるじゃないか わたしをつくったこの一冊」以来の寄稿です。
以上
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【『週刊読書人』対談掲載:ターザン山本『パピプペポ川柳』】2017.01.30 Monday
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『週刊読書人』1月27日号
にて、ターザン山本さんとの大規模な対談が掲載されました。
これは、ターザン山本著『パピプペポ川柳』に関する対談です。
ターザン山本さんは、元「週刊プロレス」の編集長として知られている方ですが、
その昔、私が芸人活動をはじめたばかりの頃、
浅草キッドさん主催の「浅草お兄さん会」というライブで何度もご一緒し、
またその後も番組などでご一緒しましたが、
15年以上ぶりくらいの対面となりました。
ターザン山本さんは、私のことなんか覚えていないだろう(じゃないほう芸人あるある)と思っていましたが、
うれしいことに覚えていてくださり、
感慨深い対面となりました。
『パピプペポ川柳』は、
5・7・5の最後の5を「パピプペポ」で統一した川柳で、
これまでの川柳よりもはるかに簡単に、出力することが許された「ゆるい」川柳です。
ターザン山本さんは革命家です。
私はこの川柳が、本格的に句の世界を変えてくれるのではないかと期待しています。
そのあたり、日本文化の歴史と関係がある、というようなことを紙面で語りましたので、
気になった方はなんらかの方法で読んでみてください。
以上
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【読売新聞 連載:『鬼平』紹介 「サンキュータツオのただアニ!」】#鬼平 #netsumoji #ぷらすと2017.01.28 Saturday
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毎月最終金曜の読売新聞夕刊でのアニメ紹介の連載です。
1/27(金)、今回はテレビアニメ『鬼平』をご紹介しました。
言わずと知れた池波正太郎原作の『鬼平犯科帳』をベースに作られたテレビアニメですが、
アニメの文脈と時代劇の文脈が、見事に融合した作品だと思いました。
放送前はいろいろ言われた本作ですが、
作品はみんなを納得させる、という好例だと思います。
この記事の前段として、
「WOWOWぷらすと」で、時代劇研究家の春日太一さんをゲストに迎えた回(リンクはアーカイブです、必見!!)で、池波正太郎作品がなぜ映像化されるのかを語っていただきました。
でのスタッフインタビューからなどからもそのことがうかがい知れるほか、多くの知見を春日さんから得ましたので、
この記事でも前半、書籍からの引用をいたしました。
許可してくださった春日さん、ありがとうございます。
鬼平、おもしろい!そして、カッコいい!
時代劇の将来は、むしろアニメにあるのではないか。
以上
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【月刊誌『UOMO』書評連載:「10分後にうんこが出ます 排泄予知デバイス開発物語」 掲載】2017.01.26 Thursday
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にて、年3回程度ではありますが、
書評のコーナーを交互で担当することになりました。
今回ご紹介したのは、
中西敦士『10分後にうんこが出ます 排泄余地デバイス開発物語』 新潮社
です。
活字を読んでこんなに笑ったのは久しぶりです。
中西さんのキャラクターと発想力、行動力にはどんな人でもなにか考えさせられるものがあると思います。
最高に楽しい「研究本」でもあります。
私は『ヘンな論文』の文脈で読んでいましたが、ビジネス本としても示唆のある本だと思います。
ぜひ書評を読んでみて、気に入ったら買って読んでくださいね。
以上
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【朝日新聞1/15日曜版:コメント掲載】2017.01.16 Monday
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朝日新聞1/15日曜版
36面の「探求 若者ことば」の特集にて、
コメントが掲載されました。
「文化の扉」というページです。
規範も大事ですが、言葉は生き物であることを忘れていません。
どっちが正しいとかいう議論よりも、
「どういう心の在り方が心地よいか」ということを考えるキッカケになればと思い、お引き受けした仕事です。
こういうことはずっと言っていきます。
以上
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【京都精華大学:後藤靖香展『必死のパッチ』:トークイベント「戦争と物語」米粒写経で登壇】2017.01.14 Saturday
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京都精華大学にて、後藤靖香(ごとうやすか)さんの個展「必死のパッチ」
が昨年12月から1月に開催されており、
期間中のトークイベント「戦争と物語」において、
後藤靖香さん×米粒写経 という三人で座談形式でお話してきました。
1月10日のことです。
後藤さんの作品については、上記のリンクをご覧ください。
戦争という出来事は、私たちは祖父母などの世代から間接的に聞くか、メディアなどを通じて知るといった、二次的な体験でしかありません。
ですが、戦争期間中もきっと楽しいことはあったし、起こっていた出来事が大きすぎて、むしろ生活のこまごましたディテールが語り漏らされている可能性もあります。
映画『この世界の片隅に』は、そんな人たちの生活を描いた作品でしたが、
後藤さんも広島のご出身で、原爆前にも広島には生活していた人たちがおり、どうしても原爆だけをピックアップしてドラマチックに語られがちなのですが、それ以前の人々の生活も想像しようという試みで、志がおなじようなものを、実際に展示を拝見して感じました。
また、男同士の友情や戦友だけがわかる共通体験を通して、いろんなドラマ(あるいは疑似恋愛的な?)もあったと思います。
後藤さんは「米粒写経のガラパゴスイッチ」をYOUTUBEで見てくださっていて、居島、タツオ双方のことをよくご存じの方でした。
というわけで、出張版ガラパゴスイッチのように、あとからあとから三人が思いつく話を、相手の話に反応しながらすることができ、楽しかった!
こういう出張版、やりたいですねえ!
日本全国、うかがいます。
京都は久しぶりでした。
京都精華大学。
立派な大学でした。
少し早めに京都に到着したので、国際会館駅で下車し、借景の庭園で有名な圓通寺に。
ここがもう最高すぎて、一時間以上庭を見ていました。
圓通寺からは歩いて数分の京都精華大学に到着、職員の方に「圓通寺いいですねえ!」と興奮気味に伝えると、「どこですかそれ?」と聞かれたので、おいおいここなんの大学だよ、という微笑ましい一コマも。
一枚一枚が巨大な作品です。
後藤さんの作品はおしなべて大きいです。
それだけに存在感がすごいです。
お風呂帰りのふたり。いい感じじゃないですか。
うん、いろいろ妄想をかきたてられますな。
実在した人たちのさまざまなエピソードや、資料などから関係性を読み解き、当時の人々の生活の息遣いや心のやりとりまでが伝わってくるような、楽しい展示でした。
後藤さんは資料を読み込むのが大好きらしく、おなじことを別の人が語っているのを読んだりして、ここで彼が言っているのは、もしかしてこういうことなんじゃないか、などという「行間」の読みの名手でもあり、
歴史の居島、萌え(行間読み)のタツオ、双方が楽しめるトークショーでした。
ご来場のお客様にも大変喜んでいただけました。
楽しい時間を過ごせました。
翌日、一橋大学の通常の授業があったため帰らなきゃいけなかったんですが、
できればいつかゆっくり飲みかわしたいものです。
後藤さん、また京都精華大学の方々、どうもありがとうございます。
またやりたいです。
以上
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【『栄養と料理』連載:2月号「グルメ」 サンキュータツオのそのコトバ、国語辞典に聞いてみよっ】2017.01.11 Wednesday
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毎月9日発売の『栄養と料理』(女子栄養大学)
食にまつわる言葉を、国語辞典で読み比べしたものの連載を書かせてもらっております。
今月は「グルメ」。
食通、グルメ、美食家。いろいろな言葉がありますが、淘汰のすえにもまだ残っているということは、それぞれニュアンスがちがい、存在意義があるということ。
毎月、魂削って書いています。
ひとりに届けばいい。そのひとりをごまかさないように書いていれば、多くの人に届くはず。
書き物に関しては、そういうスタンスです。
以上
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【TBSラジオ『荻上チキ Session22』 昇々さん、松之丞さん、タツオ 出演回アーカイブ #シブラク】2017.01.09 Monday
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サンキュータツオ Presents 新春企画「Session新世代寄席」
1月6日(金)夜10時からの番組のなかで、およそ1時間を頂戴し、
現在の落語界と、「渋谷らくご」についてお話する機会を得ました。
二つ目代表として、渋谷らくご大賞の 春風亭昇々さん
また、落語にもっとも近い場所にいる男として、講談師 神田松之丞さん、
このお二人をゲストに、ネタに語りにやっていただきました。
音声が、上記URLから聴けるようになっています。
1ヶ月限定です。
彼らは落語芸術協会の若手二つ目ユニット「成金」のメンバーでもあり、
若い世代の演芸ファンを牽引する存在でもあります。
これで興味持ってもらえたなら、都内の各寄席(新宿、上野、池袋、浅草)か、渋谷らくごにいらしてくださいね!
渋谷らくごのポッドキャスト や ツイッター もフォローよろしく!
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【渋谷らくご短観 2016年12月】2017.01.09 Monday
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2016年の渋谷らくご大賞、おもしろい二つ目賞は春風亭昇々さん。
2016年の渋谷らくご 創作大賞は、三遊亭粋歌さん。
お笑いナタリー:春風亭昇々が「渋谷らくご大賞」、三遊亭粋歌が「渋谷らくご 創作大賞」受賞
ようやくこの会の賞がナタリーさんに記事にしてもらえるようになった。
予算がなくても落語会はここまで盛り上げることができるというのを示していきたい。
昇々さんは一年間、ホントにすごいパフォーマンスの連続だった。
私はいろいろやっているから、そのなかのひとつだろうくらいにしか思っていない人もいるかもしれないが、
「渋谷らくご」は私がホントに命を削ってやっていると誇れる会だし、
この2年、私の生活は渋谷らくご中心、それに米粒写経の活動、これでまわっているといっても過言ではない。
だれかドキュメントとして撮影し続けてほしいくらいである。
それくらいいろいろなことが起こっている。
昇々さんはNHK新人落語大賞に2年連続で出場していながら、優勝できなかった若手の落語家。
受賞された演者さんももちろん素晴らしい。
だが、ハッキリ言ってこの賞の存在って、落語ファン以外にだれが知っているんだろうか。
落語家さんは落語界でよく話題にしているし、それしか大きな賞がないから感覚がマヒしちゃっているんだろうけど、
私の感覚からいうと、お笑いの世界のコンテストであるM-1、KOC、R-1などと比べると、注目度から言っても、世間の人が知っている賞とはとてもいえない、コンテストのためのコンテストのようなものだ。
正直言って、大賞をとっても、とらなくても、そんなに世間的に差のないものだと思う(もちろん、賞の存在価値は充分にあることが前提です。絶対あったほうがいい賞です。)。
だから結果はむしろ関係ない、怪我しても大丈夫な自由な場所、
と端から見てれば思うのだが、実際に出る側から考えると、そうはいっても負けたら悔しい大会なのだろう。
演者はどんなに小さい戦いでも、勝敗がつくことに過剰に敏感だ。私だってっそうだ。
それは、スポーツのように数値化できないものであるから余計に。
勝敗がナンセンスだからこそ余計に。
数値以外のところを評価されるような、内申書と面接で落とされるような、そんな無駄な敗北感を味わってしまうもの。
とはいえ、「落語らしい落語」と「自分らしい落語」の選択で、前者を選択している賞に未来はない。
昨年の鯉八さんにしても、昇々さんにしても、自分らしさの追求こそが落語の進化でることを、だれよりも雄弁に語っているではないか。
「落語らしい落語」という失点のないゲームのようなものからは、幻想としての「落語はこうあるべきである」という固定観念しか見えてこない。幻想を追った時点で落語は死ぬ。落語は時代に合わせて変化(あえて進化とは言わないが)してきた芸能だからである。というか、そもそもコンテストにあるべき「理念」がまったく見えてこない会がほとんどだ。
そしてこれは、落語会としての「理念」がないからにほかならない。
昇々さんがコンテストで一番になれなかったことをどう思っているかわからないし、この賞の結果を受けて大賞を決めたわけでもないのだが(というか気にもとめていなかったのだが意外に演者さんは気にするものなのだ)、今年の昇々さんはだれが見たってキレッキレだった。
だから、アンチテーゼとかあてつけとかでなく、2016年の「渋谷らくご」はこの人だった。明らかに昨年よりも成長していた。志が高かった。
「置きに行く」ということをまずしない、二つ目らしいチャレンジ精神にもあふれていた。
「渋谷らくご」的には、会のコンセプトを体現する二つ目として今年もっともふさわしい人だと思った。
受賞理由は表彰状にしたためました。以下、全文抜粋。
渋谷らくご大賞2016
おもしろいう二つ目賞
春風亭昇々 殿受賞演目:8月14日「千両みかん」、7月11日「初天神」、4月12日「誰にでも青春2」、8月13日「寝坊もの」
貴殿は、2016年の一年間、この「渋谷らくご」においてもっとも活躍目覚ましく、またおもしろい二つ目でありました。
落語を身体に入れてしゃべるだけでなく、高座では全力で落語と戯れるという狂った姿をお客様に合わせて披露するという、
常人や並の真打でさえ怖くてできないことを、二つ目にしてすでに体得していることに大きな衝撃を受けました。
また、狂気の遊び心で、落語ファンのみならず、初心者や若い人にまで届けるパフォーマンスは、この渋谷らくごのコンセプトを体現している存在です。
古典落語の斬新な演出だけでなく、創作においても連作を披露したり、常に準備を怠らないストイックな姿勢は、
一席だけとっても、また一年通しても、もっとも評価されるべき稀有な存在だと思います。
まくらから本編まで、だれでもわかる言葉で、マンガ的なキャラクタライズでコミカルに演じ、
古典や創作といった境目なく「昇々落語」を確立して多くの観客を魅了しました。
平成のポンチ絵派とも呼ぶべき落語に、大きな可能性を感じ徹底してふざけきりました。
よってここに、この一年おもしろい二つ目であったことを称え、貴殿を渋谷らくご大賞といたします。2016年12月13日
渋谷らくごキュレーター サンキュータツオマジですごい領域にいる。もちろん、二つ目らしいムラはあるのだが、それでも大一番で、大注目の高座で、「ふざける」というのはもっとも難しい。そこに挑んでいるのはこの人くらいじゃないだろうか。普通は、すべれない高座であればあるほど、どうしてもテキストを固めたがる。そして再現できる一席を追求する。だが、それができたうえで、想像してくれるお客さんと一緒に作り上げていくのが落語の魅力でもある。となれば、お客さんに合わせてふざける力は、早晩必要となってくる能力だろう。彼ははやくもそこに挑んでいる。
前日に代演が決まった「創作らくご」のネタおろし、ひとりで一時間自由に戯れた「ひとりらくご」、古典に負けない「昇々」という個性で昇華させた「千両みかん」、創作での連作化に踏み切った「誰にでも青春2」。どれも印象深い。
渋谷らくごでプッシュしてしまったがゆえに、見えざる敵を作ってしまったら、彼に申し訳ない。なんとかしていろんな人に届けたい。
・スター性がある。
・落語がおもしろい。
・「自分の落語」を追求している。
この3点を評価軸にしたとき、すべてを兼ね備えた存在だった。
表現者として、どれかひとつ欠けてもいけないと思っているが(スター性のない、ふつうの人が落語家になっているパターンは山ほどある)、昇々さんは3つとも満たした存在だ。
三遊亭粋歌さん「プロフェッショナル」。
彼女の創作には、聴く人に喜怒哀楽といういろんな感情をもたらす「感動」があった、というのが審査員全員の意見だった。
このような才能がしっかりと評価されるべき場所、というのを創り上げることにこそ意味がある。会の理念にもぴたりとハマった存在だ。
桂三四郎さんの創作も完璧だった。おそらく、渋谷らくご以外、どこのコンテストでも優勝できるあまりにも見事な創作らくごだった。
もう少し審査は難航するかと思われたが、他ジャンルと並列化させる落語、という意味でも、去年の会話劇から物語性まで乗っけてきた粋歌さんにだれも文句はなかった。最高の一席でした。
残念ながらスケジュールの都合で出られなかった瀧川鯉八さん「長崎」、三遊亭彩大師匠「艦内の若い衆」、このエントリーが実現しいれば、またちがった結果になっていたかもしれない。
賞は難しい。傷つく人を生んでしまうから。だから出すほうも傷つきながら出さなければいけない。この人にあげたかった、この人も評価したい、そういう気持ちがどんどんあふれてしまって、どこかでケリをつけないといけない。
でも、出すことで少しでも彼ら、彼女ら、そして落語(なかでも渋谷らくご)が注目されるのであれば、それがいい、という判断で創設したものである。思ってもいなかったのだけれど、2回目ができた。いまはそういう想いだ。
「渋谷らくご、俺は出られへんの?」
笑福亭鶴瓶師匠は、私の目の前でたしかにそうおっしゃった。
2016年9月、春日太一さんが鶴瓶師匠にインタビューしたのがキッカケで、私は春日さんに連れられて、鶴瓶師匠のスジナシの公録にお邪魔していた。
鶴瓶師匠の青山円形劇場での「鶴瓶噺」に毎年通っていた。それが2000年代初頭の「六人の会」(東西落語研鑽会)で落語に挑みはじめ、最高のパフォーマンスを披露し続けた。この師匠は、単なるお笑いタレントではなく、やはり落語家だったのだ。畏敬の念しかなかった。
「青木先生」初演から数年、「わせだ寄席」にも出演していただいたこともあり、また、渋谷らくごの楽屋にも、遊びにきてくださったことがあった。メディア出演も一番多く、お笑いタレントとしても第一線、それでいて落語も最強、というまさに理想の落語家像が鶴瓶師匠であった。「鴻池の犬」や「死神」といった演目も、この師匠にかかるとこれまで見たこともない超展開が待っていて、遊び心と心の余裕があり、だれにも負けない自負のようなものまで感じられて、プロレスファンが格闘技のなかで「プロレス最強説」を唱えるように、私はお笑いファンのなかでも「落語最強説」を絶叫し続けた。その精神的支柱の中心に鶴瓶師匠がいたのだ。私が考える、日本一の理想の落語家である。
そんな師匠から、このような形で逆オファーをいただくなんて、こんなことあるだろうか。
「出してよ」じゃないのだ。「出してもらえないの?」のニュアンスなのだ。この一点だけとっても、この師匠が売れている理由がよくわかる。どう伝えれば相手が喜ぶのか、どう伝えたらかわいげがあるのか、どう伝えたら気持ちが伝わるのか。知り尽くした者にしかでない一言だ。
師匠はこのような縁を大事にしてくださる方だった。そしてだれよりも敏感に、いま出て楽しそうな場所、と「渋谷らくご」をとらえてくださったのだった。
それにこたえるべく、こちらも「お楽しみ」として名前を伏せて、渋谷らくごの主役たちを観に来た初心者に、鶴瓶師匠をぶつけるべきだと考えた。師匠を聴いてもらいたいのは、渋谷らくごのお客さんなのだ。
11月には骨折の報が入り、無理はしないでいただきたいなと思いながらも、それでも骨折後最初の高座に「渋谷らくご」を選んでくださった師匠にはホントに頭があがらない。
マネージャーさんからしてみたら、こんな不採算事業はないと思われるのだが、それでも最後まで快く応対してくださった。
スタッフ全員を打ち上げまでお声かけくださり、さらにご馳走してくださった。
爆笑王の夜。
渋谷らくごの舞台に鶴瓶師匠があがった際の、お客さんの歓声、そして多幸感あふれる空気、最高の高座、忘れることができない。
師匠、マネージャーさん、まことにありがとうございます。
立川談笑師匠、年に一度この「渋谷らくご」に出ていただいている最高の師匠だ。
パワフルで、創意に満ちていて、古典への愛と非情さ(つまり優しさ)もあって、常に高座と空間を特別なものにしてくれる。
この2年はひとりで一時間の高座をお任せしていたのだけれど、今年は三代目文蔵師匠との「ふたりらくご」。こんな贅沢な番組はない。
まるで歌うような「片棒・改」、改作にしてもあそこまでリズムカルに言葉を整理してスピーディに、そして爆笑巨編に仕上げるのだから、数百年の古典の錬磨を、ご自身で成し遂げたことになる。それくらい感動的な「片棒」なのだ。
こういう師匠のことを、落語に興味をもった人は追いかけてほしいなあ。弟子に吉笑さん、笑二さん。
追いかけるのに最高の一門じゃないか!
談笑師匠、ありがとうございます。
そして、安定した動員になった12月、その功労者はもちろんレギュラー出演してくださっている落語家さんたち。
彼らの奮闘があってこそ、特別ゲストが「特別」になる。
古今亭志ん八さんの「甲府い」が良かった。この人の軽妙洒脱な語り口、それでいて決して人をバカにしない品の良さ、温かい目線。技術的にも、想像するのにちょうどよいスピード感とコトバの量で、圧巻の一席だった。
1月、この志ん八さんをメインにした公演を千秋楽に仕掛ける。馬石師匠という達人の後に、この志ん八さんがどうやりきるのか、いまから楽しみで仕方がない。
志ん八さんにトリをお任せするのが今回がはじめてだ。しかしもう堂々たる高座の連続で、そんなものには頓着ないほどの方なので安心している。あとはどの演目を選んでくれるのかが楽しみだ。
2017年1月公演は、ひとまず、これまでの「渋谷らくご」の集大成。
この2年、ひとりひとりスポットをあててきた二つ目さんたちが、揃ってトリをとる。
この構想を固めたのは、2015年9月であった。ついにそれが実現する。
プレビューには、それぞれの演者さんのキャッチだと自分で思っている二字熟語を冠した。
「最高」玉川太福
「才能」立川吉笑
「抜群」柳家ろべえ
「天才」瀧川鯉八
「震撼」神田松之丞
「奔放」柳亭小痴楽
「創造」三遊亭粋歌(渋谷らくご創作大賞)
「名手」柳家わさび
「無双」春風亭昇々(渋谷らくご大賞)
「軽妙」古今亭志ん八
演者はすべてを欲しがってしまうが、ひとつの武器を研ぎ澄ますだけでも相当な時間がかかる。
今月トリをとる演者はみな、特化した武器がある。
どれも、素晴らしい味わいの武器だ。
昨年の1月は、柳家ろべえさんのトリ公演があった。
喜多八師匠、一之輔師匠、松之丞さん、ろべえさん、といういまから考えてもあり得ない番組なのだが、
一年後のろべえさんも聴きに来てほしい。
そして、大賞受賞者、さらには千秋楽、古今亭志ん八さんをどうぞよろしく。大注目です!
どうか、どうか一日でも、13日からはじまる「渋谷らくご」、足を運んでくださいませ。
心よりご来場おまち申し上げます。
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