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シーチキン球場
シーチキン球場

小学生のとき、近所に「シーチキン球場」という名の空き地があった。
そこは物心ついたときから何年も空き地で、しかも広大で、本当に球場と言っても過言ではないほどの広さだった。

近所の子どもたちは、勝手にそこの空き地に入っては草刈をし、
自分たちの遊び場を作った。

自宅周辺の路地で野球、バトミントン、ドッジボール、
そんなことが日常茶飯事の時代だった。
そんな時代に、おなじ学区の子たち、あるいは別の学区からも子どもたちが集まり、
思い思いに遊んでいたのだ。
友達、友達の友達、友達の兄、姉、妹、弟。
怪しい友達の姉にスパルタ野球教室をされたり、親友と喧嘩をしたり、いまはなき「空き地」そして「外遊び」を大満喫していた。

ある正月、
私は父と二人でシーチキン球場に凧揚げに行った。
風が強くて寒い日だったが、電線がはりめぐらされている路地ではなかなか高くに飛ばせない。
ほかにも私同様の親子連れが、何組か凧揚げをしていた。

凧は、見たこともないくらい高くあがった。
私は父に凧揚げの手ほどきをうけるのははじめてで、
うまい人がやるとこんなにも高くあがるものかと感心したほどだった。
凧はもう、肉眼では確認できないくらい高く上がっていた。
その凧を、単独で支える腕力も私にはない。
父と一緒にタコ糸をつかんで、大人の男の力を実感し、畏敬した。

凧

小学校2年のときに父がこの世からいなくなり、
私が小学校5年になったときには、ある日突然、シーチキン球場はなくなった。
いよいよ売り地だったところに買い手がつき、大きな社宅がつくられるようだった。

2学期がはじまると、
大量の転校生とともに、シーチキン球場は巨大な社宅へとはやがわりした。
転校生たちは、それぞれの父親と、それぞれの物語をもって転校してき、
そしてそんな転校生組と仲良くなるのに時間はかからなかった。

5年から6年になるときの正月、
もう転校生だということも忘れてたその連中と、
その社宅の広場で凧揚げをした。

凧は新しくできた社宅の植樹や電線にひっかかって、
まるで飛ばなかった。
posted by: サンキュータツオ | 土曜♪随筆(開設〜2009年9月まで) | 22:44 | comments(2) | - |-
♪2月1日の友達
♪2月1日の友達

2月1日、
という日程になるといつも思い出すことがある。

2月1日、それは
都内では私立の中学校の受験日のスタート日であり、
なかでも1日は、だいたいの子の第一志望の学校の受験日なのである。

元号が昭和から平成に変わって間もなかったあの日、
私も、当時は教育熱心な親に連れられ、
行ったことも見たこともない学校の試験を受けた一人だった。

だいたいがきちんと勉強した記憶がなく、
それでも学校よりは塾の友達のほうが気が合い、
ダラダラと過ごしてその日は訪れた。

勉強のしかたすらわからなかったのだから、
内心では、受かるわけがないことがわかっていながら、
親や先生に「やるだけやった」と納得させるために、
自分は今日この試験を受けるんだと、
心のなかで思っていたがだれにも言えなかった。

試験を受けにいった学校には、
机に白いプレートというか下敷きみたいなものが敷いてあり、
そのことばかりが不思議だった。
カンニング防止用だったとわかったのは試験がはじまってからだった。

周りの子たちのなかでは、塾で一緒だった子などもちらほらいたが、
私の前後左右には知らない子ばかりで、
でもその子たちは友達同士らしく、
休みの時間にしゃべっていたりするのを聞いて、
なんだか不安な気持ちになったのを覚えている。

昼飯時になって、
後ろに座っていた背の低い、
優しそうな顔の子が、話しかけてきた。

「ねえねえ、明日はどこを受けるの?」
「名前はなんていうの?」
「どのへん住んでる?」
「さっきの国語難しかったねー」

ひとなつっこい子で、
心細くなっていたのも手伝って、
私はすぐにその子と仲良くなった。

いまはわからないが、当時は
2月1日に第一志望を受験して、
2〜3日に滑り止めを受ける、みたいな感じになっていたと思う。

「僕は横浜だからさあ、
 明日受けるところが第一志望なんだよねー
 でも君と一緒の学校だったらいいなって思った」

みるからに聡明そうなその子は、
私より背が小さいのに、しっかりした考えをもっており、
「すげーできる子」感たっぷりだった。
しかもそれを自覚すらしていない雰囲気で、
まったく嫌味がない。
もしかしたら、
公立の小学校ではちょっと浮いてるタイプだったかもしれない。
少なくとも当時はそんな風潮があったし、
その子のように、
なんにもしなくてもできちゃう子、
そしてやれといったらやれちゃう子、
「やればできる」なんて言われたことなく、「やれる子」は、
あっけらかんとしていても目立ってしまうのだ。

というか、そういう子たちが受験する学校に、私はきてしまっていたのだ。

彼には塾の友達がいたようで、
昼休みになると何人かが彼の元に集まってきた。
いまから思えば、
彼がだれかのところに行くのではなく、
彼の元に何人かが集まっていたから、
やはり愛される人柄だったのだろう。
彼は友達がきても私にお茶をくれたり、
どこの塾行ってるの?とか、
受験て面倒だよねーみたいな話をしてくれた。

都内で中学受験する子たちがいく塾なんて、
当時はたくさんあったわけではないから、
初見の人同士の話題になるレベルのことである。

私は落ちるのがわかっていたから(試験もあんまりできなかった感触もあり)、
ああ、今日限り会わないのに気を遣って悪いなあ、
と、話してて別のことを考えたりしていた。

石鹸の香りがするような、
品のいい子だった。

「お前だれだよこの人」
彼の友達は彼に聞いた。
「たつお君だよ」
「え、知り合いなの?」
「ううん、今日知り合った」
「なんだ、友達かと思った」
「いや、友達だよ」
「もう友達なの?」
「オレの友達ってことはさ、もうみんなの友達ってことだから」
「なんだよそれー」

彼はホントに天真爛漫に私のことを彼の友達に紹介した。
こんなに光り輝くほど素直な子っているのか、としみじみ思った。

彼には受かってもらいたい、心からそう思った。
こういう人に一流校に入ってもらいたい、と。

2日後、
わかりきった結果をしぶしぶ見に行き、
私は自分の番号がないことと、
自分の次の番号があることを確認した。

重い気持ちになりながらも、
私はどこか安心したのを覚えている。

私が人の期待を裏切ることをなんなくやってのけることも、
この頃からだと記憶している。

彼はあの学校に入ったのだろうか、
でもきっと第一志望に行ったんだろう。

あの子はどういう人になっているのか、
2月1日になると毎年想う。

あの年の2月1日、外では雨が降っていた。
posted by: サンキュータツオ | 土曜♪随筆(開設〜2009年9月まで) | 22:53 | comments(0) | - |-
♪運転手の記憶
運転手の記憶

この半年、千葉の大学で講義を持たせてもらった。
火曜の1,2限である。
私は毎週火曜日は5時半に起きて、1限の授業に間に合うように6時半には家を出る。

いまでも信じられない。毎週あの場所に通っていたことが。
学部に通っていたときは、
午前中の講義すら入れなかったこの私が、
なんなら4限の講義すら遅刻していたこの私が、
というか、1限がはじまる時間に布団に入っていたこの私が、
遠い場所にある大学の、1限の講義に、1回も欠かすことなく行っていたという事実。
というか、寝ずに行ったことも何回かあったけど。

大学の生徒たちは、
素直で朴訥で、笑顔の素敵な人たちだった。
顔も名前もすぐに覚えられ、
だれがどんなことを書くか、
全体像が掴めたとき、
半年は終わる。
そしてもう会うことはできない。
もし会ったら、話したいこともたくさんある。
しかし私は伝えたいことは講義で伝えたつもりでもある。

彼らが私のメッセージの、
なにを受け取り、なにを受け取らなかったか。
それすらも、
私にとっては大切な出来事である。
だれかの人生の時間に、一瞬でもかかわること。
少しでもなにかを伝えること。
そんなことができる身分ではないのはわかっているが、
それでも教壇に立つという仕事は、
芸人として舞台にあがるのとおなじくらい、
しびれる仕事なのである。
毎週が、90分の単独ライブ。

その大学は駅からも遠い、
したがって駅からバスが出る。

教員専用のバスというもの出ていて、
私は年齢はいっているけれど異様に学生らしい格好でバスに乗り込む。

10月からはじまった秋セメンスターも、
週ごとに停留所での白い息が増えていく。

バスの運転手に、
ロングの金髪の女性、
しかも年齢不詳でメガネをかけている人がいた。
だいたい毎週その人なのだけれど、
その人でない週も多い。

マイクロバスは構造的に運転手の顔が見えない。
でも、ドアからバスに入るとき、
「おはようございます」といえば「おはようございます」
という威勢のいい声が聞こえ、
降りるときに「ありがとうございます」といえば、
「いってらっしゃい」
という声が聞こえる。

このやりとりは、儀礼的なのかもしれず、
それでいて声をかけない人には返さないところを見ると、
反応する相手はしっかり見据えているようだ。

半年間、1回もその人の顔を正面から見なかった私は、
最後のとき、
思い切って見て見ようかと思った。

でもやめた。

世の中には、謎もあったほうがいい。
後ろから見るとヤンキーっぽいあの運転手さんは、
なにを思い、運転しているだろう。
いったいいくつなのか、決して若くはないその手。
異様にごっつき角ばったメガネ。
髪の毛が金の理由。
手には指輪をしてない事情。

謎が解けた瞬間、記憶から飛ぶこともある。

あの運転手さんの謎とともに、
一瞬だけかかわった生徒たちの笑顔が、
今後も私の記憶にとどまり続けることだろう。



*****もう少し*****
今日の夜中あたりまとめて更新できる…かも
posted by: サンキュータツオ | 土曜♪随筆(開設〜2009年9月まで) | 21:31 | comments(11) | - |-
♪雲を見る目、空の星
雲を見る目、空の星

小学生のとき、いとこのユウキちゃんがよく隣に住む祖父母の家に遊びにきていた。
私はユウキちゃんとは大の仲良しで、ユウキちゃんが来るとわかると、何日も前からワクワクしてなにをして遊ぶか考えていたし、ユウキちゃんもそうだったようである。

ユウキちゃんは明るく博識で、私よりはるかにいろんなことができた。
昆虫に詳しくて星に詳しくて電車に詳しかった。
標本を作ったり写真を撮ったりもしていて、趣味の広さも圧倒的だった。
完全になによりも私の上をいっていた。
私には兄がいなかったが、そう、いとこというよりも頼もしい兄という感じで、
きっとこういう人が学者とかになるに違いない、と思っていた。

ユウキちゃんは絵も上手だった。
ユウキちゃんの描く絵はとても緻密でリアルであり、電車を描かせても山を描かせてもホントによく観察している絵だった。

ユウキちゃんが描いた、あるひとつの絵を見たとき、私はハッと気づかされた。
雲が「もくもく」していなかったのだ。

私はそれまで、雲を頭と目で認識していながらも、絵を描くと、「もくもく」させていた。
いつからかそういうことになっていたのだ。

しかしユウキちゃんの描く雲は「もくもく」しておらず、そしてそれが本物らしかった。

この人の目は、私の目よりも正確にいろんなものを観ている、と思った。

いまも雲を見ると、そして「描かれた雲」を見ると、
ユウキちゃんを思いだす。
そしてユウキちゃんの描いた雲が一番うまい、と思う。

ユウキちゃんが最後に撮った写真は、冬の、雪の積もった山から、空に広がる星々を明け方あたりに撮ったものだ。

写真に写っている、雪に残ったユウキちゃんの足跡を見ると、
この人はいつも空を見ていたのではないかと思うのだ。



posted by: サンキュータツオ | 土曜♪随筆(開設〜2009年9月まで) | 23:18 | comments(2) | - |-
♪主観年越し
主観年越し

今年の年越しは、下北沢のスズナリ劇場で過ごした。
正確に言うと、スズナリ劇場の舞台袖で迎えた。

いつもお世話になっている大川興業さんの「大忘年会」というライブで、
舞台上では江頭さんの爆笑トーク。

ここ数年、大川総裁にも猛プッシュしていただいており、
我々は「すっとこどっこい」にも毎月出演の機会をいただき、
こうして毎年「大忘年会」にも呼ばれ、
年越しは大川興業で迎えないと気がすまない、くらいになってきている。

「今年こそ売ってやる」、
総裁は他事務所の我々にも、激励の言葉を毎年送ってくださる。
いまはもう聞きなれたこの言葉とて、
毎回心に染み入る。
そして毎年、今年こそご期待に添いたい、そう思うのである。

カウントダウンだけは、なにがあっても全員でする。
お客さんも腹をくくって最後まで付き合うつもりでいらしているので、
それはもう「一体感」が生まれて、
ちゃんとした「カウントダウン」になる。
カウントダウンの「カウント」だけはきちんとそろう。

だけど時間がきちんとしていない。
今年もわざわざテレビモニターまで用意して中継していたのに、
年の瀬の押し迫った感じと、舞台と客席との一体感で、
気がはやったのだろうか、
なぜ「1分」だけ早くカウントダウンしていた。

我々は2008年12月31日の23時59分に、
「あけましておめでとう!」と騒いでいた。

この全員での「ボタンの掛け違い」は、
だれも気づくことなく、
みんなで「新年があけた」と思えているのだから、
だれも損はしない。

「区切り」なんてものは、物理に支配されない。
気持ちに支配されるべきものだ。

なんとも愛おしいカウントダウンが終了し、
江頭さんも客席を爆笑の渦にし、嵐のように消え、
そして新年一発目のネタは、「ミヨポン」。
それはそれは古き良き大川興業らしいコンビで、
客席は初笑いである。

私はあのぬるい感じが好きで好きでたまらない。
最後までボタンは掛け違えたままなのだけれど、
ボタンは掛け違えても服は着ている。風邪はひかない。

こうして、
我々も出番が来、
モロ師岡さんの渾身の一人コントがあり、
清水宏さんがあいも変わらずやる気まんまんで舞台が大団円を迎える。

私のまぎれもない、人生の1ページである。
posted by: サンキュータツオ | 土曜♪随筆(開設〜2009年9月まで) | 20:50 | comments(0) | - |-
♪ヨーグルト猫
♪ヨーグルト猫

うちの猫はヨーグルトが大好物である。
なぜかはわからないが、いつからかヨーグルトの味を覚えたようである。

どれくらい好きかというと、一階でヨーグルトのフタを開けたら、二階から駆け下りてくるほどである。

私は猫は宇宙一かわいい生物だと思っている。
女性よりかわいいし、あったかし、小さいし、ふこふこしていて、なによりしゃべらないのが最高である。
世界は猫を中心に動いていると思うし、人間は猫に「飼わせていただいている」と思っている。
そういう意味では、すべての生物のヒエラルキーのトップに、猫がいると思っている。
世の中の生き物は、猫と、それ以外しかない、とすら思う。
ちなみに、世では「猫か犬か」などという論争があるらしいが、私から言わせれば犬など、猫の足元の肉球にも及ばない。
犬は吠えるし、くさいし、なによりも人間の役にたってしまうし、人間の命令をきいてしまうので、確実にヒエラルキーでも人間の下だ。

さて、そんな「宇宙上最萌え生物・猫」のなかでも、うちの猫は世界一かわいい。
残念ながら、どう贔屓目を抜きにしても、うちの猫がなぜかかわいいのである。
これは客観的に観察して得られた事実である。

そんなうちの猫に、ヨーグルトを、首を15度くらい曲げて見つめられると、もう差し上げないわけにはいかない。
喜んで欲しい気持ちがこみ上げてくる。

100円のブルガリアヨーグルトの、ちょっと残ったヨーグルトを箱ごと床に置くと、箱を隅々まできれいに嘗め尽くす。
それはもう一心不乱で、かわいい。

じっくり、長い間、なんなら箱の位置が食べる勢いに押されて1mばかり移動するくらい、ヨーグルトを味わったあと、
うちの猫を見たら、鼻の頭に、ちょっとヨーグルトがついていた。

それに気づいていないうちの猫は、客観的に見ても、「猫ヒエラルキー」のなかでも、やはりトップだと言わざるを得ない。
トップオブトップである。

とんでもない生物と同居してしまっているな、と思った次第です。



***収録中***

081220_1918~0001.jpg
ただいま
「アニメ会の『ヲタめし!』」
収録中。
写真は北アメリカの殺人犯ぽい帽子をかぶっている比嘉モエル氏。

こちらは「人間ヒエラルキー」でも最下層の人物。
この人もね、野良猫的なんです。
posted by: サンキュータツオ | 土曜♪随筆(開設〜2009年9月まで) | 19:57 | comments(7) | - |-
♪無言の握手
無言の握手

今年のM-1の準決勝が東京で行われる前日、私はU字工事の二人にメールをした。

「明日、未来をつかんできてくれ」と。

もう「がんばれ」とか「祈る」とか、そういう言葉では補えきれないくらい、毎年彼らは最大限の努力をしていたし、だれよりも祈っていた存在である。
やれることは全部やっていた。

薫からは、「はい、やってきます!」と返事があり、
卓郎からは、電話があった。
「あの、『漫才バカ一代』の企画コーナーの件なんですけども、……」
M-1の話とかじゃなかった。

でも、ほどなくして彼らはきっちり未来をつかんだ。

電話をもらった時には涙が出た。
二人とは、もう芸人をはじめてからの「戦友」だ。
お互いの成長の過程を見続けている。
恥ずかしいところも誇らしいところも、ずっと見ている。
そしてなにより私はU字工事のファンである。

数日後、直接会えたときには言葉はなかった。
ただただ、二人と固い握手をしただけである。

U字工事は、たったいま、これからスタートをきるところだ。
私もいつまでも見てばかりはいたくない。


***ポーション***
体力的な限界です。
コンビニに「ポーション」を買って飲みました。
ファイナルファンタジー、楽しみです。きっと母がやることになりますが。
posted by: サンキュータツオ | 土曜♪随筆(開設〜2009年9月まで) | 23:30 | comments(2) | - |-
♪100円ライター
100円ライター

100円ライターを捨てられないで困っている。
100円ライターという存在は、オイルが切れたら「ぽい捨て」される運命であることは、重々承知で買う。
いつも使っているライターのガスが途中で切れたりして外出先でライターが必要になると買うのである。

100円ライターには成仏して欲しい。
100円ライターの本懐は、きっと火が出なくなるまで使い切ることで、そういう意味では私はいつも100円ライターが最後まで使う。
しかし、最後まで使っていると当然、愛着が沸いてくる。
短い間だけどずいぶん世話になった、という感じである。

081209_0201~0001-0001.jpg

使えなくなったと思った100円ライターは、少しの間使わずに置いておいて、1ヶ月くらい経って一回点火すると、意外にも火が着いたりすることがある。
「使い切る」という考え方でいくと、だからライターは最後の最後までとっておいて、ホントにうんともすんとも言わなくなるまで手元に置いておいてあげたいのだ。

寝かせて半年くらい経った「古株」たちを、一本ずつ火がつくかつかないかチェックをし、死んでしまったライターたちを、それでも捨てられなかった私は、一念発起してやはり思い切って捨てることにした。
だけれども、いよいよゴミとして捨てたとき、私の心のなかで「申し訳ないな」という気持ちが起こってしまった。

情というものは恐ろしい。
決して持たないほうがいい感覚ではないが、こうしてなんにでも情が沸いてしまう人の部屋はどんどん汚くなる。

昨日、また「古株」たちを埋葬しようとした。
一本だけ、ボッと火がついて、すぐに消え入るような形で成仏したライターがあった。

「がんばったね」と思って、泣きそうになる自分がいる。
posted by: サンキュータツオ | 土曜♪随筆(開設〜2009年9月まで) | 23:36 | comments(2) | - |-
♪時計の針
時計の針

私の通っていた中学、高校は、それはもう絶望的なくらいの男子校で、しかも軍隊式教育のような学校だった。
先生たちはみな「試験を受けるのは君たちだ。オレたちが変わりに受けることはできない。だから勉強も自分でするんだ。独学が一番いい」とかポリシーなんだか詭弁なんだかよくわからないことを言って、まともな授業などをしなかった。
もっぱら先生たちも年寄りが多くて、公立の学校を定年退職してから来る人だとか、何十年も前からこの学校ですといった顔で、完全に異動がないので全く緊張感のない先生が多かった。

そんななかで山崎先生という、中学三年のときの担任の先生は、まだ30歳になるかならないくらいの若い先生だった。
化学の先生だったのだけれど、化学はさっぱりわからなかった。
でも、その先生は、毎年校長先生から配られる自筆の「名言」が書いてある色紙(なんて自分のことを好きな校長だ!)をうちのクラスの全員で、教室で手裏剣変わりに投げていたら、それを見つけて全員の頬をたたいた熱血漢であった。
なんというか、「人としてしていいことと悪いこと」みたいなことを、あえてベタっとは言わずとも、気質で伝えるというか、ま、どこの学校にも一人くらいはいるものだけれど、そうはいっても「熱血漢」ぶっていないところというか、いわゆる熱血教師にありがちな面倒くささとかはなく、物腰が柔らかい「お兄さん」的な先生だった。

教員も全部男だったうちの学校は、冬は三週間の寒稽古、春は一昼夜をかけての山登り、夏はフンドシでの海の遠泳、秋は10キロマラソンと、それはもう軍隊だったが、事務に女性の人がいた。
美人だったかどうかよく覚えていないのだが、なんか胸が大きく見えたのか、生徒たちは「おっぱいのお姉さん」、略して「ぱいねえ」と呼んでいた。知的レベルがわかる学校である。

ある日、教室の前の廊下を“ぱいねえ”が歩いているのを見つけたやつが、「ぱいねえ!」と叫ぶと、それに続いてみんな「ぱいねえ!」と叫ぶ。ひどいクラスだ。
それを聞いた山崎先生は、「ぱいねえと言うな!」と大声で一喝した。恥ずかしげもなく。
なんてまっすぐ向き合ってくる人なんだろうと思った。

そんな山崎先生は、普通教員も参加しない、四季それぞれの上記イベントにも一緒に参加していた。別にそれを尊敬したり親しみを覚える生徒は皆無だったが、「あ、参加してるな」とはみんなが思っていたと思う。

先生はある日、終業のホームルームで、掃除をちゃんとしない生徒がいるのを知って、
「時計の針は背が高い人が直せばいい」とだけ言った。

「君たちは背が低い人に、時計の針を直せだなんてナンセンスなことを言いますか?
 もし自分が背が高かったら、自分が直せばいいじゃないか、それで諦められるだろう。
 これとおなじだよ」

要するに、何度言っても掃除をしない人に掃除をしろと強要するのではなく、できる人からやればいい。
そうすればできない人は申し訳なく思う。背が低い人だって、考えれば椅子などに立って時計の針を直せるかもしれない、みたいなことだったと思う。

平等、機会均等が叫ばれていた時代にこんなことを言う人がいるとは変な人だなと思った。でも妙に腑に落ちた自分がいた。

その次の秋、山崎先生は、マラソン大会に向けて、毎朝出勤前にジョギングをしている途中、心臓発作で亡くなった。
前日まで教壇に立っていた。
葬式には、結婚してたった半年で未亡人になった「ぱいねえ」もいた。

いま、私は舞台にも立っているが、教壇にも立つ機会が与えられた。
先生が亡くなった年になっている自分が、まさか時計の針の話をするとは思っていなかったが、時計の針の話をしている自分がいた。
先生はまだ自分のなかに生きていたらしい。

私は相変わらず時計の針はだれかが直してくれるだろうと思っている人間であるが、そうはいっても自分の言葉がだれかに刺さり続けることを実感している。
山崎先生の時計は止まったが、その針はいまだに私に刺さり続けている。
posted by: サンキュータツオ | 土曜♪随筆(開設〜2009年9月まで) | 23:56 | comments(2) | - |-
地球の歩き方
地球の歩き方

その日の夜、「東京ポッド許可局」の雑誌の仕事で一緒になったマキタさんと鹿島さんとみちさんの私の四人は、そのまま渋谷の町で軽く一杯くらいして帰ろうということになった。
マキタさんも鹿島さんも私の古くからの先輩である。私には兄がいない。私は東京で生まれ育ったが、なんとなく「東京の兄」という言葉がしっくりくるような間柄だ。
みちさんはこの「許可局」で実質話し合うようになった、本当に頼もしくて話がおもしろくて含蓄のある人で、それでいてなぜか控え目なところが魅力的な人で、これからの付き合いが本当に楽しみな間柄だ。
その前の週には、マキタさんの大きいイベントが成功に終り、そして間もなかったその日に一緒に仕事することができた。
その小さい打ち上げをしよう!ということになった。打ち上げ、なんていうのは口実で、もうちょっと一緒にいたいだけだった。
時刻は22:00を回っていた。

私は興奮していた。
と同時に非常に腹を立てることがあり、とにかく喜びも怒りも一緒にいたいという気持ちも、いろいろな高ぶりが鼓動していた。
なぜかみんながそんな気持ちだったと思い込めた夜。

最初は、いた場所に近いところにあった「日高や」というラーメンチェーンに入ろうとした。
「日高や」はビールが飲めるラーメン屋だった。
しかし店の前までたどり着いたとき、かくのごとき安易な店でよいのかとみんなが思案した。
みんなはどこだっていいとは思いながらも、良くも悪くも無難な味、チェーンの味、そこで手を打っていいものだろうかと躊躇した。
マキタさんが「やっぱやめよう、なんか」、と言った。
反対する理由はなにもなかった。

ここで店を探すために、「ご飯も食べれて、一杯やれるとこ」にしようという条件を全員で確認した。
あまり渋谷という街になじみのない私たちは、それでも渋谷の知識を総動員し、またいい店はないかと注意深く街を観察しだした。

しばらく歩くと、瀟洒な雰囲気のレストランバーを見つけた。
今度はだれもが積極的にこの店を支持した。
いざ入ろうというとき、メニューを見て止めた。
私たちには、値段が高かった。
生意気な店に思えた。

検索範囲を広げることを余技なくされた。
視界にはロイヤルホストが入っていたが、いまさら「ファミリー」な感じで手を打つことはできない。
男四人だ、入っておもしろいわけがない。

ひとまず駅に向かい、駅周辺、もしくは逆の出口で探してみようということになる。
「そうだ、確か“餃子の王将”があったはずだ、あやふやだけど」
鹿島さんが言った。
これ以上お誂え向きの店はない。餃子にビール、最高の組み合わせだ。
私たちは、餃子とビールについてだけでも何時間もしゃべれる自信がある。

なんとなくだが、“王将”があったような気がする場所、というところに行く。
果たして“王将”はあった。文字通り「詰み」だ。そう思った瞬間、信じられない光景が目の前にあった。
“王将”はたった今、閉まったところだった。
天下の渋谷の“王将”が、思ったよりも早い閉店時間だったことと、また店を探すことの煩わしさにショックを受けた。

でもだれも「今日やめよう」とは言わなかった。
別れるにはあまりにも惜しい夜だった。
かといって朝までやるような関係じゃない。
朝までベタベタするような関係ではいたくない。
電車の時間は迫っている。
選択の時間は限られてきた。

初志からするとだいぶ妥協したのだけれど、ビールの置いてある「大戸屋」があったので、心を決めて「大戸屋」のあるビルの階段を上った。
我々とおなじような状況の人たちがいたらしい。
今度は満員で入れなかった。
「待つ」なんてことは、ここまで動いてきた自分たちを否定するような気分だ。
さんざ妥協したことに対して「待たされる」など、そんなダセーことはしたくない。
「引き返す」、確認せずとも全員おなじ選択だった。

こうなれば、30分だけでも居酒屋に行こう。
チェーンだろうがなんだろうが、一番近い居酒屋に行く。
「大戸屋」を下る階段で全員一致の「居酒屋宣言」受諾をみた。
居酒屋はダラダラしてしまう危険を伴う。「ちょっと」の自制と緊張感を楽しむには、気の抜けた場所だった。
だから、最初の選択肢には入っていなかった。

大きい交差点に出て、目に入る一番近い居酒屋を探した。
少し遠くに見える居酒屋はどこも高そうだったが、すぐ左手の駅から30秒くらいの場所に、その居酒屋はあった。
今度は階段を下りて店に向かった。
「ただいまラストオーダーを終了しました」
店員は天真爛漫に言い放った。

まるで私たちの行き先を先回りして、だれかが私たちを陥れようとしているのではないかと思うほどだった。
もう意地だ。絶対呑まなきゃ帰れない。
外は寒い。
渋谷という街はいつも、不器用な者をはじく。そんな気持ちさえした。

駅を見た。
むき出しの高架の上には、ぎゅうぎゅう詰めの電車が見える。
その高架下――。

いわゆるガード下の店がいくつかある。
“王将”にふられたときに観た。
あそこにあったラーメン屋に行こう。

ラーメン屋は満席だった。
もう動かない。
ラーメン屋の隣、狭い店内に路上にまで置かれたテーブルと椅子。
店内は満席。野外は寒いためか、一組くらいしか座っていない。
そば屋なんだか飲み屋なんだかもよくわからない、なんともジャンル分けしにくい店だったが、外で飲むのも悪くない。

「ここだ」

こうして私たちは、その「なんでも屋」ともいうべきいびつな店の外で、ガタガタいう軽い机とガタガタいう軽い椅子で、食べて呑むことにした。
マキタさんはビールとワンカップを2個、鹿島さんはビール、みちさんはちくわ2本とつまみ、私はそばを注文した。
ささやかな打ち上げはこうして開かれた。
どこからどう見ても社会人ではない私たちは、思い思いに声をあげ、笑い、疲れたサラリーマンにわるびれることなく、視線を注がれてもなにも気にせず騒いだ。
小一時間。
寒さを紛らわすために、あるものは呑み、あるものは大声でしゃべった。
私鉄の電車がギリギリになったマキタさんは、最後に半分だけ残ったワンカップを片手にお金を置いてホームに向かった。
清算を済ますと鹿島さんは自転車で帰った。
JRのみちさんは私とは反対側の電車に乗る。

1分でバラバラに散った。

私たちはきっと、昔からもこれからもずっとこうである。
もう絶望的に、こういう地球の歩き方しか知らない。
posted by: サンキュータツオ | 土曜♪随筆(開設〜2009年9月まで) | 22:23 | comments(2) | - |-